<2002年・城主のたわごと11月>




更新の無い1ヶ月……。せめてここだけは書いておこう(汗)。

不穏な大原での、何とも意外な出会い♪ それは……。




     
  最近、大したこと無い作業に手間取る(「失敗に足を取られる」と言うべきだろう)。

作業効率はアップしてるハズなのに、時間は同じ……下手すると前より遅れたりして(^^;)、「年を取った」現象と見るべきか、確実に集中力が落ちている気もする(汗)。

あ、でも今月は風邪ひいたからなぁ(^^)。な〜んもせずに寝てた日もあったしぃ。

……言い訳になるだろうか(-_-;)。来年は風邪をひかないという確証が何処にあるのだ。
反省しろ! 早く仕事しろぉぉ〜!(きゃー(>O<)!)

さてさて、久し振りに「たわごと」(^^)。(←現実逃避)



15年前に小浜城に来た時は、タクシーから降りたとたん風雨が激しく、今立っている広場からも、そこから見える小高い丘をのぼった時も、ひとたび突風でビュンと飛ばされれば、ボチャンと海に落っこちかねない気象状態であった。
そして何故か、まるでジャングルの中でもさまよっているような、不思議な快感があった覚えがある。

今はその丘が月光に照らし出され黒々と目の前にうずくまるのを見て、「行ってみたいなぁ」と言ったのだが、相変わらず初老の男性は「もう遅いからダメダメ」と牽制するので(笑)、おとなしくもう一度神社の方に戻った。
そこには立て看板があったが、車から持ち出した懐中電灯で見ても、もう暗くてあまり読めなかった。

後で各サイトや手持ちの本を調べた限りでは、城は土岐氏によって創建され、万木城の勢力下から里見氏の勢力に組み入れられたそうだ。
天正16年(1588)、城将の鑓田美濃守が北条氏との合戦で留守の間、北条方であった正木氏に攻撃されて、この城を取られた。それで翌年、鑓田は夜間に小舟を寄せて夜襲でこれを奪還。
やがて時代がたつと、徳川家康の勢力が入って来て、鑓田は敗走したという。

恐らく、この徳川勢力というのが本多忠勝の軍なのだろう。これはこの旅行の後で、私が個人的に知った事であるからして、亭主は未だに、
「本多忠勝は左遷されて大多喜に来たのかも」
などと思っているかもしれない。雄々しい奴(爆)。

看板にもこの天正16年の事は書いてあった。15年前にここを訪れた時にも確かこの看板はあり、「鑓田美濃守」という、妙に実在チックな戦国武将の名が記されている事に驚いたものだ。

「そうそう、鎗田美濃守だった、懐かしい〜!」
などと私らが騒いでいると、イキナリその男性は、
「私はこの辺りの史跡や文化の担当をしていてね。だから時々この辺も見回ってるんだよ」
と切り出したのである。
「えーーーっ?!」
「昔、この城を題材に書かれた小説があってね。オヤジがそれを、もう一度出版した事があったもんだからね」
「えーーーーーーっ!!!」

それが江見水蔭の『海中桜』だった。
私達はひとしきり感慨に浸ったあと、その男性を車に乗せて家の近くまで送り届ける事となったのだが、車中いろいろと話を聞いているうちに、この『海中桜』に興味が出て来た。

最初は文人か何かが、単なる旅情でも綴った話なのかと想像していたのだが、何と舞台は戦国時代だという。
「話は武士と里の娘の恋愛物語なんだけどね。この城の下は海だからね。その海に桜の木を立てる競争をする話なんだよ」

恋愛小説? 戦国時代の? 桜の木を……海に????

