■ 金森可重 ■


(1558〜1615)

永禄元年(1558)、美濃の長尾将監景重の子として生まれ、金森長近の養子となる。

天正13年(1585)、父長近とともに秀吉の佐々成政討伐に従い、同じく成政の挙兵に応じた飛騨国司、姉小路自綱を攻め、これを滅ぼす。この功により、長近は飛騨高山3万8千石を与えられる。

その後、秀吉の島津征伐、小田原の北条征伐に従い、文禄・慶長の役にも、父とともに兵800余りを率いて、肥前名護屋に参陣。

慶長5年(1600)、家康の上杉討伐に従軍。関が原では戦功を立て、同13年(1608)、父長近死後、飛騨一国を領した。1615年の大坂の陣にも参戦。軍功を上げた。

可重は父、長近に似て茶の湯の造詣に深く、古田織部の門下とも、千利休長男の道安の弟子とも言われているが、可重の長男の宗和も茶道に専念し、宗和流の開祖となった。

元和元年(1615)、6月3日、山城伏見にて没。58歳。