<掲示板・議事録>


     
  <河内判官&さいおんじさま [近畿] 2001/06/12(Tue) 01:09>

今日は質問どぇす!
村上義清の先祖の系図は判りませんかぁ?
どうも南朝方のやうな気がするのです。
吉野で忠義の死を遂げた「村上義隆・義光」とつながるのかどうか。
南信・小笠原氏との合戦も、南北対立が原因やと云われてゐますし。
さらに、村上義弘なんて人物がゐて。これが伊予に行って海賊・
村上氏の祖となった、とも云われてゐますし。
とっても興味がわいてきました。ぜひにご教示くだされ。<(_ _)>



<こたつ城主 [関東] 2001/06/12(Tue) 16:32>

>河内判官&さいおんじ様

村上義清の先祖ですか(゚.゚)? 南朝かどうか……。んん〜、南朝というより、最初は後醍醐天皇について、やがて尊氏に荷担……という感じですかね。北条時行(って高時の子供だったっけ?)が諏訪氏の援けで挙兵したのに呼応する軍を鎮圧はしには行ったようですよ。

>吉野で忠義の死を遂げた「村上義隆・義光」とつながるのかどうか。

系図で見る限り、義光の弟の「義国」から出た家系が義清って事になってます。ふぅ〜ん、義光って人が南北朝なんだ……(逆にこっちを知らんので(^_^;))。

ただ、義弘という人物は、清和源氏以来とされる村上氏の系譜には出て来ないですね。海賊ってのは村上水軍の事ですか? それならこの村上氏は村上天皇系ではないでしょうか?



<河内判官&さいおんじさま [近畿] 2001/06/14(Thu) 02:09>

>村上氏
どうも情報をありがとうございました。やっぱり一族でしたか。
村上義弘は……一族ではない。ううむ。信州出身なので、
てっきり同族やと。村上源氏かもしれませんねぇ。



<こたつ城主 [関東] 2001/06/14(Thu) 17:28>

>河内判官&さいおんじ様

村上義弘って伝説上の人物なんですね。義弘が死んで村上水軍の家系が絶えたんで、信濃にいた浪人中の村上師清が水軍を率いて……とココに↓
http://202.212.20.176/home/1997himm/murakami/rekisi/nanboku/yosihiro.html
前に、kitabatake様のトコで、義清の村上氏と村上水軍の村上氏は、元から別物と教わりました。
「村上師清」も義清の村上氏の系図には見付かりませんでしたが、信濃の人で、「清」の字もつくあたり、こっちは関係ありそうな気がしますね。同じ「村上」の誼もあり、水軍の将の死に心打たれて味方したんでしょうかね。
 
     

     
  <猛馬飼育係さま [関東] 2001/08/16(Thu) 19:16>

本日白鷹町より帰還致しました。行きも帰りもほとんど渋滞に巻き込まれず、良かった、良かった。

亡祖父の持っていた"白鷹町史"を改めて読んでみましたが、キリシタン伝承の項が印象に残りました。江戸時代初期、置賜盆地にはキリシタンが多数存在したらしいです(キリシタン大名蒲生氏の統治の影響?)。特に白鷹町域は多かったそうです。佐野原地区には切支丹畑という地名がありますが、ここにかつてキリスト教会があったと伝えられています。また十王地区の称名寺にはクルスが保管されていますが、これはとある民家の屋根裏から発見された物だそうです。
米沢初代藩主上杉景勝は夫人(武田菊姫を指すのでしょうな)の血縁の公卿(誰のことだろう?)が信者だったこともあって領内のキリシタンをかばい、幕府からの弾圧指令に対しても「我が領内にキリシタンはおりませぬ」と言って取り合わなかったということですが、次の定勝の時代になると弾圧が開始されたのでした。甘糟右衛門一族の処刑はその象徴的な事件です。この時処刑された人々のなかに幼女二人がいて、彼女達は母を求めて泣き叫びながら斬られたというくだりを読むと、涙誘われるものがありました。町域でも十王地区の萩野川原でヨハンナという洗礼名の16歳の美少女が磔刑に処されたという伝承が残っているそうですし、処刑されたキリシタンの遺体を埋めたとされる場所がいくつか存在するそうです。



<猛馬飼育係さま [関東] 2001/08/17(Fri) 14:35>

上杉主頁頭影虎様の御教示によりますと、上杉景勝の夫人とは側室の四辻氏、その血縁の公卿とは山浦玄蕃ではないかということです。



<こたつ城主 [関東] 2001/08/17(Fri) 19:10>

>猛馬飼育係さま

お帰りなさいまし(^O^)! ご無事で何より♪

白鷹町という地名。恥ずかしながら、猛馬飼育係さまに聞いて初めて着目しました。蒲生氏の統治下にあったんですね。なるほどキリシタンが多い理由になるかもしれませんね。それにしても「切支丹畑」とは、何やら凄まじい地名ですね。クルスも保存されてた土地柄とのこと。教会のあった場所ならば、隠れキリシタン達の心の拠り所だったかもしれませんよね。

そうそう、米沢には武田氏の菊姫さまも関連しますよね。もっとも彼女は米沢ではなく、伏見で人質になってたようですが、血縁の公卿……誰でしょうね(^_^;)。信清とは違うのかしら。キリシタンだったのでしょうか。しかし領民を庇ったのは立派な事ですよね。 それにしても、本当にキリシタン弾圧の爪痕が非常に残されている土地なのですね。



<こたつ城主 [関東] 2001/08/17(Fri) 19:20>

>再び、猛馬飼育係さま

あ、武田の菊姫じゃなかったんですね。上杉主頁頭影虎様もお詳しい(感心)。

>その血縁の公卿とは山浦玄蕃ではないかということです。

何(*O*)! 山浦?! 村上国清(義清の子)の家系とは関係ないんですか? 確か山浦と姓を改めているはずです。



<猛馬飼育係さま [関東] 2001/08/19(Sun) 18:27>

山浦玄蕃について、上杉様からうかがった情報をお伝えします(氏も正確には記憶なさってはいないということですが)。
村上国清(山浦景国)が山浦氏を継ぎますが、彼は四辻氏ゆかりの公家を後継者にしたということです。それが山浦玄蕃なのだそうです。



<こたつ城主 [関東] 2001/08/20(Mon) 15:45>

>猛馬飼育係さま

山浦玄蕃は、やはり村上国清(景国)の後継者なんですね! 養子なんでしょうね……。また景勝にはお公家さんに縁のある家(四辻氏)から側室が入っていたんですね。上杉主頁頭影虎さまは何てお詳しいのでしょう。猛馬飼育係さまも聞いて下さって、ありがとうございました!(上杉主頁頭影虎さま、教えて下さってありがとうございました!)
 
     



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