■ 中村一氏 ■


(?〜1600)

中村氏は藤原氏の後裔という。近江の出というが、その中の甲賀とも言われる。
一氏の父は中村一政。一氏の生年は不明。幼名は孫平次。

豊臣秀吉に仕えたのは天正年間の初期(1570年代)と見られ、天正5年(1577)、堀尾吉晴らと大坂の本願寺派一揆を治めた頃からは確実であろう。
岸和田城を与えられ、ついで水口城主となり、天正18年(1590)、小田原の戦いののち、駿府14万石に封ぜられた。

一氏は武将としては比較的地味な存在であったが、秀吉の信任は厚く、駿府に封ぜられたのは、関東の太守となった徳川家康に対する備えであったともいう。
また一説に、後年は病気がちで、14万石の領守の責に耐えずともいわれたが、秀吉は一氏を重用した。

慶長3年(1598)、生駒親正、堀尾吉晴らとともに豊臣政権の三中老職に就き、政務にたずさわった。

秀吉の死後まもなく一氏も病床に伏した。このころ、徳川家康が勢力をのばしはじめ、慶長5年(1600年)、家康が上杉氏を討つため駿府に入ったが、一氏は病いが重く従軍できなかったため、弟の一栄を代りに従軍させた。
慶長5年(1600)、6〜8月ごろ(6月25日・7月17日・8月25日など)駿府城で没。年不詳。