<2000年・城主のたわごと8月>




外湯巡りなんて、滅多にないチャンス(^O^)!

こんなにたくさん温泉に入ったら、元気になるにちがいない!




     
  又しても、前回の続き。

主人は「明日の朝は、早起きをして外湯巡りってのを一度やってみよう」と言ってはいた。

こんなことを言ってて、旅行中に早起きできた試しはないからアテにせずにいたのだが、翌朝、主人は本当に起きた。まだ6時前である。そして「じゃ、行こうか♪」と言った。

私としては嬉しくて仕方ない(^^)。実は前日、到着するとすぐ、就寝前にもう一度、さらに早朝起きるや又……と三度も温泉に入っておいた。しかし外湯巡りはまた格別だろう(^^)。

真田幸村の隠し湯「石湯」にまず向かった。主人は調子づいて「これに入ったら、次は”大師の湯”とか”葵の湯”(木曽義仲が入ったと言われている)ってのも入りたいね。あと帰りに安楽寺にも寄って行こうか」と言った。

私は又しても嬉しくて仕方がない(^^)。……が、「そ……そんな事ばっかりやってる時間が、あるだろうか(^_^;)」とも、少し思った。

下駄を、カラ〜ンコロ〜ン鳴らしながら別所の町を歩いている内、まずは「石湯」に到着♪

とにかくさっさと脱いでさっさと浸かってさっさと出る。主人はまだ入っていると見えて、私は外で待たされながら、蝉の声など聞いている。

いい気分だなぁ……。こんな所は東京には無い。蝉しぐれに涼やかな朝の……(^^)。

「今日も暑いですねぇ」地元の人が来て、番頭さんに声をかけるのが聞こえて来る。

うん、実はちょっと暑い(^_^;)。大丈夫だろうか、朝からこんなに飛ばして……。そう思い始めた時、主人が出て来て、

「お待たせ。じゃ、次行こうか」

う……うん(^_^;)。行こうか。カランコロン。そして着いた安楽寺。杉木立の鬱蒼と茂る門前の長い石段。

ここは前にも来た事があるから、まあ、いいんだけど、庭とかゆっくり見てる間もなく、とにかく境内の裏手にある五重塔までの長い坂道を登る。

見た(^_^;)。下りる(^_^;;;)。寺を出る(^_^;;;;;)。

主人は「大変だったら、俺だけ外湯の続きやってるから、もう宿に帰っていてもいいよ」と言うのだけど、私はもう判断力が無くなっていた。

「ううん、私も”葵の湯”に入る」

そして到着。さっさと脱いでさっさと浸かってさっさと出る。そして宿に戻って朝食。さっさと飯を盛って、さっさと茶を入れて、さっさと食べる。

部屋はまだ散らかったままである。あれを全部片付けて、今日は上田で荷物をどっかに預けなくてはならないから、今の内に荷物を二つに分けておく必要がある。急がねば……。だんだん、喋る暇が無くなる。とにかく食う。

そして、気持ちが悪くなった(-_-;)。部屋に戻るや、私は座布団を二つ並べて、ドカッと横になった。

二日も徹夜をし、冷房もない一夜を過ごして朝から風呂に入りまくったあげく、滅多に食った事もない朝飯を平らげたのだ。体はさぞかしストレスを感じたことだろう。私はそれから、たぶん30〜40分は休んでいたんじゃないかと思う。

かくして、いろんな事を無理して「さっさと」やったわりには、出発は遅れに遅れたのであった(-_-;)。

<つづく>

2000年8月31日
 
     




旅行記を「たわごと」に書くのって難しい(-_-;)。

しかしここは、見事「たわごと」にしてみしょう!




     
  前回(7月)の続き。

「温泉旅行なんですもの。それに久々の休暇でしょ? やっぱり休むことに専念しないと、何のために取った休暇かわからないわよね。ゆったりと行きましょうね」

私はこう言った。出発は何も早朝でなくてもいい。ゆっくり出ればいいではないか。一日目は、夕方までに宿に到着すれば充分である。

しかし出発が近づくにつれ、あたかも我々の興奮指数を示すがごとく、少しづつスケジュールは前倒しになっていった。12時に出れば充分だったはずの予定が、なぜか、11時、10時、とだんだん早くなり、やがて9時に出ようか……という話にまでなった。

そして実際には、たぶん朝5時に出発しても大して変わりのない事態に陥った(-_-;)。つまり私は前夜、興奮の余り一睡も出来なかったし、興奮しているわりには……いや、興奮していたからなのか、全く準備はしておらず、夜中の2時3時ごろまで荷物を詰めたり出したりして、きゃあきゃあ騒いで過ごしてしまったのである。

一度床には入ったものの、「あ♪ そうだ☆ミ」などと、何の必要があるのかわからない本など取り出すために、何度も何度も飛び起きてみたりして、要するに寝なかった(-_-;)。そのまま荷物を持って、朝一の電車に飛び乗った方が、遥かに時間を有効に使えたような気もする。

