<2008年・城主のたわごと3月>



2007年9月「宮城〜山形ツアー」第五弾(^^)。

4日目は遠刈田から蔵王の滝巡り・賽の磧・御釜へ♪





     
  去年11月からスタートの「宮城〜山形ツアー」、5回目。
……5回シリーズの予定だったが、やっぱちょっとだけ来月に出そう(^_^;)。スイマセン。。
時は2007年9月。今回は4日間の最終日、朝から午後まで(^^)。

最終日は遠刈田からエンエン蔵王を通って、山形県に抜ける一本コース!
山と滝と湖の自然を満喫ドライブー(^O^)!



<遠刈田〜蔵王エコーライン「三階の滝・不動の滝」>

遠刈田にも「こけし館」「こけし橋」といった名が見られ、ハイキングコースや各ファーム、「自然観察センター」など1日遊べそうなスポットがあるようだ(^^)。

この日は亭主の要望により、山ドライブに決定〜♪
遠刈田は朝から離れ、蔵王に向かう。

地図A←右下が遠刈田、457号線を北上して、中央のポイント、分岐点に蔵王に向かう事を示す大きな鳥居がある。左折すると蔵王エコーラインに入る。

遠刈田の町を出て……
大鳥居。この先が蔵王エコーライン!

蔵王エコーラインは昭和37年に開通した、宮城と山形を繋ぐ、全長26キロの山岳観光道路。地図B←全領域地図

「蔵王」という地名は、宮城県と山形県の県境を跨って、両県ともに見られ、これを総称して「蔵王連峰」とも呼ぶようだ。
仙台の知り合いは「宮城蔵王」「山形蔵王」と呼び分けていたから、現地ではその各所の名所のある場所を話す時、そんな風に言ってるのかもしれない(^^ゞ。

ドンヨリ雲と暗い山道
高原っぽい高地

実はいったん登ってから、「あっ(>_<)、カマボコ忘れた!」と旅館に取りに行った(笑)。
これは仙台の知り合いに貰ったものなんだが、旅館に戻ったら、「あ〜! 良かった! いま携帯に電話したんですが、繋がらないので、車で追い掛けたんですが、見付からなくて……」と、旅館の方が冷蔵庫から取り出して渡して下さった。

スゴイ親切〜(≧▽≦)!!

というわけで、ちょっとした事件はあったものの(笑)、気を取り直して再出発した!

そして地図C←「滝見台」に到着。

↓左のこんもりとした森が「滝見台」。景色を見ながら歩道を戻る(パノラマ3枚)

圧巻の山容を眺めながら(^^)(パノラマ2枚)

←「滝見台」が近付いて来るごとに、だんだん見えて来るのが、「三階の滝」。

途中に滝壷が三ヶ所にあるところから、この名がついている。
「日本の滝百選」に選ばれた名瀑。

「滝見台」はまさにこの滝を見るための場所で、道路脇にズラッと自動車が縦列駐車して、この風景を見ながら歩道をバックして滝見台にみんな向かっていた。

この「三階の滝」を最初に、この先も蔵王エコーラインには、「不動滝」や「地蔵滝」など、それぞれの滝スポットが続いているようだ。

下のパノラマ写真は、「滝見台」に上がって来た所だが、風景は滝とは反対側。スゴイ見晴らし良かった(^^)。↓

滝見台(パノラマ4枚・180度以上)

←「三階の滝」はこっち側の森に入った一帯から見れる。

で、これが「滝見台」からの三階滝・不動滝の眺め(^^)(パノラマ2枚)

「滝見台」には、俳句結社「草茎」主宰の宇田零雨(慶大講師、文学博士、福島県二本松出身、現在東京都)の句碑があり、昭和27年5月、初めて蔵王吟行を試みたときのもので、はじめは、この先に行く「不動滝」上の蔵王参道に建てられたが、エコーライン開通によって、眺めの良いここへ再度建てられたそうだ。

左2枚は「三階の滝」。上の写真は落下後の渓流。

右3枚はその右手に遠く見えた「不動滝」と「地蔵滝」(かな)。
下2枚は拡大写真。

滝は標高130メートルから569メートルに落下する、総延長181メートル。



「三階の滝」の次は、車でさらに先に移動。地図D。続いて「不動滝」を見る。↓

滝を見る入口の蔵王不動尊
拡大
いわゆる「滝不動」(^^)。

滝には、カニウナギが壮絶な「滝壷(住み家)争い」をしたという伝説がある。面白い(^^)。

滝はこの左(看板)から入る。

この階段を降りると
不動の滝
落差54m、巾16m

蔵王山中の瀑布の中でも極めて大きな、澄川にかかる直下瀑で、この時はまだちょっと早かったけど、秋には真っ赤な紅葉が豪快な水の流れに彩を添えるそうだ(^^)。
カニとウナギの合戦伝説は、紅葉して流れる葉を見て生まれたのかなっ(笑)。



