<長篠合戦・議事録3>


     
  <こたつ城主 [関東] 2000/04/22(Sat) 13:32>

>久住さま

>「司馬遼太郎と学者の論文の違いは何か。
>司馬遼太郎は文章がうまい。」

名言ですね。

司馬さんが初めて小説を書いた時、文学通の友人に「これは小説ではない」と、さんざんコキ下ろされて、一度作家になるのを諦めかけたそうです(^_^;)。そこを、海音寺潮五郎さんに「面白い」と評価されたのが、作家になったキッカケだとか……。

それから、これは聞いた話なんですが、司馬さんは受賞した時に、吉川英治さんに「時代考証が甘い。嘘がある」と叩かれたそうです。で、一念発起して、「調べ物の鬼」と化した、とか(^_^;)。神田の、ある古本屋にあった本を全部買った、という話は有名ですよね。

さらにもう一つ。司馬さんは学生の頃(だったか)、モンゴル方面など、北方騎馬民族がご専門だったらしいのですが、初めてそちらの方面に取材に行けた時、飛行機の中から、何とかいう山(名前が思い出せない)を見下ろして、長い間、憧れの山としてイメージしてきたワリに、「意外と小さいな」と感じたそうです。そしたら、前の席に座っていた井上靖さんがクルッと振り向いて「今のが、○○山ですね」とだけ言ったとか。司馬さんは、自分の心を見透かされたような気がして、苦笑するしかなかったとの事。事実と、虚構やイメージとのギャップ。ありがちな話ですね(^_^;)。

>鉄砲の役割は「敵を寄せ付けない」と「敵の機動力を
>削ぐ」だけだったと考えております。

なるほど。長篠合戦は、その後の歴史を変えた、とまで言われてますが、その後の戦は、長篠の戦法をどのぐらい取り入れて、どのぐらいその前の合戦より変化したのでしょうね。

>鉄砲隊は、一斉射撃の必要なし、ばらばらに撃っていれば、
>敵を寄せつけない目的は達せられる。
>馬にあたる高さで撃てばよい。

確かに、馬に当たれば機動力を地道に削ぎ落とせますからね。

>だいたい川を挟んでの戦いは、恐怖心が起こらないという点で、
>防禦側が圧倒的に有利になります。
>(杭瀬川の戦いがまったくそれを狙って成功した例です)

杭瀬川の戦いと長篠の戦いは、似た状況だったのですか。詳しくないですが、規模が違うような気が……。

>待ちに待っている騎馬隊に、機を見て追撃を指令
>(そのときには鉄砲隊も槍に持ち替えていたでしょう)。

なるほど。鉄砲と槍の両方で訓練された戦闘隊だった、兵農分離の信長麾下には、戦闘能力が高い兵が育っていた、という所かな?



<こたつ城主 [関東] 2000/04/22(Sat) 13:34>

>光慶さま

>題名:訳も判らず反論
>本文を読んでいないので、大きな事は言えませんが、

私も同じ(^_^;)。

>鉄砲隊の方は別に前が見えなくても困らないような・・・。

煙の量(?)にもよりますが、普通に考えると、困難な視界においても、激しい動きの、しかもシルエットの大きい騎馬武者が近付いて来る様子は把握しやすいけど、柵の向こう側で、背を低くして隠れている兵士達は見えにくい、という想像も出来ます(^_^;)。ましてや、落とし穴(という具合に、私は想像してるんですが)みたいな障害には気付きにくいだろうな……と、単純に私は「東海乾坤記」を読んで、納得しちゃったんですが(^_^;)。甲斐の虎さまのお話を聞いたら、自分の状況把握が甘いのかな、とも思えてきた。(と言いつつ、全て理解できたワケじゃないけど(^_^;))



