久々!「城主のたわごと11月」更新しました!

5〜7月の多彩な花々と「龍腹寺」「双子公園」♪



     
  下のご挨拶からちょっと時間が空いちゃったけど、上記の通り、やっと久々「城主のたわごと」を上げる事が出来ました(^_^A)。

これも二ヶ月半ぶりぐらいかー。

前号は4月の桜まつりが中心でしたが、今回はイキナリ5月から入ります。
昼夜の水田、晩春のバラをはじめとする花々、6月のアジサイ、7月初夏の花々……。

その合間に、今回のメイン、印西市の「龍腹寺」の地蔵寺を特集します!
そこにいう「千葉氏と北条氏の戦い」とは?!
続いて、印旛沼の方に進んで、ナウマン象の発掘された「双子公園」から沼地を展望します。

最後に常盤平の熊野神社の森で、次回に引き継ぎます。

宜しくご賞味下さい( ^o^)〃迴~~

11月12日

城主
 
     



二ヶ月ぶりですか。ご無沙汰しました(≧▽≦)!

今年も風邪で学習能力ゼロ( ^д^)ノ☆(/゜凵K)/



     
  実に二ヶ月以上のご無沙汰です。
ご挨拶の書き方も忘れてしまいそうっ( ̄∇ ̄;)。。

8月にも話した通り、その後は仕事で、何もする余裕無く、9月はあっと言う間に過ぎ去りました。ホントあっと言う間(汗)。

9月は織り込み済みだったので、しゃあないって感じでしたが、10月は「たわごと」出せると思ってましたー(>_<)。。

まぁ仕事自体は思ってたより長引かなかったです(^_^A)。
が、その後も、あれやこれやで時間を取られ、なかなか更新作業がはかどらず……。

どこから話すか……まず仕事ですか。

肉体的にはハードと言えなく無かったですが、時間的には通常の労働ほどではなかったです。
ただ、仕事してない時間も、仕事中に取ったメモ整理(ノート書き)に追われ、一日があっと言う間。

それでもメモは溜まりに溜まって、休日もノートや仕事の準備に追われ、日常おざなりになる家事にも追われ、何しろ9月はあっと言う間(苦笑)。

既にほうぼうに話した通り、振り返れば色々と、異常な体験をっ(((( ;゚Д゚)))!!!
こたつ城やリアルの知り合いとはメールで。アメーバの知り合いとは、ピグ(チャット)で聞いて貰った通りです(笑)。

終われば一時の事なのですがね……(笑)。
(今後、小説のネタにするかも:爆)

その後の流れは……まずは仕事の疲労を取るのに、しばらく費やしました。……と言っても一週間ぐらいですが。

その後は身内の祝い事なんかあって、ちょっとドタバタしました(^_^A)。

その後は一転、仕事より前からの経過により、ちょっとしたボランティア活動など始めてます。地域がらみ歴史がらみ(^^ゞ。

そして、あ〜〜〜そろそろ「たわごと」やらないと〜〜\(>o<)/
10月中にも終わらないかも〜!と、ようやく焦りを感じ始めた頃……。

今年も又々長引く風邪で、大幅に足を取られました( ̄∇ ̄;)。。。
これが冒頭、太文字の題名で書いた「学習能力ゼロ」の件です(笑)。。

クシャミ、鼻水に始まりました!典型的なタイプ。
しんどくなって寝つくようになり、間もなく咳が出ます。乾いた咳、ゴロゴロ咳と移りますが、また乾いた咳になり、これがどうにも止まらない!(>m<)<ゲホンゲホン

最後は朝起きると、物凄い肩こり!( ;゚皿゚)ノ
首も凝ります! あまりの凝りに目まで痛くなるという……。 *トホホ*

完全回復までにずいぶん費やされました〜〜。。。
去年も長かったんですよね〜〜。去年は物凄い高熱がエンエン続いたんでした!

