やっと「信州旅行編」が終わったものだから、ここは閉鎖されるのかと言えばそれはそうではない。城主が「たわごと」をヌカす限り、このコーナーは存続されるのである。 実はこのGW(もぉずいぶん前ですよね、はい(^_^;))、松戸市の市民劇場なる所で上演した人形劇「里見八犬伝」つーものを見に行った。今年、石和でご一緒した通称「こたつ隊」のメンバーも一部一緒であった。 実はメンバーの内に、「美濃に行って、光秀関連のお菓子を買って来ます!」と言って下さる御仁がおられ、これはそれなりこの世界では、もはやあまり若いとも言えぬ私のHPにとっても、画期的な出来事と言えたのであった。 「戦国商品を作ろう!」とかヌカしてスタートしておきながら、私は戦国商品を知らない(-_-;)。昔食べたお菓子とかをアチコチで吹聴して歩くのみで、言わば「近年の動向」という奴に疎い。 それゆえに飛び付いてでも食べたい! が、しかし、だったら人手を頼らず、自らの力をもって取り寄せれば良いような物でもある。 でも、そんなのイヤである!(爆) 戦国菓子は日常品ではない。土産である。土産というものは、旅行に行った時、嬉しがって買って帰って来るべき物で、ネットで取り寄せなんか出来るのは、私の「旅学」(何じゃ、そりゃ)にそぐわないのである。 しかし、それを買って来てくれる人がいる、ということなら話は別である。その人の行為は「土産を買う」のであるから、頂く対象が自分であっても全く的からは外れていないのである。 さて、このような催しに際しては、得てして「持ちよりで楽しく(#^.^#)」集まったりするべきだが、私からは出し物に薄かった(-_-;)。私達夫婦はこのところ多忙で、世間には楽しいGW、人が良さゲな祭りに参加した話などを指をくわえて聞いてるのみで、慌しく過ごすだけが宿命であった。 そゆワケで、何か戦国に関連してるものでありながら、しかも出来たらウチからはあまり遠くない所で……というワガママも通用し、かつ、人を呼び立てるのに適った条件となると、この時期たまたま演っていた人形劇「里見八犬伝」で釣る意外に方法が無かったのであった。 しかし「里見八犬伝」とは、戦国史のようで、実は全くの虚構の世界である。これはご存知、江戸期の作家、滝沢馬琴(「滝沢」と「馬琴」は、分けて存在した名前だと劇場では解説されていた)のライフワーク的大作で、原作を「南総里見八犬伝」という。 あまつさえ、小説ってだけで充分に「嘘」である上に、里見八犬伝になると時代考証がどうのこうの言うのも恥ずかしいほど、登場人物は愚か、ストーリーそのものが史実には全然関係ナイものが主流になっている。 今の小説で言ったら、東京を主軸にした歴史を知ろうとして「帝都物語」を持って来るのより、もっと始末におえない代物と言っていい。 更に呼びつけておいてまことに手抜かりだったのは、当日劇場で見る直前になって知ったのだから仕方ないと言えば仕方ないが、この日にやった演目はナント、「里見八犬伝」の第一幕……つまりは、「最初の最初のお話だけでゴメンネ!」って奴だったのである(-_-;)。 原作「南総里見八犬伝」は、巨大な量の大作である。 なぜここで、「南総里見八犬伝は……」とイチイチ分けるかと言えば、よくよく「里見八犬伝」と言われるジャンルには、テレビや映画や漫画や絵本なんかで、短めに紹介される事が多いからである。 だいたい、「南総里見八犬伝」で紹介される時には、原作のウンザリするような量のものを指し、「里見八犬伝」とか言えば、「ちょっと短縮させたいろんなスタイルのもオッケーってコトで行きましょ(^^;)」みたいなノリを、あちこちから感じるので、私もその路線に相乗りさせて貰ったりしている。 八犬伝については、私など及びも付かないほどの「これで決まりっ!」ってな専門サイトがある。 未だリンクの依頼すら申し出てない所なので、議事録ですらないこのコーナーにおいて勝手にURLを語るのは憚られるが、興味のある方は検索されるがよい。必ずやここは出て来る。 そして、そこによると、この原作は原語のままなら本も出ているものの、それは「源氏物語」よりも倍にして長いという(-_-;)。現代語訳版に果敢に挑戦されてる著者もおられるようだが、それは未だ完結されておらぬようで、それがいつ完結されるのかなど、私ごときには想像もつかない(爆)。 そんなものを一日ちょいと見に行って、全部見られるワケがナイとは思っていたが、そうか、第一幕か……なるほど、次はいつなんだろう、という執念が、あまつさえ合戦などに出たがるメンバー全員の、最後の煩悩の一つに加わってしまった(-_-;)。 劇が終了し、劇場を今出るその時。脚本を担当なさった人がかいがいしくも出迎えに出ておられる。