<久住さま [関東] 2000/04/22(Sat) 14:52>

>城主様

>似た状況だったのですか
敵に渡河させることで、戦意の高くない味方の守備力を上げる
という狙いだけですね。状況はまったく違います。

>戦闘能力が高い兵が育っていた
鉄砲を撃つことがかろうじてできるという程度の、
狙っても当たらない兵たちではなかったかと
考えています。銃の名手などそうたくさんはいないし、
他の戦線で必要でしょう。無理を言ってあちこちから
引っこ抜いてきた寄せ集めですので、統制射撃など絵空事
でしょうし。
鉄砲の大量使用という意味は、「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる
(かもしれない)」ということでしょうから、「撃つだけ
撃ったら槍に持ちかえる」のが妥当だと考えております。
鉄砲奉行の役割も、間を空けずに誰かが撃っている状態を
作り出すのが役割ではなかったかと。
煙幕の話などありましたが、それにしても、織田方の鉄砲は
設楽原ではあまり当たらなかったようですね。
その後の武田方が「鉄砲の脅威」に恐れおののいたという
形跡があまり見られないので。
(もとから鉄砲を重視していた
勝頼は別ですよ。)



<天陽さま [四国] 2000/04/22(Sat) 23:54>

>光慶さん

> 逆に全軍で突撃してきてもらった方が良かったのでは?
> (理由は、敵の数が多いほど、メクラ撃ちでも当るから・・・)

名和氏は鉄砲隊が武田軍の突撃してくる場所にあわせて、横移動するという感じの説明をしていて、甲斐の虎さんを含め、私もそれは少々おかしいのではといった議論をしていたわけです。
だから、鉄砲隊はただ撃てばよいのだけど、その前に移動しなきゃならない。ゆえに視界が必要ということ。
それだと、あまりに突飛なので・・・という話です。

>こたつさん

> なるほど。鉄砲と槍の両方で訓練された戦闘隊だった、兵農分離の信長麾下には、戦闘能力が高い兵が育っていた、という所かな?

織田の兵は弱いというのが通説です。
戦闘能力は高くても、畑を捨て、戦場を職業とする足軽たちは、プロですから、半農半士の足軽たちより命を惜しむと思います。生き残らなきゃ、報償が出ても意味ないですからね。
信長は個々の実力では敵わないから、鉄砲を使った集団戦法で武田に勝つ道を探ったのではと思います。
 
     

     
  <具合 悪佐守さま [関東] 2000/04/23(Sun) 10:18>

さて、方々、長篠の合戦、御力が入っておられ申すの。
良く読んでは居り申さぬので軽軽には論ずべからずとは存じまするが、下記はそれで良いのでは御座るまいか?

>武田軍の突撃してくる場所にあわせて、横移動するという感じの説明をしていて、

某なら、連子川?と丘陵の間に細長く陣取る織田軍に弱点を見るとするなら、まさに北から南までの陣の長さと連絡が難しいであろうと思われる事ではなからんかと愚考致す。
つまり、兵力で劣る武田軍が勝つには、正面の陣は動かず、織田の諸隊をそれぞれの位置に引きつけておき、突撃隊によってその1箇所を突破し、そこから板でもめくる様に、横に一つづつ各個撃破していって、破口を広げ、遊軍を持ってそこから侵入、迂回攻撃、それに合わせて正面の部隊も総攻撃で、殲滅するというのが良い様に思うのじゃ。蛇は大きくでもぶった切られたら終わりじゃからの。

一方、織田軍としては、陣の長さは包囲攻撃に適しているわけで、前線を維持できれば、両翼から部隊を廻りこませて、敵が突破に夢中になっている間に十分に囲い込み、頃合を見て包囲殲滅するというのが得策で御座ろう。

