<2000年・城主のたわごと4月>




捻挫した(-_-;)。何の祟りだろう。

と思っていたら、今度は骨折と判明(・・;)?




     
 

最近、各サイトで、「祟り」が流行っている。オゾマシイ事だ。

じゃ、一体、誰が流行らせたのか……という突っ込みには、この際、ノーコメントである。

確かに、某サイトにおいて、祟りのある史跡に対し、ちょっとふざけた書き込みをしたことは確かだが、それにしても、今回の祟りはかなり猛烈であり、反省してる暇とて無いのである。

それは、はじめ、島津義弘サイトに端を発した。このサイトの主催者が、肋骨を折る重症に陥ったのである(-_-;)。

実は、この人、私が2月から、あちこちの掲示板などでさんざん募集しまくった「石和、川中島合戦祭りに行きましょう(^O^)!」の誘いに乗じ、「参加しま〜す」とお返事下さった方だった。

ちなみにこの祭りは、山梨県石和町において繰り広げられる。甲冑を身にまとい、パレードしたり合戦したりする、という、わりととんでもない祭りである。肋骨を折っては、合戦はおろか、甲冑を着込む事さえおぼつかない。

ここまでで集まった人員は5人だったが、残った4人は「参加できなくて、かわいそう」とばかり同情した。それでも、わりと余裕のある対応をしていたのは、今、思い返せば、「あの頃は良かった」といった所だろう。

しかし、祭りの10日前、主人が駅の階段から転げ落ち、片足を捻挫してしまった。この頃から、風雲は漂い始める。何故なら主人は、残り4人しかいないメンバーの重要な一人だったからである。

いや〜、参ったなぁ、どうしようかな……なんて言ってる内に、今度は祭りの1週間前、残りの3人の内の一人が風邪をひいた。わりと重かったらしく、各サイトへのカキコ状況からも、かなりしんどうそうな様子が伝わってきた。

このころから、「祟り」の噂はあった。……いや、ちょうどこの頃、私は祟り話を、面白おかしく書き込んでいたりして、あんまり同情してもらえない行いが多かったワケであり、祟りというより、単にバチが当たった、と言うべかもしれないが、とにもかくにも事件は起きた。

祭りの3日前の事。ついに私も捻挫してしまったのである(-_-;)。

ちょっと階段から踏み外した程度の、今思い返しても、ちょっとした事故に過ぎなかった、としか思えない。その証拠に、私はその日、傷の手当てもせずに歩き出し、そのままバイトの面接に出掛けてしまったのである。

ちょっとした事故から、2〜3時間も経ったころだった。「ん? 足首辺りが熱い」と思い、こりゃ、ちょっとマズイかな……という、いわゆる悪い予感が走った。

なぜなら、いぜん、似たような経験があったのである。怪我をして、捻挫だと思い込んだ私は、自分で湿布や包帯などの手当てをしていたのだが、3週間経ってもまだ患部が痛むので、うるさく周囲に勧められ、渋々病院に行った処、「骨折ですね」と診断されて驚愕した覚えがある。

「骨折? お言葉ですが、ヒビが入ってるだけでは?」

医者には逆らわぬ方がいい事は、重々承知している。が、私は、医者が眺めているレントゲン写真を一緒に覗きこみながら、「線が入っているだけにしか見えないけど」と思ったのである。

医者はムッとして反論した。

「そうです。ヒビです。病名を『亀裂骨折』と言って、骨折に入ります」

そうか……ヒビは骨折なのか……。う〜ん、わかったような違うような……。

とにかく、この時の事を思い出すと、私は「ちぃっ、面倒な事になりおったわ!」と、イライラした。自分が悪いのだが、イライラするのは、合戦祭りに出られなくなりそうだからであって、自分が悪い事はわかっている。

しかし今回は捻挫であった。医者は意地悪く、レントゲンから何とかマズイ点を探そうと目を凝らしたが、骨に異常があるとは断定できずに言葉に詰まる。

「じゃ、骨は大丈夫ですね。捻挫、捻挫……と。よっしゃあぁぁ〜!!!」と私。
「何か予定でもあるんですか」と医者。
「いや、明日から、ちょっと旅行に……」
「旅行?」

医者は、フンッと鼻を鳴らし、おもむろに私の患部を、グイ、と押し、私の悲鳴を確認すると、こう言った。

「無理だねぇ、これじゃ」

しかし私は諦めなかった。治療室に入るや、治療士の人に「どうしても靴(ホントは地下足袋(^_^;))を履かなくてはならないんです。こんなギブスをはめてたら、絶対に履けません。お願いです。どうにかして下さい!」と、泣き付いた。

