しつこく、信州旅行編のつづき。 タクシーの運ちゃんは、無防備にも迂闊な単語を連発する。 「この橋じゃないんだけどね、この川を渡ると、”笄の渡し”って言うのがあって……」 「えーっ!」 「そこではね、義清の奥さんが逃げたという話があって……でも、船頭が舟を出すのを渋った」 「ええーっっ!!」 「それで義清の奥さんは、髪に付いていた簪(かんざし)風の櫛(くし)ですがね、笄(こうがい)って言います。これを船頭に渡して、命からがら向こうに渡ったという伝説が……」 「えええ〜っっっ!!!」 とっくに全部知ってる事なのに(^_^;)、何で、いちいちこうも奇声を発するのか。 後になれば反省もするのだけど、とにかくその時は興奮しまくってるから、知っていようがいまいが、そんな事にお構いなく声が飛び出てしまうのである。 *恥ずかしい* 運ちゃんも気付いてはいるのだろう。こいつはオタクだと……。 *ガ〜ン!* だって、イキナリ”笄の渡し”から話し始めて、普通の人が話に付いて来られるワケがないじゃないか(-_-;)。 つまり、こうである。 北信濃の村上氏は、信玄の侵攻を何度か跳ね返しながらも、信玄麾下の真田氏などの巧みな懐柔策にしてやられ、とにかく最期の時は近付いていた。 まあ、要するに、この船頭あたりなんかにも、信玄配備の手が廻っていて、村上氏の一族は逃れようもないほど追い詰められていた。 だいたい、女性が笄なんてものを付けてるのは、江戸時代以降であるのだし、また、義清夫人が川を渡ると、地理的には武田領内に近付くようにも感じる。さらに、この夫人が逃げたというわりには、同じく地元に、逃げ切れず石になって武田氏を恨み続けた、なんて話も残っているらしい。 だから要するに、この話の重要性は恐らく、征服者に対してボンヤリしてると、地元の人間にまで裏切られるような事態に巻き込まれてしまいますよ、という教訓か何かであって、まあ、若干当時の武田氏侵攻の物凄さや、落城の凄惨な光景を伝える効果も加わっているかもしれない。 しかし私にとって、常に事の真偽などどうでもよい。地元で、長い間語られた伝承、という所にこそ、極端に感激する体質なのである。こういう事をもって、私は「やっぱり来て良かった(^O^)!」と思い込むわけだ。 まあ、そう考えれば、運ちゃんも同様で、日頃喋ってウケるネタじゃないから、それをこんなに騒いで聞く客ってのは珍しいわけで、やっぱり興奮して間をすっ飛ばしたりしてしまう。旅館に着くまでに、全部話し終わらないといけないし、こっちも全部聞き出すまでは別れるワケに行かないと思っている。 考えようによっては両思いと言える状態でもあるのだが、特に、なぜか私の方は、現地でこういう人に出会うと、何か、生かして帰すワケには行かないかのような気分に襲われがちである。出来ることなら土産と一緒に、この人も持って帰りたいとすら思ってしまう。 しかし別離の時は訪れた。ホテル到着である。 荷物を預けると、私は再びフロントで大騒ぎする。 「この辺に荒砥城という城跡があるって聞いたんですが……」 ちなみに荒砥城とは、先ほどの村上氏の一族である山田氏の守る堅固な城であった。 ホテルや旅館の人というのは、だいたいタクシーの運ちゃんより冷静である事が多い。だから料理を運ぶ時間だとか、明日の朝食とか出発の時刻などを確認し、館内の案内をしたり荷物を運んでくれようとする。 「お客様は、これから荒砥城に行かれるんですか」 「荒砥城って、本当にあるんですね!!」←あるに決まっているではないか(-_-;)。 「今から行かれるとなると……」 「ええ〜っ! もう閉まってるんですか?!」←誰もまだ、そうは言ってないだろ(-_-;)。 「荒砥城ですか、荒砥城は……」 「あっ、あった! このパンフレット貰っていいですか!!」←完全に一人ノリ(-_-;)。 戸倉上山田は、別所以上に温泉で有名な土地である。湯量が豊富であると聞く。だから、お得なサービスチケットで泊まれるこのホテルは、とにもかくにもゴージャスな温泉が売りである。 ところが私の目の前には、もはや避けようもなく城跡(だけ)がある。私は荷物だけを部屋に置き、豪華な施設を一切無視して、ホテルのサービスも待てずに外に飛び出し、タクシーを拾い、先ほどの興奮そのまんまの内に、早、荒砥城門前に立っている(-_-;)。断っておくと、この城跡はかなり高い山の頂上にあるし、ホテルからは、まあ相当に距離もある。 ところが、こうまでして辿り付いた荒砥城では、管理人の人が閉門時間であるから通せないと言った。 「そうなんですか。時間なら仕方ないです」 なぜか私は素直である。続けて、 「やっぱり、もっと早く来ないとダメなんですね。そうですよねぇ。いいんです、今日は麓のホテルに泊まるんです。明日も来られるんですよ。だからいいんです」 ところがなぜか、体は門の中に入っている!(爆) 「残念だなぁ……。じゃ、ちょっとだけ。わ〜、スゴイ! ほら、来てごらんよ! スゴイなぁ。もうちょっと行ってみると……わぁ〜(^O^)! こんなの見たことない! 何だかスゴイ! スゴイ、スゴイ(>▽<)!」 そのまま、門を(なぜか)通過(^_^;)。後を必死に追う家来(主人)。 自身の名誉のために言っておきたいのだが、これは別に演技でも策謀でもない。私は特に振り切るつもりもなく、まあ、私の言い方にはなるが、吸い込まれるように……しかし気が付いたら、なぜか、さらなる頂上に向かって突進していたのである。 平成12年(2000)7月24日。村上氏の一族、山田氏の荒砥城は、こうして再び敵襲に見舞われた。 しかも土地の人は、今度は笄さえも確保できず、ただ舟を乗っ取られたのみであったのだ(-_-;)。 <つづく> 2000年9月19日 |
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もう9月になってしまったのに、まだ続いている信州旅行編である(^_^;)。 しかし、一度きりの旅行の余韻をこうも長引かせられるとは、我ながら才能なんではないかと驚いてしまう。一度きりの思い出にいつまでも浸れる年寄りの才能か、貧乏人の知恵か、我ながらよくわからないが、もしかしたら単に、更新が遅れているだけかもしれない。(爆) さて、この旅行は前もって段取りを決めていたわけではなく、だいたい現地の情報に疎いので、上田駅にあった各旅行パンフレットなど見て、朝、あちこち電話してみた。 上田の「真田太平記館」がやってるらしい。行ってみようか。 きっと、NHKでやった『真田太平記』の写真パネルとかがたくさんあって(^^)、もしかすると、忍者コスチュームの人形とかあったりして(^O^)! なんて思ったりしたが、ドラマに関する物は無く、要するに「池波正太郎記念館」だった。 |
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