な、何とも不思議な話である(・・;)。どういう情景なのか一度頭の中に思い浮かべたが、やはり読んでみないとわからない気がする。

「家まで送ってくれたら、一冊あげるよ」
と男性は気軽に言ってくれた。
「でもそれって、貴重な物なのではないですか?」
話に聞いた限り、出版されたのはかなり古いようで、もちろん今では売っているような代物ではない。男性の父君が出版に携わっておられた関係で、家に残りの何冊かが残っている程度であるらしい。
「読んでくれるなら、あげてもいいよ」
と男性は言ってくれた。

私達はご好意に甘え、家の近くの駐車場に車を停めて待っていた。
男性は車を降りて、しばらくすると、約束通り一冊の本を手に戻って来た。
薄い小冊子で、表通りに面して街灯も明るくなったため、その表紙に、話にあった通り、海の中に突き立つ小さな桜の木が描かれているのが確認できた。

ちょっとだけ読後の今、内容をバラすと(^。^)、この小説には鑓田美濃守の家臣、大塚信之助頼孝という武士が登場する。
これは上記のごとく、里見方の鑓田美濃守は一度城を取られてしまった事があり、これを取り戻すために大塚などの部下が現地に侵入して暗躍し、これに恋情の絡んだ女性達が協力する、という構成なのである。

ちなみにこの大塚の他に、太田文五郎悌安なる武士が出て来る。
見ておわかりの通り、どうも『南総里見八犬伝』からパクッたのだろう(笑)。
江見水蔭は明治2年(1869)〜昭和9年(1934)の、泉鏡花、樋口一葉などと並んだ新進作家、との事であるから(代表作に「女房殺し」「新潮来曲」「兜の星影」「泥水清水」など)、こういう洒落が当時は流行したのかもしれない。

大塚を慕う2人の里娘は、小浜城から絶壁の高所と低所の落差を計るために、釣り糸をもって活躍する。その目的達成を合図するのが海中に立てられる桜の木、という話である。

ワクワクと本を手にした私は、さっそく裏に書いてある値段も確認した。急いで財布を開いてお金を渡そうとしたが、
「お金は要らないよ、読んでくれればいいから」と男性は固く拒んだ。

本の裏には「630円」と書いてあった。しかしそれは、この本が出版された昭和52年の定価で、今これを売り出したらこの値段では済まないだろう。
そして何よりも、今は何冊残っているのか、という事を考えると、これは確かにお金を出して手に入れる物でないに違いない。

「ありがとうございました!」
2人して深々と頭を下げると、男性はニコニコと笑って去っていった。

何だか出来すぎた話のようだが(^_^;)、思いつきで出た旅行の割には、驚くほど成果のあった2日間となってしまった。なぜか私達は、時々こうして現地で神様に会うのであった(笑)。

私はウキウキと頂いた小冊子を膝に置き、車はすでに真っ暗となった海を横に見ながら、ようやく北上を開始(^^)。

「帰りに飯食っていこうか」と亭主。
「どっかにレストランとかあるかなぁ」
探している内に、次々と洒落たレストランが登場する(笑)。
「流石は九十九里だね。サーファーとかがよく集まるんだね(^_^;)」
なんて言いながら、良さそうな一軒を見つけて入り夕飯タイム♪

帰りは「波乗り道路」に乗る。

空いている(・・;)!
いや、空いているというより、前後、対抗路線ともに、 見渡す限り車は我が家一台しかない!(爆)

「税金の無駄遣い」
という言葉が両者ともに頭に浮かんだが、まあこの夜に限っては助かる事である(笑)。

「いや〜、房総半島もなかなかいいねぇ。昔行った大原にあんな小説があったとは」
亭主、なかなか機嫌が良い(笑)。
「また来たいね〜♪」
私は元よりニッコニコである。
「でも養老渓谷では散財しちゃったね〜」
「そうだね。今度来る時には、ウチによく来る、お得なサービスチケットを……」

……ここで両者ともに、「ハッ(・・;)!」と気付いたのである。

そもそも今回の旅行計画は、全て「お得なサービスチケット」が送られて来た所から発想されたのではなかったか?!
それが長野では該当するホテルが無かったものだから、使う事は無かったが、その後いつの間にか、これを基準に行き先を探す行為を忘れていなかったか???

「あああああああっっっ! きっと養老渓谷でも何かが使えたに違いないっ!」

可愛そうな貧乏夫婦は、一度この事実に気付いた途端、(何も気付かなければ)スイスイと気持よく走れたハズの道路の上を、太く強い後悔の念を引きずって、帰宅に急ぐのであったぁ〜!

<完>

2002年11月30日
 
     





ホーム