■ 足利義昭 ■


(1537〜1597)

天文6年(1537)、京に生まれる。15代足利将軍。足利義晴の第二子。13代将軍義輝の弟。出家し、奈良興福寺、一乗院の門主で覚慶と号した。永禄8年義輝が三好・松永の軍に攻められ、自殺すると、覚慶も幽閉されたが、脱出して近江矢島の少林寺に身をかくし、幕府再興のため、朝倉義景、織田信長らを頼った。永禄11年(1568)、信長とともに京に入り、三好三党および松永久秀を討ち、将軍となり、幕府を再興した。

信長の勢力が増してくると、義昭は浅井、朝倉、武田、上杉、毛利、石山本願寺らと手を組み、信長追放を企てたが、天正元年(1573)、信長は反対に義昭を追放し、ここに足利幕府はその235年の治世に幕を閉じた。義昭は紀伊、播磨、備後と流れ、のち、毛利氏の保護を受けた。

天正15年(1587)、大坂で秀吉に会い、一万石をもらった。翌年、再度剃髪して昌山道休と号したが、慶長2年(1597)、8月、大坂で没した。61歳。