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<朝川 渉さま
[関東] 2005/02/28(Mon) 21:23>
議事録を読んでふと思い出しましたが、私の生家(父方)は武田菱です。
だけど、ご先祖さまは鹿児島市の近くにいたようです。それでどうも分からんのですが、薩摩藩の領内に武田菱の家系がいたのは自然なことなんでしょうか。それとも、うちの先祖が家紋を勝手に選んだだけなんでしょうか。
このあたりの事情をご存知の方がおられたら、ご教示下さい。それと、「この紋所が目にはいらぬか」と言ってみたいので、家紋を葵に変えても良いのでしょうか?
<こたつ城主 [関東]
2005/03/01(Tue) 18:31>
>朝川 渉さま
俗に武田菱と言われる紋は「菱紋」に属し、「割菱」と呼ばれるようです。
菱紋は古代エジプトから朝鮮半島まで辿れるようですが(笑)、これを十字に割って家紋としたのは、早くは後三年の役で活躍した頃に新羅三郎義光(武田氏の祖)が拝領した、とか出て来ますね(^^ゞ。
とすると、武田氏は甲州のみならず、若狭、上総、安芸にも居ますから、信玄に至るまでにも方々に行ってる可能性はありますし、江戸期って事もありそうですし、江戸期に甲州流という軍学が流行したので、何らかの箔づけに用いたって事もありそうですね(^^ゞ。
<朝川 渉さま [関東]
2005/03/01(Tue) 20:51>
城主さま
いやいやどうも、明快に回答して下さってありがとうございます。武田家は上総にも勢力を伸ばしていたのですか、知らなかったです。
>菱紋は古代エジプトから朝鮮半島まで
これで怪しげなうろ覚えを、ふと思い出しました。皇室の菊の紋も世界的にはありふれていて、後鳥羽天皇のころ天皇家の家紋になったとか。この話、自分でも眉につばをつけているんですけど。
<こたつ城主 [関東]
2005/03/02(Wed) 18:32>
>朝川 渉さま
上総に武田氏が行ったキッカケは「落ちぶれて」という感じですか(^^;)。。
その当時の武田氏(信玄の5〜6代前)は、まぁそういう状態だったかと(笑)。
「名門もコロリと転ぶ戦国期(爆)」
(季語は「戦国期」かな:笑)
菊の御紋……天平瓦や古墳時代にも見られるそうなので、「トレードマークにした」という記述(?)の残ってるのが後鳥羽帝、って事じゃないかな(^^ゞ。
菊花が太陽に似てるとか何とかコジツケられそうですが、太陽は世界中どこでもあるのでどこでも見付かるマークでしょうし、結構「どこでも通用しそう」って線を狙ってたり(笑)。
<ヒロ男爵さま [関東]
2005/03/03(Thu) 01:03>
こたつ城主さん>
ご無沙汰です。
上総武田の話題が出てますが、「武田信長」をご説明しては如何ですか?城主さん(w)
<こたつ城主 [関東]
2005/03/03(Thu) 18:55>
>ヒロ男爵さま
>「武田信長」をご説明しては
鋭い嗅覚(≧▽≦)。
私が言った「信玄の5〜6代前」は、「6代前」が武田信長の父、「5代前」が兄ですね(笑)。
逆に上総から甲州に行った系統もあり、武田24将の一人、原虎胤がそうです。
原氏は千葉氏の一族で、小弓公方義明に上総を追われ、信玄の父信虎を頼ったと言われてます。 |
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