今年は熱はそれほどじゃなかった気が……。
去年も何となく測ったら、スゴイ高熱でビックリ!って感じでしたから、今回のも佳境の頃は高かったのかもしれませんが……。。

が、それより咳やら血圧など、その他の症状で焦りました(((( ;゚Д゚)))。。。
そうそう、仕事もなかなか稼働体制に出来ずにいた大きな原因が、体調不良だったんですよねー。。

これは今年始まってからず〜〜っとですけど。。
体調さえ悪くなければ、仕事の後発も受けたもかなぁ……。
経済難で、先行き不安材料いっぱいですが、まぁ、でも病には勝てないです。如何ともしがたく。。。大事を取って休養モードに戻してますー(-_-;)。。

ただ、前回も話した通り、長らく悩まされた不眠症は、夏に見事に解消しました(^O^)!
はい、水枕です!
熱中症になりかかった時、これで抜群に熟睡できるようになったんです。

以来、9月いっぱいまで水枕を愛用しました!
さすがに風邪の時は、寒気がして、やめてしまいましたが(^_^;)。。

しかし脳がヒートして、自律神経を悪くする事、それには水枕が効くことがわかったので、傍に置いて、時々試してみる事にしてます。
冬でも頭が暑くなる事はあるかもしれませんしね!

ところで、秋の風邪については、少なくても2013年から毎年この季節、「今年もひいたっ(≧▽≦)」と言い続けてるんですねっ(笑)
あまりに毎年の傾向すぎて笑えるっっ!!!( >nn<)=3

ここ数年(少なくても去年と今年の二年)連続の、重症で長引く秋の風邪のせいで、ただでさえ忙しい季節、とんだ時間のロスを食らわされるので、何とか対策を講じたいです〜〜〜〜〜\(>o<)/<ジタバタ

仕事中は、「風邪ぐらいで休みは認めない」と言われ(今思えば、これもかなりブラック:爆)、緊張感も強かったので、マスクばっちり、二時間に一度は手洗いウガイか濡れティッシュ使用、服には消毒液かけまくりっ!……でした(笑)。

これを秋の間じゅう続けてれば、風邪ひかなくて済むんですかねー。。
でも秋ひかなくても冬ひくんじゃないかなぁ……どっかでひきそう(^_^;)。。

さてさて、ご無沙汰してたので、近況報告に気が行って、肝心の連絡事項が遅れてますね(^^ゞ。
前回、8月のご挨拶で述べた、9月29日15時で終了予定だった、ニフティアドレスの「こたつ城・掲示板」ですけど、その後ふと、クリックしてみたら……

「まだ、あるじゃん、どゆこと(((( ;゚Д゚)))?」

急いで検索してみた所、どうも11月10日15時まで延長したようです。
というのも、どうも、新規保管先のアドレスに移行手続きをしないユーザーが8割以上いるらしいです(笑)。
約束の9月26日までに移行したユーザーが15%、解約したユーザーが5〜6%なんだそうです(^_^;)。→ITメディアニュース

そういうわけで、今の所まだ、こたつ板が存在します(^_^;)。。
こうやってる内に、無くなると思います……。

さて、以上のようなワケで、「たわごと」の更新は遅れましたが、この2ヶ月、仕事と病気と多忙だけで過ごしてたわけでもなかったです。

貧乏(私)で暇無し(亭主)なので、泊りがけで旅行するとか、遠出は出来ませんが(^_^;)、地元の軽い散策と、古文書の講習に行ってきました。

そうそう、去年も今頃の季節、東京都板橋区の「武蔵千葉氏展」を見に行きました。
それと地元、松戸市の古戦場ウォーキングに参加しました。
「城主のたわごと」の4月号・6月号でレポしてます。

そういや、どちらも地域の博物館がらみだったんですよね〜。秋は文化の秋でも、散策の秋でもあるんですね〜(#^.^#)。

地元散策の方は写真も撮ったので、そのうち「たわごと」でお披露目しますが、講習の方は、9月から隔週で3か月、全6回で、松戸駅から5〜10分程度のビルの小さい会場で受けてます。
「西原文書」という戦国期の題材で、このほど松戸市立博物館で購入した物です。

