最近、各サイトで、「祟り」が流行っている。オゾマシイ事だ。
じゃ、一体、誰が流行らせたのか……という突っ込みには、この際、ノーコメントである。
確かに、某サイトにおいて、祟りのある史跡に対し、ちょっとふざけた書き込みをしたことは確かだが、それにしても、今回の祟りはかなり猛烈であり、反省してる暇とて無いのである。
それは、はじめ、島津義弘サイトに端を発した。このサイトの主催者が、肋骨を折る重症に陥ったのである(-_-;)。
実は、この人、私が2月から、あちこちの掲示板などでさんざん募集しまくった「石和、川中島合戦祭りに行きましょう(^O^)!」の誘いに乗じ、「参加しま〜す」とお返事下さった方だった。
ちなみにこの祭りは、山梨県石和町において繰り広げられる。甲冑を身にまとい、パレードしたり合戦したりする、という、わりととんでもない祭りである。肋骨を折っては、合戦はおろか、甲冑を着込む事さえおぼつかない。
ここまでで集まった人員は5人だったが、残った4人は「参加できなくて、かわいそう」とばかり同情した。それでも、わりと余裕のある対応をしていたのは、今、思い返せば、「あの頃は良かった」といった所だろう。
しかし、祭りの10日前、主人が駅の階段から転げ落ち、片足を捻挫してしまった。この頃から、風雲は漂い始める。何故なら主人は、残り4人しかいないメンバーの重要な一人だったからである。
いや〜、参ったなぁ、どうしようかな……なんて言ってる内に、今度は祭りの1週間前、残りの3人の内の一人が風邪をひいた。わりと重かったらしく、各サイトへのカキコ状況からも、かなりしんどうそうな様子が伝わってきた。
このころから、「祟り」の噂はあった。……いや、ちょうどこの頃、私は祟り話を、面白おかしく書き込んでいたりして、あんまり同情してもらえない行いが多かったワケであり、祟りというより、単にバチが当たった、と言うべかもしれないが、とにもかくにも事件は起きた。
祭りの3日前の事。ついに私も捻挫してしまったのである(-_-;)。
ちょっと階段から踏み外した程度の、今思い返しても、ちょっとした事故に過ぎなかった、としか思えない。その証拠に、私はその日、傷の手当てもせずに歩き出し、そのままバイトの面接に出掛けてしまったのである。
ちょっとした事故から、2〜3時間も経ったころだった。「ん? 足首辺りが熱い」と思い、こりゃ、ちょっとマズイかな……という、いわゆる悪い予感が走った。
なぜなら、いぜん、似たような経験があったのである。怪我をして、捻挫だと思い込んだ私は、自分で湿布や包帯などの手当てをしていたのだが、3週間経ってもまだ患部が痛むので、うるさく周囲に勧められ、渋々病院に行った処、「骨折ですね」と診断されて驚愕した覚えがある。
「骨折? お言葉ですが、ヒビが入ってるだけでは?」
医者には逆らわぬ方がいい事は、重々承知している。が、私は、医者が眺めているレントゲン写真を一緒に覗きこみながら、「線が入っているだけにしか見えないけど」と思ったのである。
医者はムッとして反論した。
「そうです。ヒビです。病名を『亀裂骨折』と言って、骨折に入ります」
そうか……ヒビは骨折なのか……。う〜ん、わかったような違うような……。
とにかく、この時の事を思い出すと、私は「ちぃっ、面倒な事になりおったわ!」と、イライラした。自分が悪いのだが、イライラするのは、合戦祭りに出られなくなりそうだからであって、自分が悪い事はわかっている。
しかし今回は捻挫であった。医者は意地悪く、レントゲンから何とかマズイ点を探そうと目を凝らしたが、骨に異常があるとは断定できずに言葉に詰まる。
「じゃ、骨は大丈夫ですね。捻挫、捻挫……と。よっしゃあぁぁ〜!!!」と私。
「何か予定でもあるんですか」と医者。
「いや、明日から、ちょっと旅行に……」
「旅行?」
医者は、フンッと鼻を鳴らし、おもむろに私の患部を、グイ、と押し、私の悲鳴を確認すると、こう言った。
「無理だねぇ、これじゃ」
しかし私は諦めなかった。治療室に入るや、治療士の人に「どうしても靴(ホントは地下足袋(^_^;))を履かなくてはならないんです。こんなギブスをはめてたら、絶対に履けません。お願いです。どうにかして下さい!」と、泣き付いた。
「わかりました。テーピングで行きましょう(^_^;)」
このような仕儀で、私は見事、合戦祭りに参加を果たした(^O^)。
そして、旅先から楽しく帰ってきて、約束通り、おとなしく通院していたある日、治療士に言われたのである。
「あれ? 痛いのは足首じゃなくて、足の甲? いや、こりゃマズイなあ」
「え(^_^;)?」
「これはマズイんです」
「……と言うと、もしかして……ヒビ(^_^;)?」
「……の可能性アリですねぇ」
<つづく>
4月25日 |