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<雅さま
[関東] 2001/10/30(Tue) 22:27>
こたつ城主さま
レスありがとうございました<「鬼村上」の石碑
ちなみに、「村上鬼城」とは、村上荘太郎氏の事で、1865年生、1938年没。初め軍人を志すが、耳疾のため断念、父の跡を継いで高崎区裁判所構内代書人となる。子規に教えを請い、やがて「ホトトギス」同人となり、「境涯の俳人」と呼ばれた人でした。
俳人司法書士「 村上鬼城 」の部屋より引用。
http://www.sunfield.ne.jp/~shihou/kijyo/kijo1.htm
>村上国信
村上義光(義日)の弟で、雨宮氏の始祖となった人のようです。
>この「月夜野」は群馬県かな(^_^;)。
群馬県利根郡の月夜野町の事だと思います(^_^;)
丁度、名胡桃城跡址もこの町内ですし・・・
ちなみに、この地名は、平安の昔、京の歌人源順(みなもとのしたがう)が東国巡行の途中、この地を通ったさい、
おりしも東の三峰山より昇る月を見て「オオよき月よのかな」と深く感銘し歌を詠んだという伝説があります。
これが「月夜野」の地名の起こりと言われているそうです。
<雅さま [関東]
2001/10/30(Tue) 22:37>
こたつ城主さま
>(しかしココ、トップページは何処なんだろ(^_^;))
どうやら、群馬県立女子大学にお勤めの北川先生(国文学科
の助教授)のHPである北川研究室の中のおまけコーナーでした(^_^;)
以上ご報告です!
<ぽちさま [甲信越]
2001/10/31(Wed) 11:41>
>こたつ城主様
>私はなかなか行けないので、いかれた時には是非お参りしてあげて下さいまし。
はい、行ったら是非お参りしてきます。
>出浦氏の墓は、和合城の麓にもあるんですよ。本の写真で見る限り、三体はあります
>ね。これの内の一つが幸久のって事はないかな。
ごめんなさい、和合城の麓の墓の事は知っているのですが、享保と言うと出浦氏が松代藩に仕え始めてから何年も経っているので、「墓の数が少ない」と思ったんです。
<こたつ城主 [関東]
2001/10/31(Wed) 19:58>
>雅さま
>「村上鬼城」とは、村上荘太郎氏の事で、1865年生、1938年没。
>「ホトトギス」同人となり、「境涯の俳人」と呼ばれた人でした。
ギャハハハ(≧▽≦)!! すげぇオチ! 私らこの話、何日やってかな。
何しろトップページがわからなかったんで(群馬女子大の先生のサイトでしたか)、イキナリ出すのが躊躇われたんですが、私もうっかり「句碑」は見落としてましたよ(^^;)。
でも意外や、群馬に義清より前の村上氏が関わってる可能性がありそうで……案外、この「村上鬼城」は、上州村上氏の子孫だったりして(^。^)。
村上国信はわかりました。義国の事ですね(前も同じ事を言ったかも(^_^;))。私の持ってる系図では、義清の先祖になってますけど、雨宮氏の祖という事は、もしかして義国と国信は別人かもしれない?(これも前言いましたっけ(^_^;))
月夜野、私も見つけました(^^)。沼田にも近いですね。平安の歌人が詠んだ歌から地名がついたとは雅ですなぁ〜。ありがとうございました☆ミ
<こたつ城主 [関東]
2001/10/31(Wed) 20:01>
>ぽち様
出浦氏の墓の数は……私も見てみないとわかりませんけど(見たってわからないだろうけど(^_^;))、前にちょっとメールで言った通り、竜泉寺は何度か火災に見舞われたそうで、その際に失われた事もあるのでしょうかね。
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