どういう物かと言うと、戦国期の後北条氏の家臣、西原氏に宛てた発給文書など10点があります。

購入理由は、書状の1点に、第二次国府台合戦の直前、松戸の高城氏が、味方している北条方に対し、里見陣営を攻める好機を告げた事が、状況説明的に書かれてる(高城氏の名が当時史料に現れる)というものです。

……これより、「城主のたわごと」のレポ書きに戻りますので、内容については、そこでも書くかもしれません……(^^ゞ。

ここでは、古文書と講習についてのみ書いておきますね。

というのも、私これまで、正直あまり古文書読みって興味無かったです(^_^;)。
ああいうのは学者が解読してくれて、我々は活字化された物を読ませて貰えばいいじゃん(^。^)!と思ってるからですね(笑)

でもこのほど、文書購入は市民の税金から出てるという事で(笑)、無料で解説講座をやってくれるんです(^o^)。
せっかくの機会だから、行ってみる事にしました。タダですし(爆)

古文書講座って、これまでは「まぁいつでも、気が向いた時でいっかー(^。^)ゞ」になる事が多かったのが、このほどは今までに無く出掛ける気になってる理由を、我ながら分析すると……。

これまでに「市民のつどい」みたいな項目で見る「古文書講座」って、江戸期の物が殆どだったんです。
それが「戦国」になった途端、「税金払ってるから(`・ω・)=3」とか急にかこつけて、鼻息荒く出掛けてゆく気になってるわけです……(笑)。

つまり税金云々は口実で、ホントは対象の時代の違いが少なからぬ原因なのかな〜と、今にして思います(笑)。

そんなわけで、更新作業の遅滞には、そんな事にかまけているというのも、色々ある要因の一つです(^_^;)ゞ。。

去年の夏に行った足利旅行の後は、今年は夏も秋も旅行はしてません。
その分、たわごとのネタも、例年ほどのテンコ盛り状態ではないので、ちょっと余裕こいてるのもあります(笑)。

それと、もう2〜3点言うと、仕事ストレスもあって、この秋のはじめは、忙しかった割には、読書に打ち込んでた気がします。
今そのストレス源は無くなりましたが(笑)、読みかけた本が何かと誘惑します(^_^;)。。

あとは……そそ、こちらの更新は怠け気味ですが、アメブロでは、ブログやピグ日記をチョビチョビ更新してます(^^ゞ。

あと、これもストレスの影響でしょうか、メールとかアメーバ内のコミュニティにかまけてた面もあったと思います(^_^;)。。。

で、「北条氏がらみの話をしたついで」と言うと語弊があるかもしれませんが、戦国期、北条氏がらみのネタをリブログした所なので、リンクを貼らせて頂きます。
私のブログ「杉山城問題」

(※ 「リブログ」=他人の書いたブログ記事を、自分のブログで紹介する事。ツイッターの「リツィート」のようなもの。そういや「トラックバック」とどう違うのかな(笑))

↓は文章まるごと出します
リブログ機能を始めて使います。特に↓

>北条築城説支持者の主張は、パーツが似ているとか、あげく、山中城に酷似して
>いるなどと、主観論に過ぎず、論破されると、個人批判に走る始末です。

>関東の名城と言うと、何でもかんでも、北条氏に絡めたがる人が、多く見受けられ
>ますが、実際のところ、新興勢力の北条よりも、旧勢力で大勢力の上杉氏のほうが、
>優れた築城術や、縄張りの専門家のような集団を抱えていたとしてもおかしくなく、


↑この部分に強く同感します。記事の後に私のコメントをつけてあります。
それも下に追加しておきます↓

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私もかつて北条氏同盟みたいのに相互リンク求められ、応じてやったら、「北条の傘下に居たと認めます!」みたいな事を一方的に言われて、何となく違和感覚えたんですよねー(笑)。


実はウチの近くにも畝堀のある城があって(根木内城です)、後北条氏の影響と言われてたんですが、近ごろ、北条氏と関わる前からあった事が推測されるらしいんです。

どうも関東戦国史と言えば後北条氏になってしまったのは、長い間、永享の乱で終焉した鎌倉府までの研究と、後北条氏を中心にした研究という、それぞれ違う物をくっつけただけになってた(その間を埋めるまとまった研究がされてなかった)からのようです。

