<2000年・城主のたわごと3月>



今日は、高柳光壽さんの『明智光秀』を読んで感じた事から……。

しかし、非常に「たわごと」らしい内容である、と思う(^_^;)。




     
 

↑そう、まさに「たわごと」である。題名から何かを期待すると、城主を殺したくなるような事を書いてしまう。

実は、光秀謀反の動機に触れるにあたり、信長の性格について著者が述べようとするくだりがあって、その一部に、佐久間信盛追放事件が入っている。

そして佐久間信盛を書くにあたり、さらに前付けとして、水野信元について書いてあるくだりがある。↓

「天正3年(1575)信長が武田勝頼の属城美濃岩村城(岐阜県恵那郡)を攻めたとき、城中では食糧がなくなり、いろいろ道具などを持出して食糧にかえた。それを刈屋・小川のものどもが替え取ったという評判がたった。この刈屋・小川というのは信元の領地であり、そのものどもというのは信元の兵である。そこで信盛は仲の悪い信元を信長に讒言した。信長は怒って使者を信元のところへやった。信元もまた弁明のため家老を信長のところへやった」

上記、何だかわからない話かもしれないが、これ以上書いても、私の書きたい事から恐らくズレると思うので、前置きはこの程度にとどめておきたい。つまり、上記が何だかわからなくても、充分に通じる事をこれから書く。それは、上記の文章の続きを読んでもらえばわかると思う。↓

ところがこの両方の使者が途であい、一緒に酒を飲んで喧嘩をしてともに死んだ

このあと、「それで信元は申しわけが立たなくなり、信長は信元に腹を切らせた(『松平記』『信長記』)」と続くのだが、私は、そんな結末はどうでも良くなってしまった。上記太字部分を読んで、いや、マジで、目が点になったからだ。

どなたか、この太字部分を、どんな具合にでも良いから、一度ドラマ仕立ての小説か何かにしてみてくれないだろうか……。どういう描き方をすれば、この太字部分を、万人に納得させうるドラマに出来るだろう。

事実は小説より奇なり、とはよく聞く言ではあるが、高柳さんも、よくぞこの一文を、特に疑問でもないような具合に、スラリと書いてくれたもんだ。こんな事を書かれて、本能寺の変への謎に、素直に向っていったこの本の読者は、私はずいぶんエライ人だと思う。

私はダメだった。ここで笑ってしまったし、ここで止まってしまった。その後、この情景はいかに進行したのか、一体、二人の使者がどういうキャラクターだったのかが、気になって気になって、光秀の謎を追及する段ではなくなってしまったのである。

2000年3月31日

 
     




ついに自他ともに認める歴史系サイトになった(^_^;)。

イラストも現代小説も載せた。それでも戦国サイト、というこの矛盾。




     
  やっと愚痴のネタが無くなった(^_^;)。当分ナイ事を祈る。

奮闘するほどの悩みは消えた。が、しかし、当初「たわごと」に書き始めた発足主旨の矛盾点は、未だに消化される事なく、ついに今日を迎えている。

発足主旨の矛盾点……それは、1月「たわごと」を読んで貰えばわかっていただけよう。このHPは、元々イラストがらみか文章がらみのお仕事が欲しくて、ほとんど「名刺がわり」あるいは、「窓口」として設立したハズだったのである。

で、現状、当初の目的通り、イラストも載せた。まだ途中ではあるが、小説もUPしつつある。が、このサイトは、未だ、お仕事のスタンバイとしては機能せず、俄然として「歴史サイト」のまんま、その地位を譲ろうとはしていないのである。

今日……そう、今やHPオープンから、すでに2ヶ月半を越えようとしている。あと半月で3ヶ月である。カウントは早、3,000に迫る勢いである。ハッキリ言って、超ヤバイ(-_-;)。

しかしあと半月の内に「えっとぉ、このHPは、これこれこういう目的のためにあるんですぅ〜」と言い切れるようになる自信など、全くない。だから、さっさと白旗宣言をしておこう、と、実に姑息な手を打っているのだ。

