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さて、思わぬ旅モードに突入した我々は、一路大多喜を目指した。
結構道々の風景などのどかで周囲の紅葉が美しく、亭主も運転しやすかったようだ。途中で道に迷ったりしたものの、付近の人に道を聞いたらとても丁寧に教えてくれて、まずまずの時間に到着できた。
大多喜城にはこれで3度目である。
と言っても2度目がつい2ヶ月前だったから、今回はそんなに派手に「懐かしい」という感慨は無かった。前回祭り見学を優先させて見られなかった城の内部の資料館にせめて入ってみたかったが、それもかなりギリギリの時間となってしまったため、バタバタと城に入って見たが、残念ながらあまり内容を覚えてない。
「ここは時間切れに会う事が多いね」
「うん、何処から来ても距離があるからね」
その上、前回も翻弄された、何となくわかりにくい町の構造などが今回も手強く感じられたので、早々に引き上げる事とした。
「帰りはまた木更津から高速に乗る?」
なんて相談となる。閉館時間とは言え、まだ4時代だった。
ざっと地理関係を説明すると、私の住んでる松戸市は千葉県でも西北部にある。
千葉県のど真ん中に県庁所在地の千葉市があり、これを高速で北から南側に越えて来ているわけだが、高速を降りるのは木更津北インター。内房近くにある。
に対して、我々は内房から東方面に向かって、久留里、養老渓谷、大多喜と内陸を突っ切って来た。ここまでの内陸ルートに高速はない。
ここで地図を見ながら、ふと気付いた。
「ねえ、外房に出た方が早くない(^_^;)?」
前回ここまで来た時には、この事にあまり気付いてなかった。なぜなら我々は元々、内房の富浦に出る目的があったから、その途中としてしか木更津を認識していなかったのである(爆)。
「一度、外房にも出てみようか」
外房に出れば、そこからまた北上ルートの高速に出会える。
「そうだ、前に大多喜に来た時に帰りに泊まった大原に出てみようか」
なんて話が出た。大原は外房の海岸にある。
「でもどう行けばいいのかな」
と私が地図を見ながら、既に車は走り出した。
前に泊まった大原というのは、やはり15年前にこの辺りに来た時、一泊目は養老渓谷に泊まり、翌日やはり大多喜に来て二泊目を泊まった、という意味である。
漁村だった。だからいわゆる船宿(ふなやど)に宿泊した。宿の外には「大漁」とか、「○○丸」などの船の名が書かれた旗や看板があり、夕飯は全てお魚づくめ。宿泊客はみんな漁師さん、という宿だった。
ちょっと15年前の話をさせて貰いたい。
その時の亭主は、私があまり海に興味を持ってない事を苦にしていた。旅の最後が盛り下がってはいけないと、彼は3日目の朝、近くのタクシー会社に行って、近場に何か見所のある名所が無いか、と問い合わせてくれた。
ちょうど雨が降って来たので、私は亭主がただタクシーを呼びに行ったのだと思っていたのだが、そうしてやって来たタクシーに乗ると、駅には向かわず、駅と反対方向に向かい、海に近い所で停まった。
「ここは何なの(゚.゚)?」
キョトンとして私は車を降りた。
「タクシーの運ちゃんが、この辺で知ってる所があるから連れてってあげる、と言ってくれたんだ」と亭主。
「ふ〜ん」
車を降りた私はそこで、驚くべき史跡を見た。
それが小浜城跡であった。
その後15年の間、いろんな史跡や城跡を訪れたものだが、その今振り返ってみても、この城の、ある種の異様さに時々思いが到る事が少なくない。
「小浜城」という名は、千葉県の城址関連の本などでチラとぐらいは見た事があったが、実の所、あれから15年経った2度目のこの時ですら、それが前に行った大原の城跡だとはまだわかってないで向かっている。
「15年前に見た、あの城跡っぽい岬にもう一度行ってみたい」
これだけである。しかし今回は、前に大多喜に来てから何となくボンヤリと、水軍への関心など芽生えていたから、前に訪れた時よりも興味に熱が加わってはいた。
大原まではわりとスイスイ来たが、さすがに途中で日が暮れ始めた。
到着するとだいぶ暗くなって海は見えなくなっていた。それでも亭主は、地名を示す看板を見て突然、城跡のあった岬の地名を思い出した。
「八幡岬だよ、思い出した!」
