(?〜1600)
一色氏は足利氏の一族で、公深の代に三河国吉良庄一色に住み、一色姓をはじめて使った。のちに丹後の守護となり、若狭、伊勢、三河にも領地をもっていた。
室町時代には、四職家の一に数えられた名家であったが、応仁の乱後はかつての勢力を失ったが、なお、丹後宮津城主であった。
藤長は一色氏の祖足利泰氏の七男、公深から十数代ののちであるが、その生年は、はっきりしていない。丹後宮津城主となり、天文21年(1552)、従五位下を受け、式部少輔に任じられた。足利義輝、義昭、織田信長、豊臣秀吉らに仕えた。
慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いには西軍に属し、細川忠興の兵に討たれた。年齢不詳。
なお一色氏の子孫はのち数家に分かれ、徳川氏に仕え高家となったものもある。
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