<2004年・城主のたわごと2月>




再開したはいいけど、時間経ちすぎて記憶が怪しーー!(^^;)

さて、ウマウマと箱根に初入りするまでの物語(笑)。




     
  2月ですね(笑)。
月日はさっさと経つのに、レポートはトロトロ(^^;)。

前回の「たわごと」(1月)を書いてから、亭主が、
「あれ? あの前日は俺、ずっと会社行ってなかったっけ?」とか思い出し、
「え? そうだっけ? それって石和の時(同じ年の1ヶ月前の旅行)じゃなかった?」
と双方、記憶がかなり曖昧なことを再確認(笑)。

しかも亭主、
「あれ? 前日って箱根に泊まってなかったっけ?」と訂正記事を書き出す私を、さらに翻弄(苦笑)。
「そ、それは、次の年の山中城祭りだよっ」と私。
「あ、そうだっけ。じゃ、朝、雨が降ったのは……」
「そ、それは〜〜、え〜と(汗)」

やっぱり一年も経ってからだと、記憶も混ざっちゃって、こんな調子ですからね〜(笑)。
よく「後述記」とされる、ナントカ合戦の記録とか、どんな武将が何をしたとかいう話が、何かどっかで読んだ臭い他の話と似てる感じがするのって、無理ないんじゃないかな〜、なんて思ったり。。。



<宋閑寺(つづき)からっ>

さてさて、お祭りの後は、念願の山中城探索の始まり始まり(^^)。

まずは出発前にお墓参りです。

この宋閑寺には、城主・松田康長、副将・間宮康俊などの墓があります。
隣には豊臣方の武将・一柳直末の墓も。

「これから山中城に行きます」とご報告♪

観劇の最中から、上杉播磨守定景さまや相模守太郎さまともご一緒となりました♪
一緒にお寺にも来て、ここからはみんなでお城巡り〜(^O^)/



<山中城へ>

←左・普段着の三方(笑)。
ご存知、こたつ亭主(笑)、上杉播磨守定景さま、相模守太郎さまっ。

↓下・山中城に入って来ました!

何しろ地元の方の案内ですからね〜。スイスイ〜とお城の中にも入って来られました。
上が入り口から続く、お堀の跡。お祭りで貰ったパンフレットの地図で見ると「三の丸堀」というのが、ここに相当するのでしょうかっ。

下は、左が溜池。パンフには「田尻の池」「箱井戸」とあります。右は池を通り越して、いよいよお城の内部に上がって行く坂道。


坂道を登って行くと、広い広場に出ます。下の写真では左がそうです。
ここが、山中城でほぼ一番高い位置になるでしょうか。「西の丸」という所です。
大きな御殿などあったのでしょうね〜。子供が大喜びして走り回れるほどの広さでした(^^)。

下の右の写真は、これが有名な「障子堀」です。
ここでは一点だけの紹介ですが、こうした障子堀が、この広場の周囲を取りまくようにエンエンと続いて掘られているのです!


この障子堀を見ながら、私とうーろんちゃんは「あの一隅でいいから土地が欲しいよね」「住むならアタシはあっち側で、じゃおたくは向こう側を〜」とかいう、アホ話をエンエン展開したわけですよっ(笑)。

そして、下の写真左。スゴイスゴイ、と下を覗き見る私達。
最中餡十郎さんが、さらに先にある「西櫓」を指差して、その向こうに上がるノロシを見て、当時は戦略上の合図とした話をして下さいました。

右は、この「西の丸」から、登ってきた坂道の横に位置する「二の丸」に下りて来た所。
ここもかなり広いんですが、二の丸の向こうには、道路を挟んだ向こうの敷地、劇をやってた「岱崎出丸」が見えるのです。
(写真は小っちゃいけど、ちゃんと音楽も聞こえて来るし、劇をやってた砦風の木の組み立てや幟がわりとハッキリ見えました!)




<草団子の茶屋(笑)>

劇に出ていた方々(最中餡十郎さま、惟新入道さま、ぷくぷく志摩の守さま、のりび様、じーや様、うーろん様)は、後片付けと反省会があるので、我々見学組だけ、「お団子タイムをしよう」というノリに……(笑)。


実は、こたつ城主、最初に山中城に来た時から、近くの茶屋に目をつけていたのです(爆)。

で、期待通り(笑)、お蕎麦とかかやくご飯とか頼んで食べて、「美味しかった」事をよく覚えているんですが、何しろ時間が経って、何を食ったのかをよく覚えてません(爆)。

ここに東方賓従者さまが遅れて登場(笑)。
「じゃ、山中城に行きましょうか」
と仰るのですが、我々(上杉さま、太郎さま、ウチら夫婦の4人)は、ニヤニヤして「もう見て来ちゃった」(笑)。

というわけで、この後も少しだけ、またお城の中に入ったりしたのですが、殆どはここで過ごした「お団子タイム」が、こたつ城主の脳裏に、その「美味しい記憶」として残る事となったのです。

草団子が美味しかったのぉ〜〜〜〜〜(TOT)。。←泣くなよ

上の写真、右側ですが、もう1回お城巡りをした後で、戻って来た歩道橋にいる所です。

どうでもいい事なんですが(笑)、これもこたつ夫婦の記憶に妙にクッキリ残ってるので。

この歩道橋。遠くから見ると「木で作った」ように見えるんです。
だから、戻る方面とは逆なのに、こたつは「本当に木かどうか確かめる!」と一人走って行ってしまったのです(笑)。
後を追う上杉さまと太郎さま。
みんなで触って「石だっ! 騙された!」と“恨みの声”を残したのであります!!


そして再び戻ってくる茶屋(写真・左)。
ん? ……よく見ると……?(写真・右)

「おおっ、木枯らし紋次郎が店に来てる!」(爆)

しかし左の写真の通り、店は私達を最後の客として、既にカーテンが下り、店じまいしているのです。
「という事は、泊まり客かな?」(爆)



<箱根っ〜渋滞(苦笑)〜帰宅〜>

この後は、ウチの車に上杉さまを、太郎さまは東方賓従者さまの車に乗って、東方賓従者さまが先導で箱根に〜(^O^)。
これがこたつ達の「初箱根入り」となったのです!

この東方賓従者さまの先導、上り下りのキツイ曲線を、実に巧みにハンドルさばきをなさるのです。
そして実は亭主、今でもこれを「箱根ドライブ」と名付けてマネしてます(笑)。

もう時間が遅いので、箱根神社とか閉まってましたが、東方賓従者さまは曽我兄弟の墓とか、いろいろ案内して下さいました(^^)。
あいにく雨も降り始め、また日も落ちて暗くなってきたので、途中で解散となりました。

が、渋滞に巻き込まれ(行きはスイスイだったが、やはりここで追い付かれたか、って感じでしたわっ( ̄∇ ̄;))、神奈川から世田谷に入ってくる前に高速を下り、上杉さまとは桜新町で一緒に夕食を(笑)。
その後、本格解散といたし、上杉さまを近くの駅に送り届けた我々は(実はこれを探すのに、エンエンと連れ回して時間が遅くなってしまった:笑)、それから松戸に帰って行ったのであります。

亭主、やっと東名に乗ったよね(笑)。

<つづく>

2004年02月17日
 
     






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