ここを訪れる人は、ほとんど全員が「戦国サイト」と認識しているように思う。それは掲示板を見ればわかる(^_^;)。だいたい、私は、それ以外のジャンルから客を集める努力を、ほとんどしていないし、たま〜に、デザインがらみの人と接触があっても、なんとなくそのまんま、疎遠になってしまう。それはなぜか……。それは……。それは……やっぱり歴史が面白いからである(-_-;)。

ああ〜。何でこの道で食って行く努力を一度でもしてみなかったのか……。

やめよう。それこそ、又々愚痴になる。その道で生きて行きたかったら、もっと高校生のころに、受験勉強にいそしまねばならなかったのである。それで史学で有名な一流大学に入るべきだったのである。で、その現状に対して私は、どのように対処していたか、というと、そのころから、私は歴史と国語以外は勉強しなかった……いや、したくなかったのである。

もっとハッキリ言うと、英語が嫌いだった。死ぬほど大嫌いだった。HTMLにつまづくのも、元を辿ればアルファベットを見るだけで、ムシズが走る性格ゆえである。

しかし、英語ができない学生は、有名大学に入れなかった。つまり、私は歴史を愛しすぎて歴史の道には行けなかったのである。んん〜、矛盾だのうぅぅ〜(^○^)。

で、今月はじめ、かの「歴史ネットワーク」様から、「特集させて下さい」なるお誘いを受けて、私はウホウホ♪喜んで承諾した。「いや〜特集してもらって、検索しても出て来ないサイトじゃ、何か申し訳ないなぁ〜」とばかり、うかれて私はついにサーチエンジン登録を申請した。4月にやる武者祭りに参加人員を募る目的も多少はあった。(←むろん、これも、全く「お仕事」とは関係ない(-_-;))

そこで、「ジャンル選択」という現実に出くわしたのである。そこでは、「イラストもOK、小説もOK、お仕事も待ってま〜す。でも、歴史もやってるのよぉ〜♪」というような、浮気心満載の選択方法は許されなかった。いきなりどこかのジャンルにミサオを差し出さねばならないのである。

だから、私はやってしまった(-_-;)。「人文系→歴史→安土・桃山・戦国時代」を選択してしまったのである。

そういうワケで、今、このサイトは、発足主旨も定まらぬままに、自他ともに認める「歴史系サイト」に定まってしまった気がするのである。

2000年3月29日
 
     




いい加減、グチ路線から脱却せねば……。

そう思っていた矢先、今度は、掲示板が消えたさ〜(^_^;)。




     
  ↑又しても、この主題の通りである(^_^;)。もう、笑ってしまう。

懸命なる閲覧者の皆様には、すでにおわかりの通り、この「たわごと」ってのは、チョコチョコ書き溜めて進んでいるのである。前回の「たわごと」は7日の日付だが、掲示板ロスト事件が起きたのは、それより3日も前の、3月4日である。なのに、7日の「たわごと」には、この事件について触れていない。

この日にちのズレを、「もしや、後世の捏造では……」と誤解されると恐縮なので(誰も、そこまで注目してないゾ!)、一言ことわっておくと、前回の「たわごと」は、UPし損なっていただけである。は……はははは。(^_^;)

で、本題。

そう、事件は起きた。その夜、なぜかたまたま、ビジーに合わなかった。これは、今思えば、もっけの幸いとしか言い様がない。もっとも、3月に入ってから、けっこう繋がりやすくなってきた。うん、よしよし(^^)、なかなか快調ではないか。

あああ〜ちがう、ちがう。今したいのは、その話じゃなくて、掲示板ロスト事件。そうそう、その夜、「おっ、繋がったぁ〜♪」と、喜び覗いた掲示板に、ナゼか、記事が一個しかナイ。(゚.゚)

ん? こりゃ一体……と、よくよく見ると、一個しかナイその記事の件番が「1」になっている。

ああ〜、そおかぁ〜、ウチの掲示板って、人気がナイんだなぁ〜。もう2ヶ月近くやってるのに、一人しか……しかも、たったの一件しか、書き込みしてくれる人が居ないなんて……。 *しくしく*

そうじゃないでしょっ!! 事件ですよ!

