<掲示板・議事録>


     
  <ピンクのトカゲさま [東海] 2002/09/15(Sun) 11:29>

日雲さん

八幡信仰の補足ありがとう



<こたつ城主 [関東] 2002/09/19(Thu) 16:46>

>ピンクのトカゲさま

この「新羅明神」ってのがそもそも「アメリカ明神」ですよね(笑)。今日ちょっと検索してみたら、神奈備さんのHPが出て来て、
新羅善神堂(園城寺、三井寺):http://www.kamnavi.net/it/kinki/onjou.htm
(「神奈備にようこそ」:http://www.kamnavi.net/index.htmより)
で、「新羅の国神を祀った」からと言うんですわ(^_^;)。「アメリカ三郎」ではなく「アメリカ明神三郎」なんですね。「キリスト太郎」と同じ(笑)。
また、東北討伐軍の戦勝祈願を坂上田村麻呂に準じて……みたいな記述が乗ってますが、坂上田村麻呂も新羅明神を信仰したって事ですかね?

一方トカゲ様の仰る天武天皇は、壬申の乱の前に天智天皇が百済寄りだったのに対して、天武天皇は新羅寄りだったという観点からですよね? これはその後、百済派と新羅派が日本国内でも対立しつづけたかに寄ると思うんですが、この辺りの事情に疎いので、私にはわかりません(^_^;)。

ただ東国経営に新羅明神信仰がホントに関係してくるのなら、トカゲ様の仰る通り、大量に亡命してきた新羅人が東国に集中して住んだから、というのは納得できます。新羅や八幡の名が、例えば伊勢氏がなぜ北条氏にしたのかみたいな、それなり根拠じみた線が浮かび上がってくると面白いですよね(笑)。

>花朗の元締め=源花ということを考えると源氏という名乗り自体も

うん。これもどっか意図的な感じしますね(^^;)。
あと、元服や烏帽子親が重要になったのもいつ頃からなんでしょうかね。もしかして、この"テカテカ三兄弟"(たった今、命名)が創始者だったり……(^^;)。

道鏡事件ですが、実は前からこの逸話には……言っていいのかなぁ(^^;)。これって、天皇の命令もご神託によって覆る前例、なんて穿った見方を日頃からしがちです。これまたあまり詳しくないので何とも言いがたいのですがね。

賀茂二郎は……そうですそうです(^^)。三上や石橋の祖で、その後フワッと消えますし、松平氏が賀茂氏の出というのも、先を辿るとフワリと……(笑)。

吉備津彦は額面通りに受け取ると(そもそも記紀をちゃんと知りませんけど)、朝廷からの命令で討伐に出て、鬼を退治したら鬼の首が唸り声をあげ、夢に出て来たのでそれ以来お祀りして、鬼も功徳(吉凶を知らせる)を与えるようになった、という感じに把握してます。

>瀧口の武士とは、宇多天皇が宮中の警護に当たらせるためおいたもので

宇多天皇……m(。。)m。あ、出て来た。893(?)年と年表にあります。この翌年、遣唐使が廃止されてますね。新羅大乱の二年後で、その翌年に遣唐使廃止という事は、「現状の移住者にはそれなりの職を与えるかわりに、これ以上移住者が増えない処断を下した」なんちゅう想像も出来るかなぁ。



<こたつ城主 [関東] 2002/09/19(Thu) 16:50>

>日雲さま

>宇佐土着とされる宇佐氏、渡来系とされる辛島氏、大和朝廷系とされる大神氏、

ふむふむ(゚.゚)。わかりやすい。

>辛島氏や大神氏から見て(或いはそれらと比較して)土着的ってだけで、

宇佐氏がそもそも渡来である可能性も無くは無いというワケですな。

>辛島氏の観点からだけ見ると、あまりにも取りこぼしが多く出る、
>秦氏だけで解釈しようとすると、かなり無理が出てくる、ってことで。

帯に短し襷に長し……か。

>秦氏が朝鮮半島経由で流入してきたユダヤ人だってヤツです。
>聞いたことありません?

えー。知りません! ユダヤ人がどうこうって話は秦氏が絡んでるんですね〜! これは……マニアが出そう(^^;)。← 一発で納得(爆)

>これは絶対秦氏つながり! 秦氏と関係なきゃイヤッ!
>これもハタ、あれもハタ、多分ハタ、きっとハタ、みたいな勢いで。

なるへそ(^^;;)。 *タラ〜*
いや、まあ私も日本に来てて構わんです。そもそも16世紀の鉄砲伝来とキリスト教伝来ってのは「ホントに初かよ?」と思ってますし。その一方、その手の話になると必ず「誰が最初」という話になりがちで、正直私も辟易してます。



<ピンクのトカゲさま [東海] 2002/09/21(Sat) 18:52>

>こたつさま

>この「新羅明神」ってのがそもそも「アメリカ明神」ですよね(笑)。
>今日ちょっと検索してみたら、神奈備さんのHPが出て来て、
>新羅善神堂(園城寺、三井寺):http://www.kamnavi.net/it/kinki/onjou.htm
>(「神奈備にようこそ」:http://www.kamnavi.net/index.htmより)
>で、「新羅の国神を祀った」からと言うんですわ(^_^;)。「アメリカ三
>郎」ではなく「アメリカ明神三郎」なんですね。「キリスト太郎」と同
>じ(笑)。
>また、東北討伐軍の戦勝祈願を坂上田村麻呂に準じて……
>みたいな記述が乗ってますが、坂上田村麻呂も新羅明神を信仰
>したって事ですかね?

