<2000年・城主のたわごと6月>




江戸っ子気質とは何ぞや。

少なくても、私にとって、それは……。




     
  物心ついた時には、東京に住んでいた。その後、父の仕事の都合で、各地を転々としたものの、基本的には東京およびその周辺に住んでいた。

それゆえかどうか、私はどこか江戸っ子気質であるらしい。自分としてはこんなにトロイ奴って、この世に二人は居ない、という気がしているんだが、山陰出身の主人には、「江戸っ子だねぇ」と言われることがある。

物を食う場面で、である。

私は熱い物を熱い内に、冷たい物を冷たい内に食べないと気がすまない。自分だけがそうしたいのではなく、人にもそうしてほしいのである。

例えば、人に電話したとき、いつも「今、電話してて平気?」と聞くのが私の習慣だが、うっかり「これからご飯食べようかと思っていたけど……」なんていう答えが返って来ようものなら、「じゃ、またね」と私は受話器を置こうとするのである。

相手は慌てて「大丈夫、大丈夫、ちょっとぐらい冷めたって、それを食べて死ぬなんてことはないから」と言ってくれたりするのだが、私が急ぐのは、相手への気遣いからではなく、相手の目の前にある料理への心配からなのである。

心の広い人になると、「そんな事より、あなたと話をする方が大事」とまで言ってくれたりもする。奇特な人である。この人々は、きっと天国に行けるに違いない。しかし会話の間じゅう、私の心は地獄の責めを負うのである。

「ああっ! 汁が冷める! うどんが伸びる! 海苔が湿気る! 天ぷらの”カリッ”が”シナァ〜”になる! マズイ! マズイ! 料理がどんどんマズくなる!」 

これを思うだけで、その日の私は成仏できない(←?)。

こんな事もある。

私は溶けかかったアイスクリームを絶対に食べられない。どこかでアイスクリームを買うと、家に帰ってきてから必ず一度、冷凍庫にしまう。すぐに食べる予定でも、必ず……である。

喫茶店に入っているとき、連れ合いがお喋りに夢中になって、パフェを食べる手を休めたりすると、もう気が気ではない。「喋るのはいいから、早く食べて」という言葉が口から出掛かるのである。

しかし、お喋りに夢中になっている、という事は、私とのつきあいを楽しんでくれている、という事である。私は作り笑いを浮かべる。しかし内実は、溶けていくアイスに全ての神経が集中しているから、相手がパフェを食べ終わったころ、話の内容を聞き返したりして、作り笑いの努力は無になるのである。

他人のことでも、こうであるからして、自分が物を食うときは、この苦悩はいや増すのである。たとえば、大量の麺や熱い飲み物は、一気に腹に収めるのが難しい。

その上、私は物を食うのが遅い。いや、食べるだけでなく、元々ありとあらゆる動作がトロイ(-_-;)。普通なら一時間で出来ることが、私は必ず二時間かかる。

だから単に、食べるのもトロイと言うべきだろう。

食べるのが遅い上に、冷たい物は冷たい内に、熱い物は熱い内に……となると、現実的に私が苦しむ事になるのは必然なのである。

途中で冷めたココアを、何度も電子レンジに入れて温め直したり、溶けかかったアイスを皿ごと冷凍庫に入れ直したり、私の食事風景は忙しさに満ちてしまう。

結婚する前後、主人に料理を作ってあげたとき、主人は私が食事を作る作業を完璧に終えるまで、箸に手を付けない人だった。

「私のことはいいから、早く食べて」と言えば言うほど、主人は私を気遣って、台所に手伝いに来たりする。それを私が邪魔者扱いするものだから、せめて待っていてあげよう、と言わんばかりに、彼は食べ物に手をつけない。

私の父は九州男児であった。女が料理を作り、男は平然とそれを平らげることに躊躇が無かった。その結果、作ったものが冷める、という事は、父一人によって解消されてきた。

私は主人によって、思わぬ事態に遭遇した。だから、泣きながら主人に訴えたものである。

「伸びたうどんは、二度と元には戻らないのよ!!」

泣くほどの事ではないのは、よくわかっている。江戸っ子の中でも、こんな事で泣くのは、私一人かもしれない。

2000年6月30日
 
     



開幕当初からある開かずの間(-_-;)。

その名は「なぜか東洋医学」。嗚呼、不肖の我が子よ。




     
  長い間、このサイトとおつきあい下さっておられる諸兄には、すでに「あれは飾りなのだろう」と思われ、リンクカラーが塗られぬ事に、今さら疑問すら感じられぬ「開かずの間」がある。

