<2003年・城主のたわごと4月>




「富浦」の先には「館山」がある!

行け行けドンドン、里見の本拠はすぐそこだぁぁ〜〜っ!





     
  4月も終わってしまう(汗)。急がないとそろそろ記している事より一年以上が経ってしまうのであった。

さて南総コース旅行記の続き。



<館山の一夜>

富浦を出ると、ドップリと日は暮れた。しかし反面、渋滞はすっかり解消されて館山までスンナリ行けた。
夜7時ごろ街中の本屋さんに入り、館山周辺のガイドブックなど買って、ふとカウンタの近くを見ると、「里見合戦まつり」のビデオが置いてある。

本屋さんの話では館山の北条海岸という浜辺で行われる合戦祭りらしく、ナント石和からも親睦を兼ねて信玄公が出演するとの事だった(笑)。

石和については「こたつ城」→「石和川中島合戦戦国絵巻」コーナーでも参照して頂くとして、本屋さんは「ここには昔から続いてる夏の神輿祭りがあって、土地ではそちらがメインだから、信玄や合戦祭りが見たいなら、甲府でやる方が全然本格的」との事だった(笑)。

しかし実はこの里見合戦祭り、私は既にテレビで見た事があり、それも、こんな所が同じ千葉県だなと思うのは、やってた放送局が「千葉テレビ」だったりしたのだ(笑)。確か海から船を寄せて来て、その船には武田信玄も乗ってたような……(笑)。そして北条海岸に上陸し、援軍に来たよとばかりに信玄は陣入りし、やがて殺陣などの斬り合いが始まり、最後は夜空に花火が上がる……といった感じだった。

さてさて祭りはその内来るかも来ないかもしれないということで(笑)、何しろ車に戻ると、亭主は「泊まれる場所を探さないと」と早速言う。
ところが館山市というのは意外と開けた都市で、車を泊めておける空地なんかすぐ見付かりそうもない。
まずは翌日見る予定の館山城まで行き、そこから近い駐車場を探そうという事になった。
館山城にはすぐ着いた。そして、もう夜というのに駐車場にもスンナリ入れた。

「ねえねえ、車が沢山あるね」
「ホントだ。お城の関係者?」
「ねえねえ、また車が来たね」
「ホントだ、こんな時間から??」

お城の場所は確認したから、次はご飯を食べる場所を探そうと車を走らせる。すると亭主が「さっき買ったガイドに、温泉だけ入らせてくれる宿が載ってた」と言うので、温泉は時間制限もあるため、ご飯は後回しにして温泉宿に急いだ。

館山よりさらに南方面を海岸に沿って車を走らせる内、「入浴だけでもOK」とガイドにある「海の湯宿、花しぶき」に到着。宿の駐車場からはすぐに浜辺が迫って、闇の中からザブンザブンと波音が聞こえて来る。
「バリ島に居るみたい」
といった風情で、生暖かい風の吹く夜の島(実際には半島です、はい)に、バンガローにでもともる灯りのように、宿の灯りが目に映る。

お湯だけ貰いに来る人も多いらしく、豪華な旅館だが親切に案内してくれて、我々は温泉に直行。ゆったりと浸かった後は、お土産コーナーに寄ってみる。
「おおっ!」
驚愕したのは、富浦の道の駅以上に、「枇杷キャラメル」「枇杷ゴーフル」「枇杷羊羹」「枇杷キャンディー」、等が沢山あり、どれも枇杷ビワびわだらけである!

とりあえず、車の中で食べられそうな「枇杷キャラメル」を買ってみる。後はどっかに行った時、誰かに「千葉のお土産だよ」と渡せるように、日持ちのする食べ物をと思い、「枇杷羊羹」を買ってみた。

車に戻ってキャラメルを食べてみる。
「美味しいね(^^)」
「うん、もう一個ちょうだい(^^)」
二人とも上機嫌で館山城にバック。

館山城は、相変わらず駐車場にスンナリ入れた(笑)。
「戻って来ちゃったけど、どこに停めようか」
「う〜んと……先にご飯食べに行こうか」
「あ、そうだね」
幾らなんでもキャラメルで済ませるワケにも行かない。二人ともお腹ペコペコだった。

車を走らせる内にトンカツ屋を見つけ、中に入って食事する。ようやく満腹になって……又しても館山城に戻って来てしまう(笑)。他に行き場がない(^^;)。

「あのさぁ、あの車ってさっきからあるよね」
「うん。あっちの車もさっきからあるよね」
「……」
「……」
「ここに入る所に、確か交番があったと思うんだけど」
「うん、人が居たよね」
「……」
「……」
「ちょっと寝ようか。もう眠いし」
「うん、もう寝よう、お風呂も入ったしご飯も食べたし」

駐車場の入口のすぐ側に交番があるのだ(^^;)。問題があるのなら、ここに三度も入って来るウチの車に何も言わないハズが無かろうし、何なら言われてからどけばいいだろうと寝てる内に……朝になった(爆)。