<蔵王エコーライン「蔵王寺」>

地図E←続けて蔵王エコーラインを進む。

次に拠ったのは「賽の磧(さいのかわら)」の「蔵王寺」という山岳寺院。
白鳳時代(672〜686年)に「役小角(えんのおずぬ)・神変大菩薩」が開山、と伝えられ、山岳宗教の祈願所・修行所であったともいう。

到着「蔵王寺(パノラマ3枚・ほぼ180度)

↑と逆側。さらに先に行く蔵王エコーライン(パノラマ3枚・ほぼ180度)

↑この、高地に近付くごとにコンモリと吹き溜まる雲が、なかなか凄かった!

お寺。左脇のお守り授所には→
閻魔さまが

境内には等身大の延命地蔵尊が立つ。

本堂の横「賽の磧」
裏手に行く道筋にも

「役小角が白鳳時代(672〜686年)に……」というのは、ちょっと置いといたとして(^^ゞ、役小角は全国的にも修験道の開祖と言われ、また「賽の磧(さいのかわら)」供養の歴史は、約600年前(室町時代)から始まり、ここは特に地蔵信仰の中心地をなしたという。

また本堂脇の閻魔像は、閻魔と地蔵が同一と経典に言われることから。

「賽の磧」は地蔵和讃の中の世界であり、幼少の子供が死んで行く地獄といわれる処。父母を慕い、せめてもの回向のために手に血をにじませ、石で塔を積むが、地獄の鬼があらわれて、その塔を押し崩し、子供たちを追い回すので、冥途の父母たる賽の磧の地蔵が現われ、子供達を衣の袖にかくまって、助けるという霊域。

地蔵は「願王尊」といい、願いに限りのない唯一にして最も親しまれている仏で、ここは水子霊や幼少時に亡くなった子を供養する寺。

他に「くぬき地蔵尊」と言い、苦しみを抜き、楽を与える仏にあやかり、痛い処、病める処を「くぬき手拭」で摩り、お守りとして持ち帰る事が書かれてあった。

他に「一代守護仏」。
千手観音、虚空蔵、文殊、普賢、勢至などの菩薩、大日、阿弥陀など如来、不動明王、十二支の守り本尊。

裏手には慰霊塔
裏手にも賽の磧の小石がアチコチに積まれてた

この裏手には「名取市戦死病没者慰霊碑」もあった。

明治5年(1872)の神仏分離により廃寺となり、昭和28年に再興。

又ここは、「かもしか温泉跡」、北蔵王方面への登山口として利用されている。

この後も「賽の磧」は、この先に行く駒草平でも見られる。

蔵王寺、裏手から見える風景→

この後も、さらに蔵王エコーラインを進む!



<蔵王エコーライン・駒草平>

さっきの通り、高地は厚い雲がドンヨリ(パノラマ2枚・遠景のみ繋ぐ)

←高山が徐々に低く見えて、標高の高さを感じさせ、↓そろそろ駒草平に近付く。

到着「駒草平」駐車場(パノラマ4枚・180度以上)

↑と逆側は、下界が一望(パノラマ4枚・180度以上)

晴れやかに見下ろす下界
一方、厚い雲の垂れ込める山々

駐車場から道路を隔てて、売店が一軒だけあり、まずはそこへGO!

それがこの売店↓。食べたのが→
郷土の味「いも子汁」!

「いも子汁」だったと思う(^^ゞ。この時は「変わった名前(゚.゚)」と思い、珍しいから食べてみただけだったのだが、この後、本格的に山形県に入ると、「いも煮」「いも子煮」などとともに、この名をちょくちょく見掛けた。

帰ってからネットで調べた所、「いも子汁」は江戸期の1845年、山形城主の秋元但馬守が館林に移封の際、お別れ会を開いた時に記載が見えるのだとか(゚.゚)。元は農耕神事だったとも言われるんだとか。

ここはまだ宮城県の端っこだけど、「この先は山形県」と知らせているようでもあり、なかなかのサービス。あったかくて美味しかった(^^)。

さて、食べ終わると、まずは売店周囲の風景から(^^ゞ。下界の眺め→

蔵王エコーライン沿い(パノラマ2枚)

この道路に面した辺りにも「賽の磧」が見られ、遠い地域から来た人もみんな、崩れた小石を何となく拾って、積み重ねる光景をよく見た。

さてさて、これより売店の脇から続く散策路をお散歩だよっ(^O^)。

山の威容を見ながら
散策コースに出発!

