■ 榊原康政 ■


(1548〜1606)

天文17年(1548)、三河上野にて生まれた。榊原氏は代々松平宗家に仕え、永禄3年(1560)より家康に仕え、同6年、三河一向一揆の征伐に16歳で初陣。元服して家康より一字をもらい、康政と名乗った。

三河各地の今川勢と戦い、堀川城、掛川城などを攻め、その武名が高まった。

元亀元年(1570)、姉川の戦い、同3年(1572)、三方ヶ原の戦い、長篠、二俣と歴戦した。

小牧の戦いでは、秀吉の先陣を尾張羽黒で破り、長久手の勝利に貢献。家康が関東に封ぜられ江戸に入ると、康政も上野館林城で10万石を与えられた。

慶長5年(1600)、上杉景勝を攻め、石田三成の挙兵のため、秀忠に従って中仙道を下り真田氏を攻めたが、失敗。しかし、酒井忠次とともに徳川創業の功臣であることに変わりは無く、徳川の四天王と言われた。

慶長11年(1606)、病を得て、館林で死去。59歳。

康政の子孫は忠次のとき白河14万石、のち姫路城主15万石。さらに越後村上、そして高田に移った。