<2004年・城主のたわごと5月>




さて2002年7月箱根旅行編も、ようやく今回がラスト(^_^A)。

「彫刻の森美術館(後編)」「関所跡・箱根神社」「早雲寺」の三本立て〜♪




     
  「箱根編」続行。完結編。



<箱根、「彫刻の森美術館」、2>

低地の渓流の森(「3月のたわごと」参照)を元に戻る。ブールデル4点の左手に(足跡の階段を下りずに進むと)広がる中央広場。

空を映す金の大玉
中央広場の彫像
地上を映す銀の大玉

↑改めて芝生に並ぶ彫像を見ながら、さらに奥に進む。

奥の広場につづく橋を渡ると、空を仰ぐ巨人のシルエットが、雲を背景に突然浮かびあがる。近付くと、大きな手の、親指と人差し指に足を乗せて、大空を仰いでいる。

空に浮かぶシルエット
橋の途中。通り過ぎる
渡り終える。

橋を渡った奥は山を背景に森に囲まれた場で、メルヘン調の小道が始まる。

ここに到る前にも、室内とかけっこう外界と遮断された場も多く、天然の陽光を利用した面白い空間などもあったのだが、撮影するとなるとつい日の当たる場所を撮ってしまう(^^ゞ。

さらにちょっと奥まった一隅では、アジサイが陽を浴びていた。

どうも自然物に目が行って(笑)、彫刻そっちのけで撮影してしまう。

さて、今いる位置はと言うと……先ほどの手のひらに乗る巨人を振り返る。
こんな感じ。↓

この地上に倒れている物体は?(笑)↑

↓何だろう、と近寄って行くと、これも彫像だったり(笑)。

地上に接吻してる裸の像
渡って来た橋に近付く
今度は背向けポーズ

さてメルヘンの小道(いま命名:笑)を歩いて行くと、下のように所々アジサイの咲くのが見える。
やがて少し拓けた広場に到着。レストランやお土産売り場のある建物に達する。

アジサイの小道。白いオカリナのような彫像
やがて広場に。草を食む動物?(笑)

レストランやお土産売り場、と書いたが、たぶん他にも展示物があるんだろうと(^^ゞ。別料金だったかなぁ……。何しろ下の白い建物がそれ。
ここでほぼ美術館の敷地を全周してるから、そろそろ足もくたびれて来て(笑)、「ちょっと休みたいね」という話に。

白い建物の前には、おやおや先客が(笑)
既に仲良くお休みのご様子♪

ピーカンに晴れてれば、上の二人のように(笑)芝生に腰掛けて休みたい所だけど、この日は終始曇り模様で、芝生も湿ってるし、お腹も空いたので、芝生は通り過ぎて私達は建物の中に。

食事はあらかじめ他の所で取る約束をしてたので、建物の中ではお土産だけ物色した。
美術館の土産売り場だけあって、面白い品物が多かった。私も亭主もお守りみたいなキーホルダーを買った。
私は紺色のガラス玉(と思う(^_^;))で、仕事運か何かだったと思う。
この後わりと各仕事とも好調だったので、後になって「箱根は相性いいのかもっ(#^.^#)」なんて喜んだんだが、もしかして良すぎたのか、ドンドン忙しくなって「たわごと」もこの遅れ具合だったり(笑)。

さて、休憩が終わったので再び外に出る。
「行こうか」と二人で合図もなく真っ直ぐに向かったのが下の塔↓。巨大ですごく目立つ。

中に入ると、なんと全面ステンドグラスになってて、中央の螺旋(らせん)階段を登って屋上にいく。

ステンドグラスを細かく見ると……様々なドラマが描かれていて、見てるだけで楽しい。

仮面舞踏会?
騎士と騎馬
屋上近くには天使や愛の世界が

上の写真に写ってる手前の影は螺旋階段の「手すり」。

この塔自身はやはり目立つと見えて、他のお客さんも大勢上ってたが、わりと階段が急というか、カメラなんか構えてると落っこちゃいそうで(^^;)、皆わりと「キャーキャー」言いながら急いで登ってしまい、ここで写真撮ってる人は愚か、ステンドを見てる人も殆どいなかった。
ちょっとした「命がけの撮影」だったかも(笑)。

