<掲示板・議事録>


     
  <村上さま [近畿] 2003/02/03(Mon) 00:48>(前来られた方とは違います)

初めまして家の事を調べているとここにたどり着きました
我が家に伝わる話によると、護良親王にお供しその後
伊達家に客分として迎え入れられたと聞いています
この話から何かわかる事があれば教えて頂きたいのですが



<HAZUさま [東北] 2003/02/03(Mon) 13:52>

 護良親王には吉野で身代わりになった村上義光がいますので、村上氏の一族が護良親王に仕えていたことは納得できます。また伊達家中の村上家についても、ここの過去ログにもありますね。
 さて、千菊姫を産んだ政宗の側室の父親ですが、村上正重といい、元々は幕臣だそうです。仙台藩に移っては280石の虎間番士だそうです。
 『寛政重修諸家譜』で調べると村上正重が生きていた頃に同人と思わせる人物はいませんでしたが、村上氏、屋代氏などに「正」を諱の一部としている家がありました。
 著名な村上姓の仙台伊達家臣としては、後に衆議院議員となった村上先、蒲生邑主和田氏に仕えた村上重友、番頭で書家の村上成俊、岩出山館主伊達弾正に仕えた村上文右衛門、同文五郎がおります。

筈衛



<HAZUさま [東北] 2003/02/03(Mon) 15:04>

 先の発言は『仙台人名大辞書』からの推測です。
 今度は、『伊達世臣家譜』からの情報です。

 仙台藩の村上家は、次のように続いているようです。

(ここで、南北朝村上氏〜伊達家中村上氏系譜HAZUさま版の系図紹介あり)

 清兵衛吉次らは大阪で浪人していましたが、初め、利重が300石で伊達家
に仕え、のち、その推挙で吉次が400石で伊達家に仕えるようになりました。
 その後、600石まで加増され、その子供の代にいくつの家に分けられたよ
うです。
 こちらから見ますと、幕臣から採用とは考えられませんね。

筈衛



<HAZUさま [東北] 2003/02/03(Mon) 15:05>

 あちゃ〜
 今の系図ノートに写してみてね(^^;;

  ごめん



<こたつ城主 [関東] 2003/02/03(Mon) 15:51>

>村上さま

はじめまして(^^)。管理人です。

恐らくここの、「戦国武将一覧」→「村上義清の子孫の系図」→「議事録14」辺りをご覧になられたのではないかと推察しますが、まだでしたら、ご参考までに。↓
http://www.page.sannet.ne.jp/kotatu/hyo/itiran/murakami/gijiroku/14.htm

↑中盤以降、雅さまがお話されている以上の事は知りません(^_^;)。雅さまのサイトは以下です。↓
「風雲急を告げる旅」:http://members3.tsukaeru.net/muramasa32/

また若干補足しますと、護良親王を守護した村上義光(義日)とその子の義隆(雅さまのお話では、義光の弟、義清という人物も登場してます)について、上記の議事録で私が、

>(交戦の後)吉野で討死したってありますね

と言っているのは、その出典を『太平記』および『大乗院日記目録』とするようです。



<こたつ城主 [関東] 2003/02/03(Mon) 15:52>

>HAZUさま

あ、レス途中でトロトロ別の事してたら、月光仮面が来てくれた(^^;)。
ゲッコーカモ〜〜〜ン!!!(いや、黄金バットかマグマ大使か?)

村上正重(政重)は幕臣……(゚.゚)。
その「幕」ってのは、「元々」と言うからには「足利幕府」ですよね?(年齢と伝えられた時代によって"ビミョー"な辺りですね:笑)

今ちょっと系図作ってみました(^^)。↓
http://www.page.sannet.ne.jp/kotatu/hyo/itiran/murakami/murakami-date.txt

>著名な村上姓の仙台伊達家臣としては、後に衆議院議員となった
>村上先、蒲生邑主和田氏に仕えた村上重友、番頭で書家の村上成俊、
>岩出山館主伊達弾正に仕えた村上文右衛門、同文五郎がおります。

ずいぶん多くないですかっ(^^;)? ウチの母の家系(村上)も宮城出身だそうで、多いのかな〜?(ウジャウジャ居たりして:笑)