頼義が新羅明神(しんらみょうじん。注「しらぎみょうじん」ではない)信仰者であったこと自体が源氏と新羅の関係を示すものだと思います。
井沢氏は、新羅明神については、天武の供養のためという説を採っています。
神奈備さんのHPでは、坂上田村麻呂は、五十猛命を奉じた旨が書かれています。
五十猛は、スサノオの子で植林の神とされていますが、杉は屋久島の縄文杉に代表されるように日本の固有種であり、杉の種をまき云々の書紀の記載自体見直す必要があり、それを前提にした五十猛論は、根本から見直す必要があります。

>一方トカゲ様の仰る天武天皇は、壬申の乱の前に天智天皇が
>百済寄りだったのに対して、天武天皇は新羅寄りだったという
>観点からですよね? これはその後、百済派と新羅派が日本
>国内でも対立しつづけたかに寄ると思うんですが、この辺りの
>事情に疎いので、私にはわかりません(^_^;)。

新羅よりというより天武は冷静な外交判断をしていると思います。

>ただ東国経営に新羅明神信仰がホントに関係してくるのなら、
>トカゲ様の仰る通り、大量に亡命してきた新羅人が東国に集中
>して住んだから、というのは納得できます。新羅や八幡の名が、
>例えば伊勢氏がなぜ北条氏にしたのかみたいな、それなり根拠
>じみた線が浮かび上がってくると面白いですよね(笑)。

今後の課題ですね。

>うん。これもどっか意図的な感じしますね(^^;)。
>あと、元服や烏帽子親が重要になったのもいつ頃からなんでしょうか
>ね。もしかして、この"テカテカ三兄弟"(たった今、命名)が創始者だ
>ったり……(^^;)。

印象としては、このテカテカ三兄弟が元服って言うのでとっさに浮かびますね。

>吉備津彦は額面通りに受け取ると(そもそも記紀をちゃんと知り
>ませんけど)、朝廷からの命令で討伐に出て、鬼を退治したら鬼
>の首が唸り声をあげ、夢に出て来たのでそれ以来お祀りして、
>鬼も功徳(吉凶を知らせる)を与えるようになった、という感じに
>把握してます。

吉備津彦とは何もんだというのを含め、難しいですね。書紀崇神条で吉備津彦を西海に派遣したと出てくるだけで、系譜とかも実際には、一切かかれていません。色々な系譜論等では、吉備津彦と大吉備津彦あるいは若建吉備津彦とごっちゃにしています。これをしっかり位置付ければ、それこそ一冊の本になりますよ。

>宇多天皇……m(。。)m。あ、出て来た。893(?)年と年表にあり
>ます。この翌年、遣唐使が廃止されてますね。新羅大乱の二年
>後で、その翌年に遣唐使廃止という事は、「現状の移住者には
>それなりの職を与えるかわりに、これ以上移住者が増えない処
>断を下した」なんちゅう想像も出来るかなぁ。

唐は907年に滅亡していますから、遣唐使派遣必要なしと判断したのだと思います。



<こたつ城主 [関東] 2002/09/22(Sun) 19:31>

>ピンクのトカゲさま

>井沢氏は、新羅明神については、天武の供養のためという説を
>採っています。

ここまで結び付ける過程を探さないと〜、と思ってたのですが、見付かったわっ(#^.^#)。
伊豆半島、歴史の旅:http://www3.coara.or.jp/~primrose/kamakura.html
↑によると、清和天皇自身が僧の行教に宇佐神宮を勧請させて造られたのが石清水八幡宮だそうで、ちょっと系図補足すると、
■清和天皇−貞純親王−<源>経基−満仲−頼信−頼義−テカテカ三兄弟(笑)
清和天皇から4代はともかく、頼義は無類の八幡信仰者だったそうで、義家が八幡と名乗ったのは上述の石清水八幡宮の神前だっちゅう事が書かれてるのですが、これは「新羅明神がある園城寺」と同一?(いろんな説があるのかな?)

