<掲示板・議事録>


     
  <たまこさま [東海] 2000/08/19(Sat) 19:47>

城主さま、
私も メモったり、保存したり忙しいです、σ(^-^)
虎さま、味舌さま、どうもありがとうです、

義教だけでなく、どうも足利一族は暗〜いイメージがある、
酒色とか、陰惨とか、狂気とか、
義教は その器でもないのに君臨もして統治もしようと思ったらしい、(後醍醐天皇みたいだけど)、
結局 赤松満祐に謀殺されるけど、それも寵愛によるえこひいき、
が原因らしいのだ、(確認は取ってないけど・・)



<光慶さま [関東] 2000/08/19(Sat) 23:40>

>たまこさま
>義教は その器でもないのに君臨もして統治もしようと思ったらしい
>結局 赤松満祐に謀殺されるけど、それも寵愛によるえこひいき、
>が原因らしいのだ、(確認は取ってないけど・・)

森田丹波守さんの裏ページに、それに関する記事が出てます。

http://members.tripod.co.jp/mituhide_akechi/index.html



<こたつ城主 [関東] 2000/08/20(Sun) 16:01>

>たまこ様

>私も メモったり、保存したり忙しいです、σ(^-^)

でも、たまこ様は何でもスイスイと覚えてしまいますよね。私もがんばらないとなぁ〜。

>義教だけでなく、どうも足利一族は暗〜いイメージがある、

この辺の話になると、私もどっかから借りてきた理屈で穴埋めになるんですけど(^_^;)、弱い権力基盤に乗った将軍は、権威を保ちにくく、いろいろ苦労も多かったのかな、と思ってます。

足利幕府は直轄領が少なく、しかも権力が関東と京都に分割されて、強い体制が築きにくかったそうです。後の徳川幕府は、そのために戦国時代に膨張した、たくさんの「お家」を取り潰し、室町期、揉め続けた後継者問題(将軍家はもちろん、各大名家のも)を解決させる手段として、儒教を積極的に取り入れたり、身分制を明確にしたとか……。



<こたつ城主 [関東] 2000/08/20(Sun) 16:04>

>光慶さま

>森田丹波守さんの裏ページに、それに関する記事が出てます。

このページは私も興味深く読みました。丹波さんの「足利義教のマネ」と、光慶さまの「今川義元といい勝負」は、信長の話の中でも気に入ってます。
 
     

     
  <たまこさま [東海] 2000/08/20(Sun) 19:16>

光慶さま、どうもです、森田さまの裏ページ
行って参りました、義教の言い分を伺いました、
将軍の器にあらじ、と「断定」した事、反省しています、m(__)m
(少しね(^ ))、 父の生き様、死に様を知った義政は、
「俺、活躍するのイヤだ〜」と思ったのでしょうか、

リンク探訪しましたら、あの久留里城 里見氏の子孫は、
関ヶ原で東軍だったのに、大久保忠隣の孫娘と結婚したばっかりに
倉吉三万石にされて、その地で死亡。
とか、
元親は本能寺の時、親戚の娘である、おふく、を庇護していた
事も知った次第です、 盛親の助命嘆願とかは しなかったので
しょうかね。



<朱天さま [東海] 2000/08/21(Mon) 00:17>

>たまこ様
>元親は本能寺の時、親戚の娘である、おふく、を庇護していた
>事も知った次第です、 盛親の助命嘆願とかは しなかったので
>しょうかね。

しても聞くとは思えないのですが。知行地不足みたいでしたから。
目の前につぶせる大名家があればつぶす方がいいでしょ。
地域に根付いた豪族上がりの大名と言うのは領国経営上邪魔でしょう
から。室町の過ちを繰り返さないためにもね。くるしいけど繋がった?



<久住さま [関東] 2000/08/21(Mon) 02:00>

>たまこ様
倉吉三万石に移れ、と言われて、移ってみたら
わずかな捨扶持しかもらえなかったっていう、あの話でしょうか。
最後まで殿様に仕えていたのはわずか八名。
殿様が窮死した後、全員殉死。
殿様と家来たちの小さなお墓が、人の通わぬ山奥に
あるそうです。
このお話をヒントに書かれたのが、
「南総里見八犬伝」というのは、あまり有名でない話。



<こたつ城主 [関東] 2000/08/21(Mon) 14:12>

>たまこ様

「放浪公子の庵」に行かれましたか。義教の話、私ももう忘れている(^_^;)。何しろ周辺の歴史に疎いので、しばらくすると、枝葉の部分から抜けて行くんですね。また読まないと……。