そこで図々しく尋ねた処、「次は来年あたりじゃないかと思います」という、気の遠くなりそうな回答を頂いた。 来年……。 実は人形のデザイン担当されたのは、かの有名なる川本喜八郎さんである。ご存知のない方でも「NHK人形劇『三国志』の」とか言えば、わかって頂けるだろうか。そう、あの人である。 この御仁は、あの三国志の全員は到底無理だが、3000人以上はいる登場人物のうち、確か400人程度だったか、人形を全て作られたので、まあ今からがんばって、里見八犬伝だってどうにか作り終えるのではないか、とは思う。 んが、川本さんて幾つだろう、なんて心配も頭を霞めなくはない(爆)。川本センセの健康祈願をしよう。 私達に丁寧に説明して下さり、最後には舞台稽古場への見学に誘ってくださったその脚本家の方というのは、これまた知ってる人は知ってる三国志でも脚本を務められた伊東万里子さんだった。 そうとは知らずペラペラと用件のみ喋り、ズケズケと訊くだけ訊いて劇場を去っていく私に、主人は「あの人は伊東万里子さんだよ」と教えてくれた。 聞くや、私は即座に舞い戻り、図々しくサインなど求めて、「必ず舞台稽古の見学に行きます!」なんて鼻息荒く約束した。すると伊東さんは「では、八犬伝スポットを私が案内しますよ♪」なんて声を返して下さったので、一瞬私は目が点(゚.゚)になった。 改めて見たパンフレットにあった稽古場とは……房総半島の最先端とまでは行かないまでも、普通の人なら一笑に伏すような、およそ八犬伝以外に何の用もなく、かつ、行く気にすらならない遠隔地……「富浦」であった(-_-;)。 それまでに既にして、私達には行こうと計画していた場所が有り余る程あった。むろん一個も約束は果されていない(爆)。 しかし、約束した以上、行かねばならぬ。そして何より、こんな妙な場所ともなると、千葉県人である以上、案内役は自分達に決したも同然であった。 さらにその後、私はメンバーを家に招いたりしたのだが、実は当初「ちょっと楽しみ(#^.^#)」ぐらいにかアテにしてなかった戦国菓子が、イザ目の前で披露されるや圧倒されて驚愕した。 物凄い量である!! いや量が多かったのは、戦国菓子以外にも更に和菓子が増えて、盛大なる「菓子パーティ」と化したコトが原因でもあったが、その内容もスゴかった! ■岐阜県可児市「老舗 市原屋」 「光秀」(モナカ)「光秀の里」(栗入りモナカ) 「長山城」(餡入り洋風菓子)「古城」(桂皮風味焼き菓子) ■愛知県江南市「武蔵屋」 「蜂須賀餅」(信玄餅風、アーモンド風味) ■滋賀県蒲生郡「伊勢藤」 「蒲生の栞」(蒲生氏郷の兜”鯰尾”を象った茶餡と小倉餡、縦割りモナカ) ■東京都金町「しばられ地蔵本舗、えびす」 「満願どら焼」 ■同上 「季節の練り菓子セット」 何となく、意味も無く目録を書いてしまった。(まだ興奮してると見ゆる:爆) こうした、贅沢にして歴史にちなんだ菓子を目の前にしながら、私から差し出したのは、地元松戸「戸定邸」なる焼酎であった。 いや、これも幕末最後の将軍、徳川慶喜の弟、昭武なる人物の邸宅が松戸にあるのにちなんで作られた代物ではあるのだが、何かこう……絵になる要素に欠ける上に、なぜよりによって焼酎なのだ、客にあげるには、何かこう……ほれ、ちぃと渋すぎやしないかね、という気がしなくもない。 しかし、松戸の菓子となると、「ピーナッツサブレ」なんちゅう物しか無かったりする(-_-;)。そう、ここは東京に土地が買えない貧乏人が寄り集まって住んでる、何ちゅうことはない「新興住宅地」にすぎない。そんな土地には、ピーナッツを肴に焼酎で充分でしょ、なんてヤジが聞こえてきそうでもある。 そうそう、思えば、松戸なんてのは、戦国期においてもいいように里見氏と北条氏の合間をくぐって生き延びた足跡がプンプン匂ってくる土地なのだ。北条が敗れたと知ればさっさと開城し、徳川が来れば将軍さまと仲良しこよし。今でも平気で東京サマに尾っぽを振って、ヘラヘラ生き延びているのである。 かようにグチグチとこぼしている私の脳裏に、「これは虚構でも一発倒れでも、やっぱ千葉は千葉らしく、ここは八犬伝頼みで関連菓子でも探すしか無さそうだ」という、あこぎな他力本願が芽生えたのであった。 この春、幸運にも自動車を買った。それは既にアチコチをぶつけたりして、修理代なんか考えると頭が痛くなったりしなくもないのだが、しかし鉄道の通ってない場所でも行ける処が自動車の利点である。 行くしかない! そうだ、私の生きる道は(今のトコ)とりあえず富浦にある! 過去の松戸人が、いついかなる時もそうであったように、かくして私も「今はとりあえず富浦」を見て暮らしてみているのである。 2001年6月12日 |
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