←さて階段を上がりきると、ここ、相当高さがあるんだろうな、周囲の風景が一望のもと。

下に続くのは周囲のパノラマ写真。
続けてるので一直線になっちゃってるけど(笑)、実際にはグルリと円状に囲まれている。

箱根の空は、下のようにモクモクと雲が常にあって、いつ霧が起こるかわからない。
この空模様が館内の彫刻に、微妙な光と影、そして背景を与えて、彫刻たちの姿は一定にとどまる事はない。


「彫刻の森美術館」を出ると、そのお隣のレストランでランチを(^^)。
美術館に入る前にメニューを見たら「ランチ・バイキング」とあったので、ちょっと楽しみにしてたのだが、これがか〜なり得点高い!(爆)

値段は1人1500円と安くもないが、メニューが豊富で、100種類近くあったかな〜(^^ゞ。
大抵バイキングって、頑張れば全種類食べられる物なんだが、こうなるとちょっと苦しい(笑)。
それでもそれぞれ、大きなお皿にホントに「チョコ」っとづつ盛り入れて、全種類がんばってみたり(爆)。

ここから彫刻の森の広場がよく見渡せて、なかなか良いレストランだった。
土産売り場には、なぜか綺麗な万華鏡が種類豊富に置いてあって(゚.゚)、万華鏡に目の無い私は「おお〜」とかずいぶん見入っていたものだが、「早くしないと神社とか行けない時間に……」と思って、次に移動。



<関所跡・箱根神社>


↑に行った。
これまでは「3月のたわごと」でも書いた通り、138号線を宮ノ下で1号線に右折し南下した周辺にいたのだが、その一号線をさらに南下して芦ノ湖付近まで出る。

残念ながら「関所跡」は工事中で、ちょっと見た目は良くなかった(^_^;)。
中には入れて、これも子供の頃に見て喜んだ覚えがあるのだが、蝋人形を見ながら「入り鉄砲」「出女」などの説明に聞き入ったり、関所資料館の資料も、(子供の頃は何だかよく判らなかったが:笑)感心しながら見た。

箱根一帯は関所を守るために、郷民も協力していて……という事が書かれていて、確か武器の携帯を許されたとか書いてあった気がする(議事録にも書いたんだよね:笑)んだが、こう時間が経っちゃうと頼りになるのは写真のみで、あまりいい加減な事を書き散らすのはやめておこう(笑)。

現在、関所跡をあらたな史料にもとづいて再現するべく工事が行われていたようで、完成はわりと遠かった覚えが……(汗)。
でもそのうち完成したら、もう一回行ってみたいと思う。

次に向かったのは箱根神社。芦ノ湖の湖畔に位置する。
この関所跡に向かったり、箱根神社に行き来する間、周囲に霧がちょっと出たりして、「いかにも龍神が出そうな雰囲気だよね」と言いながら、鬱蒼としげる杉の参道をいく。

霧については、この翌年にいった箱根旅行でかなりの写真が撮れたから、その編に至ったら(いつだい?;笑)お見せしようと思う。

時間がそろそろアウトで、資料館などには入れなかったが、九頭龍神社がまだ入れた。
お祈りしたり散策したりのうちに、ジワジワと辺りが「閉館」の雰囲気になってきたので、急いで売店にいき、「龍神物語」という本を1冊購入。

これは中を読んでから判ったのだが、箱根神社内の九頭龍神社の神主さん(なのかな)が書かれてる本で、龍神さまに供物を捧げる「湖水祭」のありようがかかれていた。
供物は赤飯で、真夜中の闇の中を芦ノ湖に漕ぎ出していくという物で、「暗くて水は深くてコワイ」とリアルに書かれてる所、また、芦ノ湖に伝わる龍神伝説についても、古くからの文献(箱根縁起)に基づいてちゃんと書かれている点、買って良かったな〜(^^)と思っている。