>印象としては、このテカテカ三兄弟が元服って言うのでとっさに浮かびますね。

どうも三兄弟の親(源頼義)が匂いますなぁ(笑)。

五十猛は、恥ずかしながら初耳でした(^_^;)。千葉には一社しか無いようで(涙)。
書紀は、バラバラだった各地の神様を物語風に関連付けた効能は当時としてはあったでしょうし、私も勉強すべきなのですが、やっぱ身近でないものへの馴染み薄さは否めないです(汗)。

>書紀崇神条で吉備津彦を西海に派遣したと出てくるだけで、

これは崇神天皇の時代にって事かな? いや、全然関係ないけど今日ぶっとびの記事を見付けて(^_^;)。
騎馬民族は日本を征服したか:
http://inoues.net/yamataikoku/mystery/kibaminzoku.html
(「邪馬台国大研究」:http://inoues.net/yamataikoku/index.htmlより)

崇神天皇が騎馬民族!(爆)

>吉備津彦と大吉備津彦あるいは若建吉備津彦とごっちゃにしています。

じゃ……たくさん居たんじゃないかなぁ(^_^;)。

>唐は907年に滅亡していますから、遣唐使派遣必要なしと判断したのだと思います。

学校でそう習いましたわ(^^;)。わっはっは(汗)。



<ピンクのトカゲさま [東海] 2002/09/23(Mon) 15:45>

>こたつさま
>私もです(爆)。復帰に手間取ってじっくり読めなかったのが残念。
>しかしホントに解読なさっておられるんで感動しました!

もう少し時間があれば、あのまま解読し、レスしようと企てておりました。

>ここまで結び付ける過程を探さないと〜、と思ってたのですが、
>見付かったわっ(#^.^#)。

新羅明神は、園城寺の守護神ということになっています。
井沢氏は、園城寺を天智―大友父子の鎮魂の寺として天武が建立したとし、新羅明神は、その怨霊鎮魂の神だと位置付けています。
そして、称徳で天武の血筋が絶えてからは、逆に天武鎮魂の神としての性格に変容したと

>伊豆半島、歴史の旅:http://www3.coara.or.jp/~primrose/kamakura.html
>↑によると、清和天皇自身が僧の行教に宇佐神宮を勧請させ
>て造られたのが石清水八幡宮だそうで、ちょっと系図補足すると、
>■清和天皇−貞純親王−<源>経基−満仲−頼信−頼義−テカテカ三兄弟(笑)
>清和天皇から4代はともかく、頼義は無類の八幡信仰者だっ
>たそうで、義家が八幡と名乗ったのは上述の石清水八幡宮の
>神前だっちゅう事が書かれてるのですが、これは「新羅明神が
>ある園城寺」と同一?(いろんな説があるのかな?)

石清水八幡宮は、貞観元(859)年に南都大安寺の僧侶・行教が宇佐八幡宮を勧請したことにはじまりますね。
で、859年というと、前年の天安2年に、清和が即位していますから、清和の時代に勧請されたわけです。しかし、清和が即位したのは、10歳にみたず、その1年後に勧請したということになれば、清和より藤原良房の意志といっていいと思います。
清和源氏は、そもそも藤原氏のボディーガードとして地位を築いていったわけですから頼義もそうした藤原のご機嫌取りから八幡信者になったのではと思います。
義家が八幡太郎と呼ばれるのは、仰る通り石清水八幡宮で元服をしたことに因むものです。
石清水八幡宮は、京都の男山です。賀茂三郎の賀茂も賀茂神社でということだと思いますが、そうすると、義光だけがわざわざ大津の園城寺の新羅明神までいって元服したって言うのも妙な気がします。
そして、大事なことは、石清水八幡宮が創建された貞観元(859)年に、天台宗の僧侶円珍が園城寺を再興したということです。
この円珍と新羅明神については、円珍が唐からの帰路に新羅明神が現れ、円珍の教法を守護することを約束し、姿を消し、円珍が入京し経典を太政官に差し出した際に再び新羅明神が姿を表し園城寺に円珍を導き、園城寺に留まったという伝説があることです。

>どうも三兄弟の親(源頼義)が匂いますなぁ(笑)。

頼義は、怪しい満仲の孫ということになります。仮に満仲が新羅系だとすると、頼義あたりもかなり新羅を意識していたと考えられます。

>五十猛は、恥ずかしながら初耳でした(^_^;)。千葉には一社しか
>無いようで(涙)。 書紀は、バラバラだった各地の神様を物語風
>に関連付けた効能は当時としてはあったでしょうし、私も勉強す
>べきなのですが、やっぱ身近でないものへの馴染み薄さは否め
>ないです(汗)。

五十猛は、紀州イタキソ社の祭神ということになっていますが、このイタキソ社の氏子地に桜田という字があります。また、イタキソ社は、日前国懸社の元地だと言われていますが、日前国懸社が、瀬織津媛と絡んでいることは風琳堂刊の「エミシの国の女神」で既に触れられています。
となれば、イタキソを考察するにあたり、瀬織津姫をキーワードとすべきです。

>これは崇神天皇の時代にって事かな? いや、全然関係ない
>けど今日ぶっとびの記事を見付けて(^_^;)。
>騎馬民族は日本を征服したか:
http://inoues.net/yamataikoku/mystery/kibaminzoku.html
>(「邪馬台国大研究」:http://inoues.net/yamataikoku/index.htmlより)

>崇神天皇が騎馬民族!(爆)

拙稿第一話も基本的に崇神騎馬民族説です。

>じゃ……たくさん居たんじゃないかなぁ(^_^;)。

吉備津彦については、いずれというか、近いうち、徹底解明しますよ。
今日、あかねさんのレスで若干触れましたが、これもなんかシリーズ化しそうです。
 
     



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