あの二重、三重の馬防柵、某なら斯様に使い申す。
すなわち、城の柵と同じじゃ。構造も同じでは?
全面には見張りというか僅かの弓、鉄砲、槍の足軽で良い。まさに城壁の状態。そして櫓ではないが諸所の丘陵上に部隊を置き、突破されそうなときの押さえにする。しかも敵からも見えるので、敵は成るべく手薄な所に向かうであろう。居るだけで牽制になるのじゃ。 そして、鉄砲組の足軽は40〜50人ほどが1単位であろうか、諸所に待機させて、敵が柵に取り付いた所を、2列目の柵から狙い打つ。城攻めと同じじゃ。城も石垣や柵に取りついたやつばらを銃眼から狙い打つのが普通じゃ。あの銃眼の数で一斉射撃は意味が無いからの。
加えて、あの柵列は食い違い、城の枡形のようにも使えたのでは御座らぬか?敵が柵を引き倒さず入り込んだ場合は敵の逃げ場が無い事を利用して打ちすくめるのじゃな。あれは意外と効果があるものじゃ。

それでも突破されそうなら、丘の上から増援を送り斬り結べば良い。武田軍の作戦では総がかりは無いから、離れた所から鉄砲組を出し、この間の大河の島左近殿の時の様に、側面から撃ち掛けても良い。
要は追い返せば良いのじゃ。討ち取る必要は御座らぬ。これも城を守るのと同じで御座ろう。時間稼ぎ、その内、敵は袋のねずみ。小説は知らぬが、織田が大軍を用意していたのは戦術的に見て包囲攻撃を考えておったからじゃと思うし、一進一退から総崩れになるのは、その時点で包囲が進んでいる事に気付いたのでは御座るまいか。

某、愚考仕るに、当時、騎馬隊など日本には存在しなかったのに、それを考えるから、馬防柵と思うのじゃ。あれは、山城などの城壁、柵列と思えば、柵の後ろの狭さも城並じゃし、戦法も教えずとも当時の兵なら慣れた物じゃ。新規の戦法を仕出すは行い難きもの。使い慣れた戦法なら無理は無いのじゃ。

これはつまらぬ事を長々と申した。あくまでこれは、某が兵を率いて居るならの話じゃ。すべて、某の采配に御座る。お笑い下され。

それでは御免仕る。



<こたつ城主 [関東] 2000/04/23(Sun) 15:23>

>久住さま

>間を空けずに誰かが撃っている状態を
>作り出すのが役割ではなかったかと。

だいたい、「一斉射撃」という従来通りのイメージ(いわゆる「三段構え、一斉射撃」の姿)が、そもそも怪しいんですよね(^_^;)。だいたい三段やってる間に敵に来られてしまう、というのは、既に証明されてるようですからね。まあ、三段でも十段でも三十段でも別に構いませんが、そんなに大量の鉄砲を配備させておく、なんて、ムダなだけだっつー気もするので、鉄砲自体の目的としては、狙撃より、銃声の威力か硝煙の効果という事になるのでしょうか????(よお、わからん)それにしても、やはり三千挺の真偽は重要ですね。兵力をどうさばいたのか、これに掛かってきますからね。



<こたつ城主 [関東] 2000/04/23(Sun) 15:24>

>天陽さま

>鉄砲隊はただ撃てばよいのだけど、その前に移動しなきゃ
>ならない。ゆえに視界が必要ということ。

ふむ。横移動ですか。ナルホド。何せ元の理論を把握してないものですから、進行が変で、どうもスミマセン(^_^;)。それでは自分たちが移動するのに、先に進めない、という事だったんですか。武田方が見えない、という事ではなくて?

>織田の兵は弱いというのが通説です。
>信長は個々の実力では敵わないから、鉄砲を使った
>集団戦法で武田に勝つ道を探った

と言う具合に、私も叩き込まれてきた世代でして……(^_^;)。 あと、メール、ありがとでした(^^)。馬防柵がハリボテ、というのは驚愕でした。確かに従来、これが越えられずに武田隊は壊滅した、とだけ言われていて、私は常々「だったら次の隊から、突撃しなきゃいいじゃん」と思っておりましたし(^_^;)、だいたい馬防柵だけでは防ぎきれないと思ってます。むろん、よくよく言われてきた、「武田古参組の自殺行為」も、今イチ説得力が弱いもんで……。だから、土塁と空堀は私としては納得でしたが……?