<こたつ城主 [関東] 2003/02/03(Mon) 15:54>

>HAZUさま

ハッ!(・・;)
スイマセン。又レスが重なったようで……。トロトロ系図作ってる内に(笑)。

系図ありがとうございました(^^)。

>今の系図ノートに写してみてね(^^;;

わかりましたー☆ミ
 
     

     
  <こたつ城主 [関東] 2003/02/03(Mon) 16:23>

という訳で、HAZU様の系図、↓に新たにくっつけさせて頂きました〜☆ミ

http://www.page.sannet.ne.jp/kotatu/hyo/itiran/murakami/murakami-date.txt
(「戦国武将一覧」のメニューページにも「南北朝村上氏〜伊達家中村上氏系譜」として、貼り付けました(^^))


>HAZUさま

> 清兵衛吉次らは大阪で浪人していましたが、初め、利重が300石で伊達家
>に仕え、のち、その推挙で吉次が400石で伊達家に仕えるようになりました。
> その後、600石まで加増され、その子供の代にいくつの家に分けられたよ
>うです。
> こちらから見ますと、幕臣から採用とは考えられませんね。

幕臣ってのが足利氏の幕臣だと、こういう事もありうるんじゃないかな〜?



<HAZUさま [東北] 2003/02/03(Mon) 17:06>

 『仙台人名大辞書』では、「幕臣。徳川家の家臣」となっていますので、わたしも旗本か御家人の子孫だろうなと思っていました。
 室町幕府の幕臣と考えれば、本人や吉次が大阪で浪人していたという『伊達世臣家譜』とのつじつまは合いますね(^^;;
 『仙台人名大辞書』の言葉が何に基づいた詳細なのかわからないと・・・(^^;;

筈衛



<HAZUさま [東北] 2003/02/03(Mon) 17:21>

 あと1家、伊達家中の直臣がありましたので書きます。
 こいつも、『伊達世臣家譜』からです。こちらは、伊達家累代の家臣だそうです。ただし、一時、與五左衛門のとき、録を失いましたが、與左衛門が政宗に再度仕えたそうです。 重信は印西流射術を学び、代々続けたようです。

(ここで、南北朝村上氏〜伊達家中村上氏系譜HAZUさま版の系図紹介あり)

筈衛



<こたつ城主 [関東] 2003/02/04(Tue) 20:07>

>HAZUさま

>「幕臣。徳川家の家臣」

その書き方は……(^^;)、限りなく「徳川幕臣」臭い感じが……。
いや、普通、「関連性のある内容を続けて書く」と思うので(汗)。

>室町幕府の幕臣と考えれば、本人や吉次が大阪で浪人していたという
>『伊達世臣家譜』とのつじつまは合いますね(^^;;

いやっ、どうしようかな(笑)。。。
意外と徳川家が朝廷や京方面の工作に乗り出した時期が早い、という話も聞くので、「幕府になる前の徳川家に仕えた"元・足利幕臣"(苦し紛れ)」も絶対に無いとは言い切れないですものね(笑)。……じゃ、「徳川幕臣70%」「足利幕臣30%」ぐらいですかね?(ミョーな割合:笑)

>こちらは、伊達家累代の家臣だそうです。

ありがとうございます。
これは……(゚.゚)、「村上」姓が一致するという面からだけで、見付けて下さった系図ですね?



<村上さま [近畿] 2003/02/04(Tue) 21:37>

ありがとうございました
リンク先に行って見ました
過去の議事録も読んでいます
過去の議事録にも乗っていました
もっと詳しく知りたいです。
たくさんの人が調べているのにおどろきました



<こたつ城主 [関東] 2003/02/05(Wed) 20:33>

>村上さま

私も今回言われて、「そういや……」と再認識しました(^^ゞ。
意外と村上ネタで、かなりの知識の方が……特にHAZU様のような方が降臨して下さり、御蔭で系図の話題が沸騰します。
やはり謎の家系なのでしょうかね(笑)。
ただ、伊達氏関連のサイトにも確認取った方が良いと思いますよ。
まあ気長に待つと、ここでも時折話題が出るかもしれませんが。



<こたつ城主 [関東] 2003/02/07(Fri) 22:10>

今、「今週のご挨拶とお知らせ」をアップしましたが、そこにも書いてある通り、「戦国武将一覧」の「村上義清の子孫の系図」に「南北朝村上氏〜伊達家中村上氏系譜」という系図を追加してあります。
 
     



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