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<こたつ城主
[関東] 2000/04/22(Sat) 13:32>
>久住さま
>「司馬遼太郎と学者の論文の違いは何か。
>司馬遼太郎は文章がうまい。」
名言ですね。
司馬さんが初めて小説を書いた時、文学通の友人に「これは小説ではない」と、さんざんコキ下ろされて、一度作家になるのを諦めかけたそうです(^_^;)。そこを、海音寺潮五郎さんに「面白い」と評価されたのが、作家になったキッカケだとか……。
それから、これは聞いた話なんですが、司馬さんは受賞した時に、吉川英治さんに「時代考証が甘い。嘘がある」と叩かれたそうです。で、一念発起して、「調べ物の鬼」と化した、とか(^_^;)。神田の、ある古本屋にあった本を全部買った、という話は有名ですよね。
さらにもう一つ。司馬さんは学生の頃(だったか)、モンゴル方面など、北方騎馬民族がご専門だったらしいのですが、初めてそちらの方面に取材に行けた時、飛行機の中から、何とかいう山(名前が思い出せない)を見下ろして、長い間、憧れの山としてイメージしてきたワリに、「意外と小さいな」と感じたそうです。そしたら、前の席に座っていた井上靖さんがクルッと振り向いて「今のが、○○山ですね」とだけ言ったとか。司馬さんは、自分の心を見透かされたような気がして、苦笑するしかなかったとの事。事実と、虚構やイメージとのギャップ。ありがちな話ですね(^_^;)。
>鉄砲の役割は「敵を寄せ付けない」と「敵の機動力を
>削ぐ」だけだったと考えております。
なるほど。長篠合戦は、その後の歴史を変えた、とまで言われてますが、その後の戦は、長篠の戦法をどのぐらい取り入れて、どのぐらいその前の合戦より変化したのでしょうね。
>鉄砲隊は、一斉射撃の必要なし、ばらばらに撃っていれば、
>敵を寄せつけない目的は達せられる。
>馬にあたる高さで撃てばよい。
確かに、馬に当たれば機動力を地道に削ぎ落とせますからね。
>だいたい川を挟んでの戦いは、恐怖心が起こらないという点で、
>防禦側が圧倒的に有利になります。
>(杭瀬川の戦いがまったくそれを狙って成功した例です)
杭瀬川の戦いと長篠の戦いは、似た状況だったのですか。詳しくないですが、規模が違うような気が……。
>待ちに待っている騎馬隊に、機を見て追撃を指令
>(そのときには鉄砲隊も槍に持ち替えていたでしょう)。
なるほど。鉄砲と槍の両方で訓練された戦闘隊だった、兵農分離の信長麾下には、戦闘能力が高い兵が育っていた、という所かな?
<こたつ城主 [関東]
2000/04/22(Sat) 13:34>
>光慶さま
>題名:訳も判らず反論
>本文を読んでいないので、大きな事は言えませんが、
私も同じ(^_^;)。
>鉄砲隊の方は別に前が見えなくても困らないような・・・。
煙の量(?)にもよりますが、普通に考えると、困難な視界においても、激しい動きの、しかもシルエットの大きい騎馬武者が近付いて来る様子は把握しやすいけど、柵の向こう側で、背を低くして隠れている兵士達は見えにくい、という想像も出来ます(^_^;)。ましてや、落とし穴(という具合に、私は想像してるんですが)みたいな障害には気付きにくいだろうな……と、単純に私は「東海乾坤記」を読んで、納得しちゃったんですが(^_^;)。甲斐の虎さまのお話を聞いたら、自分の状況把握が甘いのかな、とも思えてきた。(と言いつつ、全て理解できたワケじゃないけど(^_^;))
<久住さま [関東]
2000/04/22(Sat) 14:52>
>城主様
>似た状況だったのですか
敵に渡河させることで、戦意の高くない味方の守備力を上げる
という狙いだけですね。状況はまったく違います。
>戦闘能力が高い兵が育っていた
鉄砲を撃つことがかろうじてできるという程度の、
狙っても当たらない兵たちではなかったかと
考えています。銃の名手などそうたくさんはいないし、
他の戦線で必要でしょう。無理を言ってあちこちから
引っこ抜いてきた寄せ集めですので、統制射撃など絵空事
でしょうし。
鉄砲の大量使用という意味は、「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる
(かもしれない)」ということでしょうから、「撃つだけ
撃ったら槍に持ちかえる」のが妥当だと考えております。
鉄砲奉行の役割も、間を空けずに誰かが撃っている状態を
作り出すのが役割ではなかったかと。
煙幕の話などありましたが、それにしても、織田方の鉄砲は
設楽原ではあまり当たらなかったようですね。
その後の武田方が「鉄砲の脅威」に恐れおののいたという
形跡があまり見られないので。
(もとから鉄砲を重視していた
勝頼は別ですよ。)
<天陽さま [四国]
2000/04/22(Sat) 23:54>
>光慶さん
> 逆に全軍で突撃してきてもらった方が良かったのでは?
> (理由は、敵の数が多いほど、メクラ撃ちでも当るから・・・)
名和氏は鉄砲隊が武田軍の突撃してくる場所にあわせて、横移動するという感じの説明をしていて、甲斐の虎さんを含め、私もそれは少々おかしいのではといった議論をしていたわけです。
だから、鉄砲隊はただ撃てばよいのだけど、その前に移動しなきゃならない。ゆえに視界が必要ということ。
それだと、あまりに突飛なので・・・という話です。
>こたつさん
> なるほど。鉄砲と槍の両方で訓練された戦闘隊だった、兵農分離の信長麾下には、戦闘能力が高い兵が育っていた、という所かな?
織田の兵は弱いというのが通説です。
戦闘能力は高くても、畑を捨て、戦場を職業とする足軽たちは、プロですから、半農半士の足軽たちより命を惜しむと思います。生き残らなきゃ、報償が出ても意味ないですからね。
信長は個々の実力では敵わないから、鉄砲を使った集団戦法で武田に勝つ道を探ったのではと思います。
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