>具合 悪佐守さま

武田軍の長蛇を断つ戦法に対し、織田軍の鶴翼らしき陣形(?)で押し包む……ですか。

柵を城の各櫓を包み込む壁と同じように使用する、という方法ですが、これはそのように機能していたのでしょうかね。それこそ充分な敷地がないと不可能な気もするのですが……。また、柵はハリボテだった、という話もあり、守りに使える代物だったかどうかも検討の余地がありそうですよ(^_^;)。(下手すると、邪魔なだけかも〜)

>そして、鉄砲組の足軽は40〜50人ほどが1単位であろうか、

この辺り、私も明確な数を把握したいです。編成がわからないと話が出来ない(-_-;)。



<天陽さま [四国] 2000/04/24(Mon) 01:06>

題名:ハリボテ柵の意味

武田の陣地から見て、連合軍側の陣は柵と土塁が見えているだけというのを、名和氏は実証されたようです。
で、その柵はしっかりしたものではなく、むしろ貧弱。
私の解釈では、その貧弱な柵でもって、武田軍の誇りをあおる。
柵をしっかりさせてしまえば武田軍が突撃に二の足を踏んでしまうかもしれない。どうせ防御のメインは土塁と空堀なのだから。
武田軍はあの程度の柵ならばと、突撃する・・・



<久住さま [関東] 2000/04/24(Mon) 07:37>

題名:ハリボテ柵説に一票(?)

ハリボテ柵、いい響き。
楠木正成の「千早城二重塀」を思い出しました。
大体、馬防柵と鉄砲隊だけで勝とうというなら、
鳶ヶ巣砦攻略に馬廻り(当然、鉄砲の腕はいい)
から五百丁も出して、残った寄せ集めの「千丁ばかり」
で勝負しようというふうには、合理的な思考ができる人なら
やらないだろうと思います。(まして、信長なら)
 
     

     
  <具合 悪佐守さま [関東] 2000/04/24(Mon) 14:18>

いたずら者の悪佐に御座る。

城の櫓(□)というものは、通常、城壁の角などにあるものにて、
以下の通りに御座る。
――□堀
  |堀
  |堀
郭内|堀←敵軍
  |堀
  |堀
――□堀
そして、山城の郭は等高線に沿って削って作っているので、
幅は狭いので御座る。平城は郭内に屋敷などを置くので
広う御座るがの…。
某が思うたのは以下の通り。組の人数は、徳川幕府の
お先手組の人数がそれぐらいだったと記憶しておる為に御座る。
丘丘鉄砲組| |堀
丘丘 ↓  |城|堀  それくらいの人数ならば移動に支障は
部隊       壁|堀  御座るまい。一時的に、柵列を越えて
丘丘 ↑    の|堀   横掛りに撃ちかけてもすぐに退け申す。
丘丘鉄砲組|守|堀
丘丘 ↓  |備|堀 ←武田軍突撃部隊
丘丘     |と|堀
部隊      同|堀  これで、突破されれば、丘の部隊が
丘丘 ↑  |じ|堀  駆け下りて押し返す。某には、
丘丘鉄砲組| |堀  この方が実際的と思うがのぅ。

次に、張りぼてと申しても、実際に築陣する際には、材料は同じ、
プラスチックなど無いので御座る。紙は湿地には向かぬ。
つまり同数の丸太と荒縄が必要なわけで、構築の手間は同じじゃ。
見せ掛けなら、作らぬほうが良いし、作るわけも無いと存ずるが、
むしろ、敵を誘き出すには土塁を低くし堀を浅くするべきに御座る。

ちなみに硝煙の煙は、遠距離射撃では問題になるが、敵が数m先で
柵を引き倒そうとしている所では、問題になどなり申さず。
城と同じ戦法ならば、少数の兵で多数を相手に持ち堪えられ申す。
1000丁などと大軍をおかずとも、少数の部隊を有効に活用した方が
はるかに効率良く持ち堪えられると存ずるが…。

