■ 佐久間信盛 ■


(?〜1582)

生年不詳。尾張に生まれる。鬼玄蕃と称された佐久間盛政の伯父。織田信秀以来の家臣で、信秀死後の家督相続で、最初から信長を支持、その家督継承に貢献した。

永禄11年(1568)、信長の六角承禎討伐に先鋒となって近江蓑作城を落とし、元亀元年(1570)、六角承禎を破り、ついで姉川で浅井、朝倉の軍と戦った。

天正4年(1576)以降、石山城に本願寺顕如光佐を攻めるかたわら、同6年(1578)荒木村重の謀反のときは、高槻城を攻め、城主高山友房(右近)を説得して降した。が、石山本願寺において5年間もの持久戦をとりながら、城を抜くことができず、信長にはからず独断で処置したとの責任を問われて、子正勝とともに高野山に放逐され剃髪。

信盛は信長に30余年仕え、その戦歴は主な合戦でも数十度あったが、柴田勝家、前田利家、羽柴秀吉などと並ぶ部将でありながら、深謀に欠けるきらいがあったと言われ、信長の怒りにふれ放逐されたのである。

天正10年(1582)、大和十津川で病死。年不詳。