信越新幹線に乗るのは初めてだった。この線は、予想通り私にとって不評だった。元々長野は、オリンピックを開催した前後から、私の人気を密かに減じてきた。

乗ってみて予想通りだったのは、まず、横川の釜飯。横川駅を通らなくなったから、車内販売で買うしかなくなったのだが、買って食って「あんまり美味しくない(-_-;)」と思った。温かくないせいか、何だかヤケにボリュームを感じて、喉元をスイスイと通らない。

予想していなかったのは、鼓膜破りのはげしい気圧差であった。新幹線はそんなに高所を通らない(通せない)と私は思い込んでいて、これが唯一の利点である、と安心しきっていたのだ。私は元々気圧の変化に弱い体質だから、前から、信越線に乗ると耳がおかしくなりはしたが、新幹線は速度が速いため、気圧の変化も受け方が大きかった。

軽井沢に近づくにつれ、缶コーヒーを開けた音すら聞こえないほど耳は退化してきた。アクビをしてみたり飴を舐めたり、さんざん復活を試みたが、ついに上田に着くまでには、自分の声以外は何も聞こえないまでになってしまった。

しかもトンネル続きで、景色はほとんど見られない(-_-;)。アナウンスもロクに聞こえないので、とにかく車内では寝て、時刻表と腕時計だけを頼りに、我々は上田で降りた。

上田から上田電鉄で別所。この路線の周囲の風景はほとんど変わってなかった。別所に着いた時は、さすがに「懐かしいぃぃぃ〜♪」の声が出た。もう13年も前に訪れたきりである。自分のウチの周囲だって、13年前に比べれば大変な変化を遂げたのだから、同じ間変わらないでいてくれた事には、むしろ感謝せねばなるまい。

宿に着くと、主人はくたびれ果ててごろ寝をはじめた。やがて聞こえる高いびき。無理もない。彼は多忙に多忙を重ねてきた。休ませてあげないといけない、とこの頃は、まだ思いやりのある私であった。

私は温泉に入り、部屋に戻って、テーブルに置いてあった木作りのパズルに熱中して、ずいぶん長い時間をすごした。窓からは、降るような日暮の合唱。涼やかなのどかな夕暮れ。

ああ……こんな他愛のないパズル一つやっていても、ここが別所というだけで、心が不思議と穏やかに、しかも満たされる。これが、これが東京だったら……。

早くも話は旅の後に飛ぶが(後でまた戻ります(^_^;))、実はさっこん、かなり遠い所に住んでる知り合いが東京に来た。多忙ゆえに会えはしなかったが、私は最近、近くに住んでいながら東京に行っていないので、何となく、「東京の土産話でも聞かせて下さい」と言ってみた。

知り合いは「五反田に行きました」と答えた。「五反田ですか……」と私。

……ここで言葉が詰まってしまった。五反田、五反田、と頭の中で何かを思い浮かべようとしたが、何にも浮かんでは来ない。むしろ、それまで何かあったハズの頭の中が、ますます真っ白になっていくのを感じるばかりなのだ。むしろ全身の血の気すら引いていく。

そう、東京とはそういう場所である。これが同じただの東京の地名でも、「駒場」などと聞くと、私は自分だけに都合よく、「こまんば」と読み違えてみたりする。そして、その響きに自分で勝手に酔い、ボロボロと涙を落とす芸当すらできる。

ちなみに「こまんば」に行った事はない。上洛途上の武田信玄が、夢半ばにして、ついに命を断った土地である事しか知らない。しかし私には、ここに東京と同じようにビルが建ち並んでいても、同じように号泣できる能力が備わっているだろう。

実は上田などは、同じ信州であっても東京の街中と変わらない所もある。しかし遠くに山が見える。空が澄んでいる。いやいや、そんな事はこじつけなのだ。要するにそこが「上田」というだけで、私はどこか満たされるのだろう。

話を戻そう。とにかく、そんなパーな事をやってる内に、主人は眠りから覚め、温泉に入り、散歩に出掛けようと言った。

この日は、北向観音堂に出掛け、愛染桂など見て、宿に帰り夕食にありついた。

さすがは割引券で泊まっただけの事はある。膳の上は、通常の私達では味わう事の出来ない豪勢な内容で埋め尽くされ、量も食いきれなかった。しかし、割引券の意外な盲点は夜中に現れた。

その宿は築年数が古く、夜はクーラーが付けられなかった(-_-;)。昼間付いてた(気がした)のも、もしかしたら送風であったのかもしれない。ゆえに私達は、窓を開け放して消灯した。

暑いのは、私達だけでは無かった。同じ宿の客が皆窓を開いていると見えて、あちこちの部屋から、先ほど私がやってた木作りパズルをやる、カチャカチャという耳障りな音、お喋りする声などが、夜中になればなるほど鳴り響いてきた。さらに向かいの旅館から、宴会の音が鳴り響く。

別所は鄙びた避暑地だとばかり思っていたが、けっこう昼間は暑いと聞く。また、鄙びてはいても、夜遅くまで遊びに興じる旅行客が多いのは、さすがは温泉街、と納得もいく。

納得はいっても、眠れない(-_-;)。前夜は徹夜だったから、これで寝不足の旅は、さらに決定的となったのであった。

<つづく>

2000年8月8日
 
     





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