ハッ! そうか、これは事件なんだ。こりゃスマン、明智君。

そう、明智君といえば、明智家記の森田丹波守さまなどは、とっくに事件にお気付きの御様子でいらした。……に比べて、何と言うトロイ城主であろう。情けない。明智君、すまない。私には、しょせん信長役は無理だ。だから寝ている間に討たないでね。(←誰が信長だと言ってくれたワケ?)(だいたい、誰が主人公かわからん話だ)

で、私は(というより、主人が(^_^;))徹夜で修復。過去ログを再現し、無事、夜明けまでに復元作業は終った。心残りは、保存に至らなかった、その日、24時間あまりの間の書き込みデータが、ものの見事に消えてしまった事である。

聞く所によると、CGIには、こういうバグが付き物らしい。バグというより、カウンターなどは、アクセスが複数重なった時、掲示板は、書き込み件数が重なった時、どれを先にするか判断に迷い、どれかを「1番」と認識してしまう事がある→つまりリセットされる、という。自分で作るほどの能力のナイ者は、こうした事件に遭遇しても、文句を言う資格もないらしい(-_-;)。

しかし、私の言い方は、あまりにも、それまで書き込みして下さった方々に対する感謝を置き忘れた感じがある。ちなみに、その前の件数は、たぶん「322」ぐらいまでは在った。うん、まずは、それまで、そんなに多くの書き込みして下さった方々に、深い感謝の気持ちを伝えたい。番号戻っちゃって、スイマセンm(__)m。

次は、愚痴を言わずに済むだろうか。いつか、明るく楽しいお話の出来るコーナーに……♪

ああ、それだと「たわごと」とは呼ばないか。は、はははは……うむ、納得。

2000年3月16日
 
     




そろそろ、HP奮闘記にも飽きた。

……つもりだったが、神は次々とネタを与え賜う。そう、無慈悲にも。




     
  ↑この主題でバレての通り、今回もHP製作(と言うより、すでに運営)の愚痴である。

1月のネット料金請求書が来た。これは例の、入ったばかりの新しいプロバイダから来る、ほとんど初めての請求に匹敵する。請求書というよりは、領収書と言うべきだろう。……そう、文句があっても自然と引き落とされるアレである。

額を見て、ブッ飛んだ。2万7千円!!!!である。

ウソだ! そんなに使った覚えはナイ!

しかし、覚えがナイだけで、WEB上で確認したところ、確かに使用しているような記述が……。電卓で急いで計算したが、確かに請求額に相当する。どこも間違っていない。間違っているのは、私の当初立てた見積もりであった。

うぬ。ヌカッたようである。あと400円……そう、たったの400円をケチッたためにこの始末。

何が400円かと言うと……、

25時間コース=1500円

この差である。

150時間コース=1900円

しかも悔しい事に、この愚かな自分の見積もりの甘さに気付いたのが、タッチの差で月替わりを越えた夜中の1時。何が悔しいかって、月が変わると、コース切り替えが適用されるのが来月……つまり4月から、という事になる。

ああああ、今月は、一体いかほど請求されるのだろう。それを思うと、オチオチゆったりとHP閲覧する気にもなれない。

そういうワケで、今私は、どこかのサイトに繋がったとたん、即座に回線をオフにする、という節操のないネットサーフィンを繰り返しているのである。

サーフィンとは、波乗りする事を指す。節操のないサーフィンとは……。

<例>

「波が来るゾ〜、……来る来る、……さあ、来た来たぁ〜!
よっしゃあ、乗ったぁ〜!!


……ところで、今いくら(^_^;)?


こういう心配をしながらするサーフィンの事である。生理的に非常なストレスを感じる。しかも、ウチは以前も書いたごとく、夜中に繋がりにくいAPであるらしい。一度切ったら、次はいつ繋がるのかわからぬ夜も少なくない。

繋がりにくい、と言えば、もう一つ、文句がある。自分のサイトに繋がらず、イライラする時、なぜ人様のサイトになら繋がるのだろうか。自分のサイトには繋がっても、掲示板に入ったとたんド〜ンと画面がストップしてしまうのは……???

2000年3月7日
 
     






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