■ 長尾景春 ■


(1443〜1514)

嘉吉3年(1443)、関東管領、山内上杉氏の家宰、長尾景信の嫡男として誕生。幼名、孫四郎。

幼少時は鎌倉にあり、壮年期には安達泰盛と並び賞される乗馬の名手と言われた。

文明5年(1473)、父景信が死去した後、伯父の忠景に家宰職を奪われ、これを山内上杉氏が庇ったとみて、古河公方、足利成氏に加担。

扇谷上杉氏の家宰であった太田道灌は、扇谷上杉顕定に、武蔵守護代の座を条件に景春を推挙したが顕定に断られ、これを知った景春は、扇谷とも敵対する姿勢をとり、関東を中心に勢力を拡大。武州上州をはじめ相模からも与力が集って、その数3千余にまで達したと言われる。

文明10年(1478)、古河公方成氏は上杉氏と和睦。大義名分を失った景春は、なおも鉢形城から出撃を繰り返したため、「長尾景春の乱」と呼ばれるに至った。

道灌は鉢形城を落とすなど応戦し、景春に味方した関東諸将鎮圧に追われたが、文明18年(1486)に亡くなり、山内と扇谷に不仲が生じると、景春は扇谷に加担。北条氏や越後長尾氏にまで手を伸ばしながら、山内上杉氏に終生復讐を繰り返した。