箱根神社には翌年も来たので、内容について書くのはその時に譲ろうと思う。

箱根神社の境内には、七福神巡りというのもあって、ちょっと散策しながら弁天さんの祠に行ったりしてる内に、そろそろ日も暮れて来て、次に移動した方が無難かな、という雰囲気に。



<早雲寺>

最後にどうしても行きたいと思ってた所が早雲寺だった。
これは湯本に出る。芦ノ湖を北上し、宮ノ下で138号線を右折。前日ルートでは『玉簾の滝』と『飛烟の滝』を見た「天成園」あたりに近い。

早雲寺に行く前に……と言うか、早雲寺の「お向かい」にある、こんな旅館を見た(笑)。

う〜ん、二階部分で見事にちぎれてしまったが(汗)、「繋がってる気分」で見て下さい(だいたい上下4枚の写真を繋げるのに元々無理が……:苦笑)。

もっとイイ写真ならこんなサイトを(笑)。

城郭のようなココは「花紋」という旅館。ちょうどデジカメの電池が切れたので中に入ってみた。

普通は売ってないのだろうが(当たり前:笑)、無理を言って、電池を売って貰った。
ついでに「日帰り湯(温泉)」の値段を聞いたら「三千円」との回答。
……入湯はやめておいた(汗)。

亭主が立ってる後ろにある看板には、「戦国の世を制した豊臣秀吉が、小田原城攻めに築城しせり「一夜城」はこの地なり」と謳っている。
この場合の「一夜城」は墨俣城ではなく、石垣山城のことで、この前日に訪れた「底倉の湯(太閤の湯)」に曰くがあった通りである(「3月のたわごと」参照)。

さて、本格的に早雲寺に入る。北条五代の菩提寺である。

この日はもう時間も無いし、だいたい早雲寺は下の写真(左)の通り、正門は閉まっていた(汗)。

早雲寺山門

門の前にあった立て看板によると、

「一、早雲寺

早雲寺は、大永元年(1521)北條早雲の遺命により、その子氏綱によって建立された寺であり、以来北条一門の香火所としてその盛衰をともにし現在に至っています。この寺には、北條文化の香りを伝える数多くの文化財が残されており北條文化を語るのに欠くことのできない寺です」

ちなみに大永元年と言えば、かの武田信玄の誕生年であったなぁ、とか思った。
じゃ、中に入ろうか(笑)。
上の説明に補足すると、早雲を初代として氏綱は2代。
上の通り、後北条氏の侍たちが参詣に訪れたと見られ、また湯本は前は門前町で、温泉は参詣者で賑わい、早雲寺の興隆とともに栄えた。

←中に入って最初に目に入るのが、この梵鐘。
県指定の重要文化財。前の立て看板には、

「元徳2年(1330)鋳造。豊太閤、天正18年小田原攻めの時、石垣山一夜城で使用したものです」
とある。天正18年は1590年。

日が暮れて来たので、後はただただ慌てて写真を撮りまくる(汗)。下の写真二点がまさにそれ。

連歌師飯尾宗祇(そうぎ)の句碑があると聞くが、右下のがそうか……?

そして暗がりながらも、結構スゴイと思った、下のが、有名な早雲の三男・幻庵の作と伝わる「枯山水の庭園」であろうと。
日の暮れ方がここに来ていきなり早く、実際にはもっと暗くなっていた。