暇じゃったので、つい悪さを致した。ご寛恕有るべし。
それでは御免仕る。



<こたつ城主 [関東] 2000/04/24(Mon) 14:30>

>天陽さま

ハリボテ柵……ウケてますよ(^O^)! もっともこの表現、名和氏の作か、天陽氏の造語か、私は知りませぬゾ(^_^;)。(どっちも「作家=言葉を編み出す人」だから、まあいいか)

>武田の陣地から見て、連合軍側の陣は柵と土塁が見えて
>いるだけというのを、名和氏は実証されたようです。

ナルホド。そういう本なんですね(今頃、納得(^_^;))。

>で、その柵はしっかりしたものではなく、むしろ貧弱。
>私の解釈では、その貧弱な柵でもって、武田軍の誇りをあおる。

ふむ。あの辺りでは、当時の柵の断片が発掘される事もまだある、と噂に聞いた事があるのです。真偽のほどはわかりませんが……。調べれば、材質ぐらいは証明できる?

>防御のメインは土塁と空堀なのだから。
>武田軍はあの程度の柵ならばと、突撃する・・・

これなら納得。名和氏の説、なかなかイイ線行ってるではありませぬか。むろん、甲斐の虎さまの反論は決して無視できませんが……。(第2弾はまだ(^_^;)?)


>久住さま

>大体、馬防柵と鉄砲隊だけで勝とうというなら、
>鳶ヶ巣砦攻略に馬廻り(当然、鉄砲の腕はいい)
>から五百丁も出して、残った寄せ集めの「千丁ばかり」
>で勝負しようというふうには、合理的な思考ができる人なら
>やらないだろうと思います。(まして、信長なら)

ですね。では、鉄砲もまた、天さまの仰るので行くと「武田軍の誇りを刺激」するためのオトリ?(今一つ、鉄砲の重要度が……)



<具合 悪佐守さま [関東] 2000/04/24(Mon) 15:58>

うわ、絵が壊れているのじゃ〜(ToT)。
やはり、悪さばかりしておる祟りか…。
お許しを…!なんまんだぶ〜。

悪さついでに、一つ。名和氏は戦を知らぬお人の様じゃ。
戦をするにあたっては遭遇戦でも無い限り、必ず物見を
出すものに御座る。敵の防御の様子も知らずして突撃する
事はありえぬ事。予め、防御の度合い、兵の配置を見て、
陣備えを敷き、順次、様子を見ながら兵を繰り出すものにて、
柵と土塁しか見えないなど確かめても始まらぬと存ずるが…。
ついでに申せば、土塁は土を掻き揚げて作るので御座る。
取った土は?よろしいか。土塁があれば、堀は普通あるもの。
わざわざ遠くから運ぶより、目の前の土を掘り、その土で土塁を作るので御座る。だから堀は普通、前にあるものに御座る。城を作る時の様に予め縄張りがされており、足りぬか、あるいは郭内の土塀のように堀が有っては困る場合は別じゃがの。

尚、絵の線は基本的にまっすぐ書いたつもりに御座る。



<甲斐の虎さま [地球外] 2000/04/25(Tue) 01:07>

題名:第二回を前に補足

>具合 悪佐守殿

>ちなみに硝煙の煙は、遠距離射撃では問題になるが、敵が数m先で
>柵を引き倒そうとしている所では、問題になどなり申さず。
>城と同じ戦法ならば、少数の兵で多数を相手に持ち堪えられ申す。
>1000丁などと大軍をおかずとも、少数の部隊を有効に活用した方が
>はるかに効率良く持ち堪えられると存ずるが…。

 敵が数メートルまで近づくまでに280組の弾込め係が敵の予想攻撃地点に移動しておく、というのが名和氏の構想なれば、遠くが見えない時点でアウト、なのでござるよ。
 城は相手の侵入地点をある程度絞る事ができて初めて少数の兵で守れる物。長大な防御線を有したばかりにすぐに落ちた城なぞ枚挙に暇がござらん。
 防御地点を絞れない川に沿った単線防御はまったくもって成り立たない、それが現代戦理論でも常識なのでござる。孫氏兵法には半渡に乗ずる、とあるがそれとて浅瀬の位置などある程度相手の動きが予想できなければ話にならんのでござる。
 後は次回にて。ではまた。



