■ 後藤基次 ■


(1560〜1615)

父の基国は、播磨三木城主、別所長治の家臣。基次は黒田孝高、次いでその子の長政に仕えた。通称、又兵衛。

朝鮮の役、関ヶ原合戦で活躍し、主君、長政が筑前に移ると、小隈城1万6千石を与えられたが、長政に謀反の疑いをかけられ、浪人を余儀なくされる。

慶長19年(1614)、豊臣家からの招きに応じ、大坂入城。一説に、家康からも播磨一国をもって招かれたが、討ち死にを持って厚志に報いると返答したと言う。

真田幸村などとともに、浪人衆の間で重きをなし、冬の陣において、木村重成とともに鴫野、今福の戦いで、上杉・佐竹軍と激戦。天下に名を轟かせた。

翌年(1615)、夏の陣においては、奈良盆地の出口をおさえ、道明寺に出陣。伊達軍と戦闘し、戦死。