■ 黒田長政 ■


(1568〜1623)

長政は、幼少時代を信長の人質として近江長浜城ですごした。父孝高が、荒木村重に監禁されながらも、寝返りを疑われたとき、竹中半兵衛の手で匿われたと言われている。

初陣は毛利攻めで、賤ヶ岳、九州征伐でも功を立て、父、孝高(如水)の家督を相続したおりには、従五位下、甲斐守に就任。朝鮮の役でも活躍。

しかし長政の活躍は、主に、関ヶ原における調略が有名であり、長政は逸早く東軍に属し、秀吉子飼いの諸将のまとめ役となったが、特に、福島正則と家康の連携に苦心したと言われている。戦闘時においては、石田軍と激戦。島左近を討ち取った。

戦後は筑前、福岡52万石の太守となり、家康の養女を娶って、外様でありながらも厚遇を受けた。