「わかりました。テーピングで行きましょう(^_^;)」

このような仕儀で、私は見事、合戦祭りに参加を果たした(^O^)。

そして、旅先から楽しく帰ってきて、約束通り、おとなしく通院していたある日、治療士に言われたのである。

「あれ? 痛いのは足首じゃなくて、足の甲? いや、こりゃマズイなあ」
「え(^_^;)?」
「これはマズイんです」
「……と言うと、もしかして……ヒビ(^_^;)?」
「……の可能性アリですねぇ」

<つづく>

4月25日
 
     



不眠症である(-_-;)。徹夜しても翌晩は眠れない。

これは不眠と言うより、夜型と呼ぶんだろうけど。




     
 

私には、三大反社会性(大げさ)がある。

一つは不眠症。不眠というより、夜型なのだと我ながら思う。

その証拠に、昼は眠い。昼と言うより、私はお日様を見ると眠くなるのだ。原因は、生まれた時刻が夕方の5時だったからではないか、と思う。

これは珍しいらしい。普通の人は朝方に生まれる。に対して、私はピッタリ12時間ズレて生まれてきた。これが原因するのかどうか、私の日常時間帯は、明らかに普通の人とピッタリ半日ズレているように思う。

何とか夜に眠れるよう、これまで何度挑戦してきたことか……。下手すりゃ朝起きる時間になっても、まだ少しも眠くなかったりするので、こういう時は、いっそ徹夜してしまおう、となる。

しかし、そのまま眠くならなければいいが、必ず、お日様が高く昇れば昇るほど、壮絶な眠気に襲われる(-_-;)。

これを何とか堪えに堪えて、次の夜に備える。夜になる。やっと眠れる。……しかしなぜか、又しても全く眠くならない。むしろ、ギンギンに冴えてくる。無理やり寝ると、さすがに徹夜したから体はすっかり疲れていて、ウツラウツラし始めはする。

が、やはり1〜2時間ていど仮眠するような状態しか訪れない。……そして又朝だ。ここまで来ると、次の昼は眠気を堪える事など全く出来ない。死んだように眠ってしまう。そして、また夜ギンギン……。この性癖ゆえに、私は会社の有給休暇を使い尽くしてしまう事が多かった(-_-;)。

二つめは喫煙である。ほとんどニコチン中毒と言ってよい。禁煙ブームのさっこん、自分は反社会的人間であることをつくづく実感する。

男性でさえ、周囲の同意を求めずに、いきなりスパ〜ッとやりはじめれば白眼視されよう今日このごろである。女性となれば、例えば職場で「あの〜、喫煙所どこですか」なんて聞ける雰囲気そのものがナイ。

勇気を奮って聞いたとする。すぐさま、「ねえ、赤ちゃん生めなくなるわよ」の説教の嵐が降ってくるだけのことだ。下手すりゃバッグを取り上げられ、没収の憂き目に遭いかねない。

……どころか、入社するなり、女性社員の誰かに、「あなたも賛成よね」とばかりに、禁煙運動の署名欄にサインを求められたりする。これは正社員の時も、派遣社員の時も、バイトの時も、ほとんど変わりない状況だった。

よく、始めから喫煙習慣を身に付けなければよい、という人がいる。しかし私の場合、喫煙をして良かった、と思える点がいくつかある。そのうちの一つは、自分自身がタバコの煙に平気になった、という点である。

私の小さい頃は、禁煙という風潮は皆無だった。子供は大人のするどんな悪い事にも文句を言えなかった。だから、子供がどこかに避難する場のないような所でも、大人が煙草を吸い始めると、私は喘息の発作が起き、熱にうなされても耐えなければならなかった。

それが、自分が喫煙するようになって、喘息が見事に治った。いや、体が鈍化した(^_^;)、という方が正しかろう。まあつまり、核保有みたいなものである。良い事ではないが、私にとっては必要悪だった。

さて、三つめ。これはサラリと済ませたい。告白に勇気がいる。ものすごい覚悟がいる。このサイトは、今日で終りかもしれない。そう思うぐらい反社会的な性癖である。

私は、子供が苦手である。公園でも病院でも電車の中でも、喫茶店やレストランでも、子供がはびこる場所は、何となく避けてしまう。

こんな私だから、幼稚園とか小学校の頃は地獄だった。周りじゅうが子供だらけだからである。それゆえ私は、子供のころ、非常にストレスが多かった。病気にばかりなったのも、そのせいだと思う。

心理学的には、親との愛情交換やら、自身の幼児性やらに問題アリってな事を言うが、全く関係ない。心理学とは一種の宗教である。信じたい人は信じれば良いが、一度変だな……と思ってしまうと、どれもこれも無理な屁理屈に思えてくる。子供が苦手、これだけで独立した性格はある。

お気付きの通り、私は、女性なら許されない性格の持ち主だろう、と自分でも思う。思えば、化粧にも服装にも、全く興味がない。友人に誘われ、無理してショッピングになどつきあおうものなら、3分も衣類売り場に居れば、たちまち貧血を起こしてしまう。

こんなワケで、私の居られる場所は、家の中にしかないのである。

4月11日

 
     




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