山はこんな感じに肌が禿げている(パノラマ4枚)

この駒草平は、刈田岳の東の裾、標高1300メートル付近の高原で、度重なる噴火により火山岩と火山礫が堆積し、樹木のない荒涼とした岩原が出来上がったという。

散策路の先には、雄大な山が目前に!(パノラマ2枚)

この突き当たり、展望台の左右に散策路が分かれる。

散策路・左手は駐車場に戻る
展望台から下を見る。おおおお!

一方、散策路の右手は冒険コース(^O^)。

断崖の端っこまで続く〜。。
柵から覗くと……ちょい絶壁!(>_<)

物凄く危険って程の断崖ではないが、何しろ風が強いので(^_^;)、柵から出ると、すぐビュッと飛ばされそう〜。。

←でも、こんな端っこまで来ても、柵を乗り越えて「賽の磧」の痕跡があったりして……。
↓拡大

先ほどの「蔵王寺」(ここより東側)に言われた通り、古く山岳宗教が盛んな頃は、修験場となった霊山だったのだろう。

正面の山のほうぼうに
沢山の滝や渓流が見られ

こんな切り立った岩肌の切れ目には
修行できそうな洞穴が!

この辺りで、また車に戻り、蔵王エコーラインをさらに進むー!



<蔵王「御釜」>

地図F←いよいよ宮城県も端っこ、「御釜」に到着(^^)。

これは遠刈田を出る時から旅館の人にそう言われたのだが、この「御釜」、霧が多くて滅多に姿が見れない事で有名なのだそうだ(゚.゚)。
よほど運がいいのか、私はこれまで二度ほど来て、どちらもバッチリ(^^)v見れたので、ちょっとこの話は予想外だったが、イザここに着いたら、物凄い駐車場渋滞で驚いた!

どうもこの渋滞、「今なら御釜が見れるっ、晴れてる内に急げ!!」という事だったようだ(^^ゞ。
駐車できるまで、かなり待たされた〜(笑)。

御釜到着。みんなワサワサと見に急いでいる(^^ゞ(パノラマ2枚)

↑「御釜」に至る、この手前の山岳は「馬の背」と呼ばれる。似てるかなっ?
で、この歩道を真っ直ぐ行って、右の建物(レストハウス)を過ぎると……、

右の高台にポツと小さな建物
正面からは、ジワジワ「お釜」が見えて来る

これが晴れた日の宮城蔵王「御釜」

↑この写真は、かなり高い所から撮影(^^ゞ。
最初に入った場所では、前に人が大勢いるのと(特に晴れた日は)、御釜の全容の撮影が難しいので、高い所に上がってから撮るのが有効(人も小さくなるし)。

最初に入る所では、周囲はこんな感じ(パノラマ3枚・180度)。

↑「馬の背」方向にも散策路が伸び、そちらにせっせと登山に行く人が見られた。

この「御釜」は、火山の噴火で出来たカルデラ湖で、釜状の形から名がついたという。
周囲1キロ、直径330mの馬蹄型火口湖、光の加減で色が変わることから「五色沼」とも呼ばれる。

亭主はこの御釜の前で、じっと止まって動かなくなった(笑)。確かに時間をかけて見ていると面白い(^^)。

しばし、時の移り行く御釜の、エメラルド・グリーンの湖面をお楽しみあれ(^^)。
山肌と湖面に映り出される、上空の雲の流れ(影)を感じ取って貰えたらいいのだけど〜♪

まずは@→
から、始まり始まり〜♪
A→
B→
C→
D・END

写真で見ると、かなりビミョーだけど、わかったかな〜(^^ゞ?

実際には、この順番通りってわけではない。
というのも、雲の動きがかなり剛速球で(^_^;)、「あ、映った」と思ってからカメラを構えると、だいたい撮りそびれる。

パッと見て「おお〜(^^)」と感動して、記念撮影だけして帰る人も多いが、同じく、ここの前で携帯をじ〜っと構えて粘り、「うっ」とか「あ〜!」とか小さく叫ぶ人も結構多い(笑)。
地上の凹凸に変容しながら移りゆく雲の流れが、じっと立ってるだけで面白いほど実感できるからだと思う。

さて湖を後にして……(パノラマ2枚)

先ほどの建物に向かおう
せっせと坂道を登る

エイエイと登る脇から↓御釜が一望〜(#^.^#)。
↑ここにも、石に小石を積み重ねる「賽の磧」が続いていた。……そして山頂に到着!↓

こんな具合に登り、折り返して鳥居に入る
刈田嶺神社・奥之宮

前回の最後に遠刈田で行った「刈田嶺神社(郷社)」と関連する神社であろう、と思われたが、ここには「奥之宮」としか書かれてなかった。

実は蔵王の地の「刈田嶺神社」には、白石の片倉氏が奉納した社(祭神は日本武尊・白鳥大明神)と、蔵王や遠刈田の温泉発展の元となった「蔵王山詣(祭神は天之水分(あまのみくまり)神・国之水分(くにのみくまり)神)」の二社がある、と地元の蔵王町観光協会には説明されてるが、前回のと、この山頂のは後者だろう。