我々はすっかり日の暮れた海岸の漁村に入り込み、ここから先は徒歩とおぼしき辺りの駐車場に車を停めると、同じく駐車場に車を停めに来た人に、八幡岬にどう行けばいけるのか聞いた。
「ダメダメ、この時間から行ったら幽霊が出るよ」
地元の人は笑いながらこんな冗談を言いつつ、しかし我々が岬に入り込もうとするのを、かなり強く牽制した。
「真っ暗ですか?」
「真っ暗だよ、行かない方がいい。ホントにオバケが出るんだよ」
今度は両手の甲を見せて、脅かされた(笑)。
この駐車場は、恐らく漁業関係の人だけが停めていい場所だろうから、何しろここに長居は出来ないし、これほど強く牽制されているのに、言い付けを破って岬方面に行くのも気がひけたから、車に乗ると海岸を離れて、少し内陸側にある大原駅に行ってみた。
駅に車を停め、今度は駐在所に入ってみたが、人が居ない。
仕方なく駅の人に聞いてみようと、戸を叩いて中に入ってみる。
「ああ、八幡岬ね。いや〜、すいません。何も知りませんが、この時間からじゃ……行かない方がいいですよ」
不思議な事に、やはり牽制する。
「さっき海岸でも同じような事を言われたんですが」
「よく心中があるんだよ」
なるほど(^^;)。こういう事か。それでオバケ……ね。これは強引に行きたいと言わない方がいい。言えば迷惑をかけるだけだろう。
「自力で行くしかないね。もう一度海岸の方に行ってみよう」
そう言って車を走らせたのだが、何しろ駅の商店街を離れるともう真っ暗だし、道路がよくわからないから、少し大きめの道路まで行くと、結局、
「やっぱり誰かに聞くしかないね。ダメだって言われたら、仕方ないから帰ろう」
と決めて、ウチの車を通り越して歩いてる人を見つけ、そこで車を停めて私だけ降り、その人を後ろから走って追い掛け、八幡岬はどっちの方面だと聞いてみた。
その人も、ひどく怪訝そうな顔をして、何しに行くのだと問い詰めた。初老の男性だった。
「15年前に来た事があるのですが、もうなかなか来られないし、今日はもう帰るので、最後にどうしても行ってみたくて」
こう答えるのだが、その人はやはり訝しげに私を見詰め、
「案内してあげよう。道がわかりにくいから」
と言ってくれたものの、怪しむように我々の車に乗り込んできた。男女二人で何かしでかすなら、自分が通報しようとでも思ったのかもしれない(笑)。
しかし道がわかりにくいのは本当だった。その男性自身、「この辺りで入れば……違うか。ごめん。じゃ、ちょっとバックしてもらって」と地理観を思い出しながらのドライブとなったが、やはり流石は地元の人で、かなりスピーディに到着させてくれ、「ここだよ」と教えてくれた。
「あっ!」
来た途端、私達は懐かしさに声をあげた。
来て思い出したのだが、今目の前にある通り、その城跡には道路から岬に張って行く階段に、すごく大きな石の鳥居があったのだ。
車を停めて歩いて階段を登り、鳥居を抜けてさらに階段を登ると、そこはスレスレと言っていいぐらい、海が近い。確かにこの岬に入ったら、そこから飛び込めば命を絶つのも難しくないだろう。
月が出ていた。亭主も感動して「ああ、こうだった」と何度も言った。階段を登るとすぐに社があり、それを通り過ぎると広場があり、その広場より先には、行く手左方向にこんもりと盛り上がった小山が見える。
その盛り上がった山の頭上に月光が降り注ぎ、また広場の右方向に広がる敷地を歩き詰めると、その下には黒々とした海原が待ち構えている。海自体は暗くて見えないが、波音がザバンザバンと水の近さを物語ってくる。
何とも言えず壮絶で、しかも神秘的だった。
「前に来た時は、物凄い嵐だったんです」
私らは、案内して下さった方に、いきなり思い出話を始めてしまった。
「最初は雨だけだったのに、見る見る暴風雨になって、やはりあの山の途中までしか歩いて行けなかったんですよねぇ」
なぜ、この地に来る時には、ここが印象に残るような時に来てしまうのか、それも思えば不思議だったが、何しろ2度目に見た小浜城も、前に来た時と同じく、何となく物凄い風情と謎に満ちた城跡に見えた。
<つづく>
2002年10月16日 |
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