さていよいよクライマックス。って、何か肝試しみたいだが、そんな時間になってしまった(笑)。

←境内の奥。長い階段を上って、北条五代の墓に至る。
途中に連歌師飯尾宗祇(そうぎ)の墓。↓

そして……ジャ〜ン! 北条五代の墓(くっ、暗っ!)
何か殆ど心霊スポット巡りに近付いてる気がしなくもないが(汗)、めげずに続けよう。

「史蹟北條五代の墓

天正18年(1590)4月5日、豊臣秀吉軍は箱根山を越え早雲寺に入り本陣とした。
6月下旬石垣山一夜城が完成すると火を放ち、当時関東屈指の禅刹として威容を誇った早雲寺の伽藍、塔頭寺院は尽く灰塵に帰したのである。
 7月5日北條氏が降伏し、同11日氏政・氏照は切腹、氏直は高野山に追放され、翌天正19年11月4日逝去した。なお北條一門では、伊豆韮山城主であった氏規(氏政の弟)が秀吉より大阪河内狭山に約一万石を許され(狭山北條氏)、鎌倉玉縄城主氏勝が家康の傘下に入り、下総岩富に一万石を与えられて(玉縄北條氏)、その家系は江戸時代を通じて存続している。
 早雲寺の再建は、元和・寛永期に当山17世、菊径宗存によって着手されるが、その復興に北條両家の外護は欠かせないものであった。
 こうして、北條五代の墓は寛文12年(1672)8月15日狭山北條家五代当主氏治によって、早雲公(伊勢新九郎長氏)の命日に竣工したのである。小田原北條氏滅亡から82年後のことである」

このあと、北條五代の初代から五代までの説明書きがあったが、字が小さすぎて(暗かったし)読めない(^^;)。生没のみ記しておく。

初代:北條早雲(1432〜1519)
二代:北條氏綱(1486〜1541)
三代:北條氏康(1515〜1571)
四代:北條氏政(1538〜1590)
五代:北條氏直(1562〜1591)

この北条五代は、全て父→子への直系相続で、兄→弟、叔父→甥など養子による継続は無い。

連歌師宗祇についても説明板があったが、これはかいつまんで(笑)。

連歌士、飯尾宗祇(1421〜1502)は近江か紀伊の出身。西行や芭蕉とならぶ句人。一条兼良、東常録から古今伝授を受け、多数の著作を残し、三条西実隆、周防大内氏、越後上杉など、多くの貴族や大名武将を指南、すぐれた弟子を輩出した。
1501年2月に弟子を連れ、越後上杉氏から関東で連句を催しながら美濃に向かう途上に客死。享年82歳。

弟子たちが箱根を越え富士裾野の定輪寺に埋葬し、終焉の地には供養塔を建て、この供養塔が早雲寺の墓。
江戸時代、宗祇を偲ぶ俳人や旅人が多く早雲寺を訪れ、蕪門の服部嵐雪が1699年に句、北村季吟は1701年に連句など、他に画像を奉納する者も多く、中でも稲津祇空は宗祇の墓前で剃髪し、江戸で活躍のあと、再度早雲寺で草庵を結んで、死ぬまで(1733)宗祇の墓守を真っ当した。



<エピロ〜グ♪>

例によって、とっぷりと日は暮れた(笑)。

「でもでも、行きにアジサイが写せなかったよっ(TOT)」という事で、湯本から138号線を御殿場にバック。

途中、再び「紫陽花ロード」を通ってみる。

むろん既に真っ暗(汗)。

右の写真はどうにかこうにか写した一枚(笑)。

この年は特に亭主が疲れ切っていて、この後も何かと言うと「何か滝とか渓流、原っぱなんかで横になるとか、疲れを取りたい」を連発(笑)。

まあ今回は、(たまたま)行った先々に滝も渓流も多かったので、亭主の箱根印象はググンとアップしたようだが(笑)、亭主は箱根を去る間際「あと温泉かな〜やっぱ」と付け足した(汗)。

「温泉ね〜(^^;)」と言いつつ、とりあえずは夕食を食わねばならぬ。138号線を行ったり来たりしつつ店を探したが、良さそうに思えて入っても値段が高かったりで、どんどん周囲の明かりは消えていく。

最後は「まあ食えれば」という事で、外観は無視して適当に開いてる店に飛び込んだ。亭主は肉料理を私はパスタを注文した所、これがものすごく美味い!(笑)
「箱根って食い物、ウマイよね」が夫婦の一致した見解となる。

何しろ亭主の「東名制覇(意味不明)」はとりあえず初段階を終え、この日は無事に帰宅した。
新たな課題、「温泉」については、翌年に達成となるが、それは又そのうち(いつだ?:笑)のお楽しみ〜♪

<つづいてるような終わってるような(笑)>

2004年05月14日
 
     






ホーム