御釜もあんなに小さくなった(パノラマ3枚・ほぼ180度)

さらに神社より先に、まだ少し散策路が続くので、歩いて行く内に風景は……↓

うわ〜! 下界が一望〜(≧▽≦)!(パノラマ4枚・180度)

↑の逆側を写すと、右にある山が左に来る。↓

「奥之宮」から、さらにこれだけ歩いた(パノラマ4枚・180度)
ここに建つ↑の黒い石碑は……

「伊達宗高公・命願の跡」
先頭に伊達家の紋が入っている。
←ここの「賽の石」も凄かった。

伊達宗高とは、伊達政宗(17代・独眼竜)の第七子で、柴田刈田(三万石)村田城の城主である。右衛門大夫。

刈田嶽が大噴火した時、領民の惨状見るにしのびず、火煙にむせびつつ身の危険を顧みず、この嶽に登って命願をかけた処、噴火は急に鎮火した。

刈田嶽の噴火は1623年とも言われ、宗高が願をかけたのは、その翌1624年であるが、最初の噴火より惨状がやまなかった事に、心を痛めたのかもしれない。

宗高は京で従五位下右衛門大尉に任ぜられ、二条城の守護にあたっていたが、命願の定める期日(命願とは、自分の命を捧げて成就を願う事)である三年後の1626年8月17日、疱瘡を患い没した。享年20歳。
龍島院殿涼山英清大居士と号し村田町龍島院に埋葬。

この碑は宗高の遺徳を後世に伝えるため、大正15年「300年祭記念事業」として建てられた記念碑だったが、その後の風雪で荒廃したので、昭和42年、宗高の命日である8月17日に、再び芳志を集って建て直された。

記念碑の裏には
崖までエンエンと「賽の石」が……

ここの「賽の石」は、ことのほか大量だった。

ここが頂上で、この先に陸地が無い事もあろうが、噴火地獄に苛まされる領民の、宗高を慕い、感謝する気持ちが伝わって来る気がした。
宗高の死は幼少時でこそ無かったが、その父、伊達政宗の死より10年ほど早い事に同情し、同じように若くして子を亡くした人が思いを重ねる事も多いのではないだろうか。



<山形県に入る・御釜〜上山温泉方面>

今回の東北旅行レポ、「宮城〜山形」と題し、「5回シリーズ!」とか言っておきながら、山形県に入るのが5回目の後ろの方だという……(^_^;)。。

写真は「御釜」を出てから、ザックリと撮ったので、未だ宮城県内のもあるかもしれない(^^ゞ。

御釜を過ぎると急に視界が拓け
のびやかに広がる午後の山脈

地図G←今までのより、ちょっと縮小地図。左端に「上山温泉」、右端に「御釜」。
一方、上山温泉に向かう途中の分岐で、北(上)に向かうと「山形蔵王」(いわゆる「蔵王温泉」)に出られるコースでもある。

いずれにせよ山形県だが、我々は山形蔵王には行かず、上山温泉に向かう。

拓けた一帯と
森林の合間を行き来

パノラマ2枚。遠景のみ繋ぐ。

山と緑のドライブ・コース!(^O^)

途中「猿倉レストハウス」で運転休憩(^_^A)。ちょうど上山温泉ルートと蔵王温泉ルートに分かれる分岐点あたりかな。

駐車場には「玉こんにゃく」など、地元野菜の直売店とかあった(^^)。↓

猿倉レストハウス(パノラマ3枚・ほぼ180度)

ここで遅まきながら昼食。私は山ぶとうジュースと山菜蕎麦を食べた(^^)。

亭主は、ここの名物ジンギスカンを。ジュウジュウと美味しそうだった〜(笑)!

食事&休憩の後も
車で一路、先を急ぐ

おおおおっ、里に降りて来たねぇ〜(^^)。いい風情♪

暮色の差し掛かる中を
いよいよ上山温泉へ!

前回、「上山温泉と上山城に出た所まで」と予告したが、ちょっとズレて申し訳ない(^_^;)。
次回は必ずぅ〜!

というわけで、東北レポ(宮城〜山形)は、次で最終回。
引き続いて次回は、2007年11月と2008年2月、二度に分けて行った千葉県「香取神社」にも入りたい!

ま〜た来週ぅ〜(来月だってば)。。

<つづく>

2008年03月24日
 
     






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