■ 織田信秀 ■


(1510〜1551)

永正7年(1510)、尾張に生まれる。信長の父。

弾正忠から、のち備後守と改めた。尾張守護、斯波氏に仕え、守護代、清洲織田家の三奉行の一人であったが、次第におのが勢力を増し、織田家中での実力者にのしあがる。

天文元年(1532)、3月、今川氏豊を襲い、那古野城を奪ってこれを居城とし、同4年(1535)、松平清康と争って、その死に乗じ、同9年(1540)、三河安祥城を落とす。

天文11年(1542)8月、三河に進出した今川義元の大軍を小豆坂の戦いにて破る。同12年(1543)、禁裏に修理費として4千貫文を献上。後奈良天皇より賞せられる。同13年(1544)、三河の松平広忠(家康の父)を再び安祥城に破る。広忠は今川義元を頼り、義元は出兵。織田と今川の戦いに進展する。

天文17年(1548)、美濃の前守護、土岐頼芸をたすけ、斎藤道三と戦うが、のち和睦し、子の信長に道三の娘を娶る。

晩年は末森城にあり、天文20年(1551)、3月3日死去。