■ 土岐頼芸 ■


(1502〜1582)

土岐氏は清和源氏の末である。出羽守光信が美濃国土岐郡に居住して土岐氏を名乗ったとも、光信の三代のちに美濃守光衡が始めたとも言われる。

頼芸は文亀2年(1502)、美濃守護土岐政房の子として誕生。華美を好み、遊芸に秀れたとも言われる。

召抱えた斎藤道三が頼芸の兄、政頼を追い出すと、稲葉郡の鷺山城から川手城に移り、のち大桑城にも移った。

やがて道三と対決するようになるが、兵力が足りず、天文16年(1547)1月、大桑城から大野郡に逃れ、美濃を取り戻そうとしたが道三に敗れて上総に落ち、万喜城に住んだ。

画才にも秀で、「土岐鷹」として伝わる鷹の絵は当代の名画として知られているが、晩年は眼病を患って光を失い、剃髪して宗芸と号した。

天正10年(1582)、12月4日、81歳で没。