私の若い頃も、東京周辺の戦国史というと、そんな感じでした。相変わらずその頃の空気を引きずってる人だと、関東と言えば北条になっちゃうのかも(苦笑)。。

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私のこのコメントにはレス頂いてますが、人様の領域なので、リンクだけ貼っておきますので、読みたい方は↓を。
元ブログ「杉山城問題」

私は長年、「戦国武将一覧」における、北条早雲の記事で、「伊勢氏北条氏を名乗る不思議」を、疑問として残し続けています。

さる著名な時代考証のセンセイ(歴史の先生)が、「伊勢氏は関東では嫌われ者だから、関東で執権だった北条の名をとって云々」と仰ってるのを、テレビ番組で拝見しました。

「嫌われ者」は、ちょっと言い過ぎのような気もします(^_^;)。
しかし、仰りたいニュアンスは、この頃ちょっとわかってきました。

以前は、北条氏政と言うと、「名家・名城にあぐらをかいて、5代続いた北条家を滅亡に導いたダメ大名」みたいに言われたものです。
それが、この頃は見直されてるか、少なくても同情的に受け止められているのかな……と思います。

今年の「真田丸」でも、2年前の大河「軍師官兵衛」でも、小田原北条氏の最期が描かれるようになりました。
近年「のぼうの城」でも、小田原征伐の頃の関東の様子が出てきました。

それらは良い傾向じゃないかと思います。
私もこの頃は、氏政一人が責められるべきだと思わなくなりました。

しかし、相変わらず氏政に到る前の3代(宗瑞=早雲・氏綱・氏康)は、依然として英雄であり、知的レベルが高く、民生的……みたいな受け止め方は変わってない感じがします。
その上で、それら前3代に、氏政も英雄の一人として加わる……という感じですか。

う〜〜〜ん(^_^;)。。。
私が言ったのは、あくまでも「氏政一人が責められるべきではない」です。
つまり、他の前御三方(早雲・氏綱・氏康)が英雄だとは全く思いません(笑)。

小田原征伐の折、関東の武士があまりに無抵抗で次々と秀吉の軍の前に開城、投降してしまうので、秀吉が怒ったというエピは有名です。
秀吉にしてみれば、本当に呆れたんでしょう(笑)。

しかし、ここにこそ、「北条=嫌われ者」の図式があったんじゃないでしょうか。
そしてそれは、「氏政一人が責められるべきではない」点だと思います。

そういう意味で、今年「真田丸」で描かれた氏政は、それなりに見応えがありました。

開城の条件として言い出したことが、「少なくても上杉と同格、これ以上は譲れない」。
これは氏政一人ではなく、長い年月、北条の背負い続けた理想でしょう。

ところが、風呂に入ってる間に敵が責めてきたらと思うと、裸にもなれない。
部下がいっぱい居るんですから、風呂からあがって服を着て鎧をまとうぐらいの間、防ぎ守ってくれるハズですよね?

つまり彼が恐れているのは、敵ではなく、味方であり部下たち……という描写なのでしょう。
彼の不安は臆病ではなく、的中していたわけです。
この時、多くの関東武士らは、雪崩を打って豊臣軍の前に次々と下ってしまっているのです。

そして彼が最期に「関東の主になれなかった」と言ったセリフに、まさに北条氏の長く続けて来た現実が色濃く現れたと思いました。

北条早雲(伊勢宗瑞)を大河ドラマの主役に担ぎあげたがる向きが、相変わらず強いと聞きます(^_^;)。。
この人物の一代記っぽい時代小説を何パターンか読みましたが、どれもなぞりのようで、正直、手を付けないのが正解だと強く思います

さてさて、今回もそろそろ「城主のたわごと」の続きに戻ります。
これより、なるべく早い内に出したいと思います(^^)。<よろしゅう

11月07日

城主
 
     



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