<掲示板・議事録>


     
  <HAZUさま [東北] 2000/12/07(Thu) 23:36>

>>+−義清
>>|
>>+−義利−+−義明………義明(忠勝)(養子)
>>                  ↑
>>       (養父)頼勝−−義明
>>      (丹羽長秀家臣)

ちょっと訂正

+−義清

+−義利−+−・・・・・………義明
             ↑
     +――――――――――+
        | (養父)頼勝=忠勝|
     |(丹羽長秀家臣)  |
     +――――――――――+

 こんなかんじですね(^_^;)
 あと、士林泝を見ていたら、村上周防守の娘を後添いに貰って
いる人物を見つけたので報告
 尾張藩士津田信之の祖父 津田忠辰がそうなんです。織田信忠、
信雄、秀吉、秀頼に仕え、慶長18年に亡くなっています。
筈衛



<まささま [関東] 2000/12/08(Fri) 00:46>

僕のHPのネタなんで、小出しに資料提供(笑)
村上家の男子系の家系図について・・・

     ↓左から長男、次男、三男、四男、五男、六男となる
義清-----(義利、義勝、義照、国丸、国清、義信)
|  
義兼---義房

そして、5男である国清が最終的な嫡流となったようです。
資料を今整理中で、もしかしたら違うかも・・・
資料としては、『村上義清伝』新人物往来社 を参考。
当家に伝わる家系図や、その他資料と現在、照会中です。



<こたつ城主 [関東] 2000/12/08(Fri) 14:38>

>HAZU様

ご連絡いただくばかりで、申し訳ありません(^^;)。私も↓

>>+−義清
>>|
>>+−義利−+−義明………義明(忠勝)(養子)
>>                  ↑
>>       (養父)頼勝−−義明
>>      (丹羽長秀家臣)

この書き方では、ちょっと伺ったお話とキッチリ合わさらないな〜、と思ってました。ところで、

>士林泝

て何ですか(^_^;)。名前からして「武士台帳(目録)」みたいな物かしら。村上周防守の娘を後添えですか。ありがとうございます。信忠、信雄に仕えていた津田氏……むむむ。早速載せましょう。


>まさ様

>僕のHPのネタなんで、小出しに資料提供(笑)

ホントそうですよね(^^;)。すいません。でも、ありがとうございます。

>     ↓左から長男、次男、三男、四男、五男、六男となる
>義清-----(義利、義勝、義照、国丸、国清、義信)

ははぁ〜、ナルホド。子供が居なかったので末の弟を養子にしたとか、側室の子は正嫡と認めなかったとか、武田氏との戦いなどで亡くなったとかかな……。国丸なんて名は幼少時に夭折っぽいカンジしますね。

>『村上義清伝』新人物往来社

まさ様のサイトで、義清に関する本がたくさん出ているんで、私も驚きました。「平賀玄信の佐久支配」ぐらいですかね、私が持ってるのは(^_^;)。
 
     

     
  <HAZUさま [東北] 2000/12/09(Sat) 01:14>

>>>士林泝
>>
>>て何ですか(^_^;)。名前からして「武士台帳(目録)」みたいな物か
>>しら。

 尾張藩士の初期の頃の系譜が書かれている本です。
 こたつ城主さまのおっしゃるように「武士台帳(目録)」と考えれば
よいかも(^^;


筈衛



<こたつ城主 [関東] 2000/12/09(Sat) 15:24>

>HAZU様

>>>士林泝

実はコレ、検索してみたんです(^_^;)。そしたら「検索に使用できない文字が入ってます」って……。(アチョー!)

それで、これは系図だけの書物ですか? 津田信之(か忠辰)の石高というか……身分っぽいものがわかると、ちょっと比較材料になるかなぁ、なんて思ったんですけど……。後添えと言うのは、何かその……あまり良い条件の婚姻じゃない気も……。



<HAZUさま [東北] 2000/12/09(Sat) 20:15>

>>実はコレ、検索してみたんです(^_^;)。そしたら「検索に使用できな
>>い文字が入ってます」って……。(アチョー!)

 『士林泝』の『』の字ですね(^^;
 実は機種依存文字であったりします。いくらかの人は読めないと思い
ますが、折角書けるから使っています(゚゚ )バキッ☆\(−−#)
 読めない人はごめんなさいね(^_^;)

>>それで、これは系図だけの書物ですか? 津田信之(か忠辰)の石高
>>というか……身分っぽいものがわかると、ちょっと比較材料になるか
>>なぁ、なんて思ったんですけど……。後添えと言うのは、何かその…
>>…あまり良い条件の婚姻じゃない気も……。

 この津田氏はもともと織田氏です。戦国時代は織田藤左衛門を名乗っ
ていた家系です。清洲三奉行の一つです。
 当の信辰の母も信長の妹だったりします。
 また、村上周防守の娘を娶ったときには、織田秀雄旗下で淤台城主で
した。官位も従五位下兵部太輔です。
 そして、信辰の子たちが、織田信蕃(大坂没落後池田忠雄家臣)、知
信(徳川義直に仕える。1000石)、津田宗元(池田輝政、利隆、光
政家臣)となり、知信の子の代で2家に分かれます。
 長男信正の家は本家が尾張藩で3千石取り、分家が成瀬隼人正預かり
で150石取りとなっています。本家の2代高寛は尾張藩家老になって
います。
 次男信之の家は本家が600石取り、親信は松平義昌の家老にもなっ
ている。信之の次男信晋は分家し、300石取りとなる。


筈衛



<こたつ城主 [関東] 2000/12/10(Sun) 16:07>

>HAZU様

>『士林泝』の『』の字ですね(^^;

どっちでハネられたのかワカランけど、そうなんでしょう(^_^;)。『士林ソカイ』と読む事を、たった今知ったトコです。結構、尾張織田氏のサイトには出て来るのかもしれません。(私は初耳です)機種依存文字は私も使いまくりなので、同じく、読めない人ゴメンナサイ状態です。

>この津田氏はもともと織田氏です。

うぅ〜む、恥ずかしながら津田で思い出せるのは、津田宗及と信澄だけ(^^;)。清洲三奉行すら、前にこの掲示板で出たけど、把握しないままでして……。

>当の信辰の母も信長の妹だったりします。

うぐっ(*_*)! 信長の兄弟姉妹、子供は、気が遠くなるほど多くて……パラパラ、津田出雲守室というのと、津田元秀室ってのがいるにはいますね。(どっちかなぁ)ところで信辰という人は、信之とその祖父忠辰とは、どういう関係の人ですか?

>また、村上周防守の娘を娶ったときには、織田秀雄旗下で淤台城主で
>した。官位も従五位下兵部太輔です。

織田秀雄は信雄の子ですものね。しかし豊臣家にも仕えていた、というのが……(うぅ〜む)。

>そして、信辰の子たちが、織田信蕃(大坂没落後池田忠雄家臣)、知
>信(徳川義直に仕える。1000石)、津田宗元(池田輝政、利隆、光
>政家臣)となり、知信の子の代で2家に分かれます。

ギャギャ〜(*_*)、ややこしい。でも、ありがとうございます。

>長男信正の家は本家が尾張藩で3千石取り、分家が成瀬隼人正預かり
>で150石取りとなっています。本家の2代高寛は尾張藩家老になって
>います。
>次男信之の家は本家が600石取り、親信は松平義昌の家老にもなっ
>ている。信之の次男信晋は分家し、300石取りとなる。

成瀬隼人正という名前だけ、辛うじてドラマとかで見ますね(^_^;)。確か徳川吉宗のドラマだったような……。
 
     



ホーム