>あの久留里城 里見氏の子孫は、関ヶ原で東軍だったのに、
>大久保忠隣の孫娘と結婚したばっかりに倉吉三万石にされて、
>その地で死亡。 とか、

うん、うん(^^)、そんな話がありましたねぇ〜。わりとジリ貧なんですよね、里見家は。秀吉の小田原征伐の参陣の遅れを問われて、上総没収、安房一国になってしまい、家康の死後、大久保忠隣の失脚に連座して改易→当主病死→断絶ですわ。時勢に乗り遅れたのでしょうかね。

>元親は本能寺の時、親戚の娘である、おふく、を庇護していた事も
>知った次第です、 盛親の助命嘆願とかは しなかったのでしょうかね。

おふくが春日局と呼ばれて、その権勢をふるうようになったのは、家光が将軍になって以後のことですから、この頃は、たぶんまだ……。


>朱天さま

>>盛親の助命嘆願
>地域に根付いた豪族上がりの大名と言うのは領国経営上邪魔でしょう
>から。室町の過ちを繰り返さないためにもね。くるしいけど繋がった?

繋がってますね(^_^;)、義教の話でしょ? お上手、お上手。 *パチパチ*



<こたつ城主 [関東] 2000/08/21(Mon) 14:15>

>久住さま

>倉吉三万石に移れ、と言われて、移ってみたら
>わずかな捨扶持しかもらえなかったっていう、あの話でしょうか。

ええっ! そうなんですか(゚.゚)! 有名なのかしら。

>最後まで殿様に仕えていたのはわずか八名。殿様が窮死した後、
>全員殉死。殿様と家来たちの小さなお墓が、人の通わぬ山奥にある
>そうです。このお話をヒントに書かれたのが、「南総里見八犬伝」

8人! あ、それで八犬伝(^^)! いや〜、全然知らなかったです! 最後の殿様は里見忠義で、倉吉の大岳院に葬られ、遺骨は一部、高野山にも送られたそうです。
 
     

     
  <たまこさま [東海] 2000/08/21(Mon) 17:04>

「南総里見八犬伝」、
私、作品と作者を線で結ぶのは得意だったんです、
でも中身を知らない、
これこそ教育の貧困ですよね(← キミの貧困)、



<こたつ城主 [関東] 2000/08/22(Tue) 15:40>

>たまこ様

<「南総里見八犬伝」のあらすじ>

里見義実は戦で苦戦を強いられ、そばにいた愛犬の八房に「敵将の首を取ってきたら、娘をやってもよい」と約束。これを聞いた八房が見事、首を取ってきてしまい、義実の娘、伏姫は、約束通り八房と結婚し、山奥の洞窟で暮らす。これには、かつて義実によって処刑された悪女・玉梓の呪いが関係している。

やがて伏姫は八房の子を身ごもり、思い詰めて自害。伏姫が持っていた数珠の「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」の文字が浮きでた八つの大玉が飛び上がり、散り散りになって、遠く飛び去った。

伏姫の婚約者、金碗大輔が出家して丶大法師(ちゅだいほうし)と名乗り、飛び去った八つの玉を探す旅に出た結果、関東各地で、犬で始まる名を持ち、牡丹のあざがあり、文字の浮きでる玉を持つ若者を見付けていく。

八人の若者たちは、宿縁に導かれて集まり、やがて里見家に仕え、関東管領・扇谷定正等の諸将連合軍に攻められ里見家を守って戦い、八犬士の活躍により圧勝。八犬士はそれぞれ城主となる。

http://www.mars.dti.ne.jp/~opaku/hakken/menu.html
↑詳しくは、ここ(^_^;)。



<たまこさま [東海] 2000/08/22(Tue) 18:14>

HP情報ありがとうです、まだ少ししか読んでいませんけど、
里見八犬伝も 三国志も もっと人形劇をマジメに見れば良かった、
信玄の次は それも よかね、
音楽だけは何となく覚えているけど、中身ホント複雑だ。



<こたつ城主 [関東] 2000/08/23(Wed) 12:54>

>たまこ様

>里見八犬伝も 三国志も もっと人形劇をマジメに見れば良かった、

子供のころに見ると、よく覚えているものなんでしょうね(子供ってヒマだから(^_^;))。
 
     



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