その名は「なぜか東洋医学」(-_-;)。

実はコレ、なんと、このHPを作り始めた一番最初に、原稿に着手したコーナーである。

それが、「戦国時代年表」に抜かれ、「自己紹介」に抜かれ、「城主のたわごと」に抜かれ、「戦国商品を作ろう!」に抜かれ、「作品の広場」の天陽さま作品「東海乾坤記」に追い付かれ、そして「武将診断、あなたの人生」の開設が先になった。

しかし、ここまではどれも、オープンと同時ぐらいに開設する目的のコーナーだった。

番狂わせは、ここから始まった。私は当初、「戦国武将一覧表」の作成を、ハッキリと後に回していた。この辺でオープンまでの段取りを一息つかせ、やりかけていた原稿を見直そうと思い定めていたハズだったのである。

が、しかし、ここで「戦国商品を作ろう!」のデータ紛失事件が起きる。私は咄嗟に、文章を考えるのがイヤになった。何か、自分の考えだけに頼らず更新できるものを、先に回したくなったのである。

そこで登場する「戦国武将一覧表」。これが思いの他大変だった(-_-;)。が、しかし、一度オープンしてしまうと、あまり間を開けては、なんだかまるでサボッているように思われるんじゃないか……そんな危惧が発生したのである。

さらに……である。人に小説の投稿をさせて成り立っている「作品の広場」の存在が気になった。自分も何か作品を載せなければならないのではなかろうか。とは言え、現在連載している相手はプロである。これと並んで、いきなり戦国物ってのも、何だか恥ずかしい。

イラストにしておこう。うん、そうだそうだ、それがイイ(^_^;)。

……そしてハマる、画像処理の日々(-_-;)。これが案外、面倒臭かった。半分しか載せられない。残りは今度だ、そのうちだ。……これがまた、宿題となる。

こ……こんな事ではイケナイ! 当初、一番初めに着手したのは、「なぜか東洋医学」だったハズである。そしてその時点において、すでにトップページのメニューの中で、未だに「工事中」の赤い字を晒しているのは、もはや「なぜか東洋医学」だけなのである。

そこで一念発起、紛失したデータもほったらかして、私は「なぜか東洋医学」の原稿を書いた。書いて書いて書きまくった!!

そしてハマッたのである(-_-;)。私は薬事法もパスしておらぬし、何ら高等な知識もない。だいたい、東洋医学とは、そういう事であってはならぬような事に戦後あいなった。ゆえに、人に信じられるような書き方は決して許されない。

オープンしてしまうと、何となく「人に見られてるのねぇ〜。きゃああぁぁぁ〜」という、余計と言えば余計な自覚が芽生えてしまう。こういう微妙なテーマを取り扱う以上、あんな事も、こんな事も、配慮しなければならないんじゃなかろうか……。いいや、こんな書き方では誤解を招く。うううう〜、もっと、わかりやすく……いや、高尚な……いや、説得力のある……。←つまりはこれがドツボと呼ぶ現象であろう(-_-;)。

半月近くがパァ〜になった。私は挫折感と無力感に襲われた。そして、ほとんど言い訳のように出す、昔の小説「光の情景」。もう、プロの作品と並ぶ恥の方は、どうでも良くなった。更新していないワケじゃない。……いや、してないのだが、何も努力してなかったワケではない! 私の中に、言い訳の嵐はトグロを巻き、竜巻のように押し寄せた。

以後、「年表」→「一覧表」→「光の情景」。これが更新のお定まりのコースとなる。私はそれらを、ただ機械的に繰り返す。時々それに、「戦国商品」の更新とか、「石和川中島合戦レポート」とか、「イラスト」の追加や「たわごと」が加わり、討論議事録なんかも編集する。

そして今では、「なぜか東洋医学」は、「人がいたずらに信じることを恐れて」ではなく、単にひたすら、「内容がともなってないから」開設されないのである(-_-;)。

つまり、このコーナー開設にあたって、折角いろいろ仕入れた事が、文章をこねくりまわしている内に、さながら用語辞典のごとくになってしまい、我ながら、当初何が言いたかったのか、もう思い出せないのである。

今、私は、いろんな良い本が欲しい。しかしどれも皆、驚愕するほど高い。そしてお定まりの貧乏(-_-;)。これは物凄くバカげた状態である。前はわかっていた事が、今はワケわからなくなったために仕入れ直す情報なのである。

そして、万が一、何とか手ごろな良書に出会えた所で、今や更新に追われる日々……。もはや大量の情報と取り組む時間も体力も私には残されていない。

嗚呼、そんなこんなで、私は未だ、開かずの扉を開く事が出来ないのである。

6月6日

城主
 
     




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