<具合 悪佐守さま [関東] 2000/04/25(Tue) 04:33>

甲斐の虎殿

>280組の弾込め係が敵の予想攻撃地点に移動しておく、というのが名和氏の構想なれば、遠くが見えない時点でアウト、なのでござるよ。

まことに仰せの如く、だから某も、もっとも、40〜50人程度の鉄砲対組を諸所に配置して、適宜、敵の来た所で対応した方が良いと申し上げて居り申す。某、御話の根底にある、名和氏の説、読んだ事は御座らぬが、拝読している限り、某にはまともとは理解でき申さず。

某、思うに長篠の合戦、何も珍しい事などして居らぬのでは、普通に戦って、普通に勝った(参加兵力の多い織田軍が)。鉄砲の集中使用など行わずとも、地形を見ている限り、防御側は有利であり、数が多い織田軍の有利は火を見るより明らか。陣地構築せずとも普通に鶴翼に配置して戦っても勝てそうなものじゃとは思われぬか?

ちなみに下記の反論、まことに以って然り。同感に御座る。

>防御地点を絞れない川に沿った単線防御はまったくもって成り立たない。

だから、武田軍は、まさに御貴殿と同じく、織田の築陣を侮って突撃を開始したのでは御座らぬか?
勝頼殿の心中、御貴殿と全く同じと、某は愚考致す。そう思われたから、攻勢に出て負けた。

某には、そうとしか思えぬのう。築陣の仕方がどうあれ、鉄砲の数がどうあれ、兵力の多い方が、いらっしゃいと待っている所へ武田軍は正面から突っ込んで行っておる。御貴殿の兵法では、武田の戦法は如何で御座るか?
某には、武田の戦法は自滅行為と云う外無く、あまり賢いとは思わぬが…。

甲斐殿、某、武田のファンでも織田のファンでも御座らぬ。
誰もけなす気も無いので御座る。ただ、長篠の合戦、というか信長公の合戦は皆そうなのかも知れぬが、どうも脚色が多すぎる気が致す。
長篠の合戦、普通に戦っても、織田が勝つとは思われぬか?

それでは御免仕る。



<こたつ城主 [関東] 2000/04/25(Tue) 13:02>

題名:昨日はレスが途中のままで、

↑すみませんでした(^_^;)。いつの間にか、討論が進んでいて、ビックリしました。毎度、反応がトロくて、申し訳もこれなく……m(__)m。


>具合 悪佐守さま

平城と山城の違いなど、ありがとうございました。山城の方は、備中高松城以外には、現存するものを実際に見た事がありませんが、城跡(遺構)を歩いてみると、全体として通り道等が狭かった、と想像できる点が多いのは確かです。建物が建っている所と、草木に包まれている場所とでは、視界に錯覚も生じるので、純粋に比べる事は難しいけれど……。

>見せ掛けなら、作らぬほうが良いし、作るわけも無いと存ずるが、
>むしろ、敵を誘き出すには土塁を低くし堀を浅くするべきに御座る。

それも、ごもっともですね。武田をおびき寄せる、というのは、心理作戦として見ると、面白い!と思うのですが、なるほど、単なるセットにしては、大掛かりすぎる気もします。どうせ作るのなら、ちゃんとした防御柵を作った方が、効率がいいのではないかしら(^_^;)。

>ちなみに硝煙の煙は、遠距離射撃では問題になるが、敵が数m先で
>柵を引き倒そうとしている所では、問題になどなり申さず。

硝煙の煙幕効果については、そんな大したものかどうか、私も疑問です。多数の鉄砲による効果といえば、むしろ発射音によるものの方が、想像するにたやすいです。例えば、馬が近付いて来られない、とかいうような……。何より疑問なのが、効果があったとしても、それが計算によるものなのか、偶然、視界を晦ませてくれたにすぎないのか……。これも気になる所です。

>戦をするにあたっては遭遇戦でも無い限り、必ず物見を
>出すものに御座る。
>柵と土塁しか見えないなど確かめても始まらぬと存ずるが…。

これまた、武田は何をやってたんだ、と言いたくなる所ですよね(^_^;)。優秀な武田諜報網は一体……(もっともこのころ、勝頼を嫌って忍者が離れていった、なんつー話も多数聞きはしますが……)。ただこの点は、長篠設楽原の当時の地形にもよると思います。偵察しにくい広範囲な地形だったのかな、と想像しているんですが、ご存知の方、教えてくれませんか?

