■ 織田信雄 ■


(1558〜1630)

永禄元年(1558)、信長の次男として誕生。一説に三男とも言われる。幼名、茶筅丸、又三郎。剃髪して常真。

伊勢の国司、北畠具教の養子になり、船江城にいたとき、具豊と名乗った事もある。元亀3年(1582)、大河内城に移る。

天正10年(1582)、6月、本能寺の変のあと、清洲会議で、信長嫡子信忠の忘れ形見、三宝師が織田家後継に決定すると、信孝とともに、尾張、伊勢、江田など百万石を領しつつ清洲城にあったが、秀吉と柴田勝家が対立すると、秀吉と信雄に敵対した信孝を、天正11年(1583)、篠山、岐阜に攻め、自刃に追い込んだ。

天正12年(1584)、家康と結び、秀吉を相手に小牧・長久手に戦ったのち和睦。内大臣に就任。天正18年(1590)、小田原征伐の後、秀吉と不和になり、那須に追放され、翌年(1585)許される。

関ヶ原では西軍に列し、元和元年(1615)、大和松山・小幡5万石。寛永7年(1630)、4月没。73歳。