正確には寝てる途中で、二人ともトイレに行った。前から車の中で寝泊りするのに、トイレが側に無いと不便だと聞いていたが、実際便利で良かった(笑)。

朝5時ごろだったか。ドンドン車が入って来た。何事かと目をこすって見てたら、車からワラワラと人が出ていく。私だけ起きて人々の後について行ってみると、お城の広場に大勢の人が集まっているのだ。
広場に円形に座を占めはじめた人々が、各々ドカッと腰を降ろして、ワァワァと荷物を広げ始める。
不思議な事をする、と見ていると、みんな持ってきたお重や大きなタッパをそれぞれ廻し始める。そして廻って来た器から、好きな惣菜をお箸でつまんで自分のタッパに入れ、次の人に廻す。

「スゴイ! お惣菜市場なんだ!」
私は物凄く感動してしまった。車に戻ると亭主をグイグイと押して起こし、
「見て見て、面白い事やってるの!」
と騒いだが、亭主は死んだように眠って動かない。

五十人は居ただろうか。もっと居たかな。何しろその大勢の人々は一通り器を廻し、楽しそうな歓談が終わると、さっさと車に戻って来て、そのままバンバンと去って行った。
「そうか。これをやるために、駐車場を空けておかないとならないんだ!」
私達はこれのおこぼれに預かって一夜の宿を借りられたのかもしれない。何となく去って行く人々が、地元の神様かお地蔵様に見えてしまった(笑)。



<朝の北条海岸(たぶん)>

そうこうする内、完璧に朝である。

亭主は起きたが、やはり車の中ではよく眠れなかったらしく(私もそうだが)、「次から車中泊はやめよう」と結論(笑)。何のために目こぼしを貰った(ワケでもあるまいが、結果的にはそういう事になる)のかよく判らない。

二人ともボンヤリしながら、まだ城は開かないので、先に周辺を見学しに行く事となる。

←まずは「おはよう、館山城」である。写真パチリ。

地図を片手に、とりあえず朝飯を食いに行こうと、海岸沿いを走らせる。
ファミレス発見。入る。
朝食メニューは卵料理とパンとコーヒー。それにフルーツのふんだんについたセットで、目の前の風景は窓いっぱいの海。再び、
「バリだ」(笑)

朝食が済むと、食ってる間じゅう目に焼きついた海辺にちと出てみたくなる。
……と言うわけで、ちょっと朝の散歩などして眠気を覚まそうとした。
ここがどうやら北条海岸らしい。↓



<大巌院>

さて、次はガイド片手に早朝でも入れそうな寺巡り。まずは慶長年間に建てられたという「大巌院」。↓

お寺の入口のすぐ横に群生してたピンクの花。
この花大好きなのだが、名前を知らない。

誰かにリュウキュウ何とか聞いた気もするが、勘違いかもしれない。ご存知の方おられませんか?

←で、ちょっと拡大してみたり(笑)。
何となくメルヘンムードのワンちゃん達。

南国の島って感じがする館山だったが、動物ちゃん達にも、全体的にポケ〜ッとした感じが多く、こんな風にあまり警戒心もなく、ガサガサと森から出てきてこっちを見たりしていた(笑)。

上記のごとく、どっちかと言うと「歴史探訪」より、主に自然物に見入る事が多く、5月という季節のせいもあるのだろうが、それより……何でしょうね(笑)。やはり館山という土地には自然が他と一味違った感じがあって、どことなく新鮮だった。



<慈恩院>

で、本腰入れて史跡探訪その一、里見家ゆかりの「慈恩院」。

↓正面入口。
入って参道から入口を振り返る。↓
←中に入ると5月の庭園が見事に彩られていて、とても美しいお寺だった。

「慈恩院」については、案内板によると以下の通りに書かれている。

「房総里見氏9代、義康の弟、玉峯和尚が、天正9年(1581)に創建したと伝えられ、曹洞宗で、城内に祀られていた千手観音、聖観音の両菩薩像を移し、里見家の持仏堂としたのに始まると、慶長8年(1603)義康はこの持仏堂を藤谷山慈恩院として開基し寺領4貫8百文を寄付した。徳川幕府も、寛永13年(1636)寺領15石の朱印状を下付している。境内に義康の墳墓があり、また源氏里見系図その他の古文書が遺されている。
平成7年1月  館山市」

で、この案内板にある通り、この庭園を通り過ぎ奥まった場所に、下二つ(左右)の写真が里見義康の墓。↓
↓遠くから南国情緒な雰囲気
近くに寄ると間違いなくお墓↓

さてさて、これで朝の寺巡りは一通り終わった(^_^A)。うむうむ、なかなかに爽快な早朝の館山に一しきり満足のこたつ夫婦である。

いよいよ、そろそろ、お城の開く時間である(^^)。楽しみ楽しみ♪ 次回も乞うご期待(笑)。

<つづく>

2003年4月30日
 
     






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