<石和川中島合戦戦国絵巻・レポート2>

「午前中の演習」

     
  さあ、そろそろ校庭に集まって演習の時間となって参りました! 小学校の校庭。何だか昔懐かしい朝礼か体育祭の練習のようですな〜(笑)。

みごと本庄重長役を仕留められたshinさま!
助っ人三人組(左三人)の真中におられます。似合ってますぞ〜

今年はカメラマンで活躍のこたつ亭主
HN未だ定まらず(笑)K兄氏!

おっ、隣はおめぐ隊ではありませんか!
紋次郎さま(左)も副将を射止められたご様子、須田相模守親満役のおめぐ様とご一緒に



<上杉軍「車がかりの戦法」の実践>


さて今年の演習は、去年と比べると判りやすかったし、効率も良かったです。
まず隊名と代表者の名前を呼び、各々の兵士に自分の隊名を認識させます(ウチらのように毎度大喜びして、自分の隊名を覚えてしまう人ばかりではありませんので(^_^;))。

次に、各々の隊ごとに兵士を並ばせ、自分の居るべき隊の前後の人の顔をざっと認識します。この列は後でも大きく崩さなかったので、戦場での混乱もあまり無かった気がします。

そして演習の始まり。
「一列目、何々隊」と呼ぶ順番から突っ込ませて行くのですが、その目標物として、二人の係員が兵士の行く手に立つのです。我々兵士達は、この二人の間を駆け抜けて行けばOK。

「おお〜、まさに車がかり」
文献に現れる「車がかりの戦法」(特に上杉謙信が川中島で用いたと言われるもの)がどんな物か、ハッキリと示せる軍学家は居ないようにも思うのですが(笑)、少なくてもそれをイキナリ会った大勢を相手に、たった一度の打ち合わせで体現させ、観客にもそれっぽく見せるには、これより上手い方法は無いようにも思えます。

すなわち、広い範囲に人を並ばせ、狭い目的地に駆け抜けさせる。あたかも掃除機がゴミを吸い寄せるような具合に大勢の人を吸い込んで行くのです。
 
     

「南小学校(上杉軍)、昼ご飯」

     
  演習の後は、各隊ごとに謙信を挟んで記念撮影をさせて頂き、その後お昼ご飯とあいなります(^^)。これは毎年同じですね〜。

「それがし、井戸水など調達して参りまする」
と視察に席を立つ上杉影虎さま
「うむ、ここなら敵に見付かるまい、ここに致すぞ」
(写真提供:太郎丸さま)

かくして、ワイワイガヤガヤ、お弁当〜♪
左がおめぐ隊、真中奥がこたつ隊(今年もお隣ね〜♪)

食後、shinさまの兜を上杉影虎さまが着用。緒を手にした私も結び方がわからなくて、おめぐ隊の副将(は兜をします)紋次郎さまに見せて頂きました。

この時紋次郎さま(右)は、私と上杉さまが顔を近づけて見るものだから、照れておられたとか(笑)。

でもお蔭様で無事着用完了(^^)。紋次郎さま、ありがとうございました!
(写真提供:太郎丸さま)

かくして(お昼だけ)本庄影虎の誕生じゃ〜  ははっ(太刀持ちはこたつ城主)
(写真提供:うーろん様)
 
     

「パレード開始」

     
  いよいよパレードの開始です。戦場に向かう途中がコースですが、パレードは交通整理をしながら行われますので、その前のこの公園で時間調整をさせられます。

もっともこの公園抜けの時間帯、上杉影虎さまのレポートによると、「鞭声粛々夜河を渡る」時間であったようで(^_^;)、あまり騒ぐと敵(武田)の目を欺けないかもしれません(笑)。

あ、カメラだよ〜♪(写してるのはこたつ亭主)

←私の背旗をキャマティさまが直してくれてます。
毎年、背旗はちょっと何かに当たるとすぐにスルリと抜けてしまうんですが、今年のはテープで固定されてて、ちょっとやそっとでは抜けませんでした。

そのかわり、縦に一直線になってるので、指している背中の部分(腰紐に差し込みます)の重心がズレると、すぐに傾きます(^_^;)。私のように背の低い人は背中が安定してないので、すぐズッてしまいます。

この間、若干の時間があるので、ここまでにメンバーの写真を撮り洩れた場合、この辺りでわりと撮影のチャンスがあります。この後パレード中と戦場に入って以降は、メンバーをまとめて写すのは戦後近くまで難しいです。(去年は大っぴらに撮ってましたけど:笑)↓

こたつ隊三武将揃い踏み!
副将梵天丸亭主さま、本庄重長のshinさま、家老ぷくぷく志摩の守さま