>わざわざ遠くから運ぶより、目の前の土を掘り、その土で
>土塁を作るので御座る。
>足りぬか、あるいは郭内の土塀のように堀が有っては困る
>場合は別じゃがの。

足らなかったのでは(^_^;)? これは大掛かりであれば、ありうる結論だと思います。土質などの問題もありましょうし……。(これまた、現地の情報に疎いけど)



<こたつ城主 [関東] 2000/04/25(Tue) 13:06>

>甲斐の虎

おお! 第2軍、到着予定ですか(゚.゚)。
者ども、弾込めぇぇ〜!!(^_^;)

>敵が数メートルまで近づくまでに280組の弾込め係が
>敵の予想攻撃地点に移動しておく、というのが名和氏の
>構想なれば、遠くが見えない時点でアウト、なのでござるよ。

あ……そゆ事? 申し訳ない。実は前の「反論第1弾」では、城主、事の次第があんまりわかってなかったみたい(^_^;)。でもそれにしても、何か、シチ面倒臭い作戦ですね。織田軍団って、一体どこでリハーサルしたんでしょ。で、長篠の勝利は、それがうまく行った結果だと(^_^;)? う〜ん、なんだかなぁ〜。

>防御地点を絞れない川に沿った単線防御は
>まったくもって成り立たない、
>浅瀬の位置などある程度相手の動きが予想できなければ
>話にならんのでござる。

それはそうですね。私としては、「前もって、ある程度」なのであって、実戦を開始してから柔軟に場所を変えるなんて、難し過ぎると思ってます。これまた、「信長が天才だから」とかいう屁理屈になるのかな(^_^;)。郵便ポストが赤いのも、み〜んな、信長様がエライから〜☆ミ(参ったね、こりゃ)


>再び、具合 悪佐守さま

>40〜50人程度の鉄砲対組を諸所に配置して、適宜、
>敵の来た所で対応した方が良いと申し上げて居り申す。

う〜ん、これは手配りに限界があるように思えません?

>鉄砲の集中使用など行わずとも、地形を見ている限り、
>防御側は有利であり、数が多い織田軍の有利は火を
>見るより明らか。陣地構築せずとも普通に鶴翼に配置して
>戦っても勝てそうなものじゃとは思われぬか?

ごもっともです。問題は、鉄砲によって勝った、と言われてきた点なのです。そして、防御柵に向って、武田軍が、ひたすら撃たれるためだけに突撃を繰り返した点だと思うんです。劣勢であれば、例えば勝頼がバカだったとしても、人間一人一人の心理として、もう少し慎重になるのが当たり前だと思いません(^_^;)?

例えば、殺虫剤を振りまいている人がいて、普通なら、その前に居るのを避けますよね。その人に向って行くとしたら、殺虫剤を取り上げようとする行為としか考えられない。天さまの小説には、そういう具合に書いてあるから納得できるのですが……。

>ただ、長篠の合戦、というか信長公の合戦は皆そうなのかも
>知れぬが、どうも脚色が多すぎる気が致す。
>長篠の合戦、普通に戦っても、織田が勝つとは思われぬか?

異論なし。効率の悪い物は、使う必要ない。←これが真の合理主義です。でも信長ちゃんは、オモチャを使ってみたかったのです。誰だって、「オモチャなんか」とバカにされたら、「それがゆえに今日の自分が在る!」と、言い返したくなるではありませんか(^_^;)。