<石和川中島合戦戦国絵巻・レポート10>


     
  <上杉軍>

記念撮影や知り合いへの挨拶や連絡などに居残る一部以外は、土手に詰め掛けていた観客もどんどん引き上げて行き、その頃ようやく上杉軍も引き上げて来ます。

筑後川さまに再会できた私は、だいぶぬるくなってしまったペットボトルのお茶を渡せました(^_^A)。

この後も続々と参加者の皆さんが引き上げて来ますが、その笑顔にビックリしました!

全く「作り笑顔」じゃないんですよね(^^ゞ。

どなたも口々に「ヘトヘト〜!」と言いますし、もちろん私も大いに経験あって、下手すると「うわ〜カメラは勘弁〜」って時すらあるのですが、どうも自分で思ってるほどくたびれた顔はしてないようで(^^ゞ、むしろ最高に輝いてる時だと思いました!

こちらは、松澤佳蓮さま。→
今年は村上義清役をやられてたんですね〜。

やがて相模守太郎さま隊の鍋之介さまの他、城田ジョウさま隊の方々が来られました。

鍋之介さま
相模守太郎さま
城田ジョウさま

さらに今年初参加の方が多い「ゆるり隊」の面々。

雑賀孫八さま
辰之進さま
河井計実さま



<演出部隊>

そして最後に、後片付けで居残っていた演出部隊の皆さん。

戻って来る人、まだ残ってる人
戦姫さま
肥前守左馬之助さま

米屋繁霞さま
ぷくぷく志摩の守さま
最中餡十郎さま

いや〜〜、皆様、ホントにご苦労さまでした(^O^)!
ステキな笑顔を拝見して、思わずやっぱ次回は参加かっ?!と再びグラリと揺れ戻しましたわ〜(笑)。
 
     

石和史跡巡り〜帰路

     
  筑後川さまとは宿で合流。温泉に入った後、帰り時間の迫る筑後川さまを駅にお送りし、我々体力の残る見学組3人は、河内太夫判官さまのご案内で、もう少しだけ史跡巡りを続行しました(^^ゞ。

夕空に浮かぶ富士山
そろそろ日も暮れて参りました



<逍遥院>

武田信玄の同母弟、逍遥軒信綱(信廉)は信濃高遠城の城代を務め、1582年3月に武田家が滅亡すると、織田軍に捕らえられて相川河原で殺されました。
武将としてより画家として知られ、その母、大井夫人画像(長禅寺所蔵)、父信虎画像(大泉寺所蔵)などが残ります。

この寺は、逍遥軒がその生前、自邸近くに建てた向富山逍遥院(曹洞宗)に、信州岩村田竜雲寺の北高全祝の書を、自ら「逍遥院殿海天綱公庵主」と彫った位牌が残る寺です。
他に、1574年の武田勝頼の「寺領安堵状」、1575年勝頼による禁制の高札、徳川四奉行の黒印状、その後の歴代領主文書、大久保長安、平岡勘三郎、岩波七郎左衛門など代官文書など9点が保存されてます。

逍遥院山門
境内に入って行きます

正面の本堂を手前左脇に入って行くと、右手に鳥居、左手は奥が墓所となっていて、墓所に「逍遥軒を祀った祠」があったので、拝んで参りました。

こたつは今年も石和のお祭りが楽しく終了した御礼と一緒に、逍遥軒にあやかって「絵が上手になれますように(^∧^)」とお祈りましたっ。

本堂脇の鳥居と神社
逍遥軒を祀った祠



<エピローグ〜♪>


夕飯を食べた後、河内太夫判官さまをお送りして甲府まで出ました。
なので、いつもの「一宮御坂」ではなく、甲府のインターから高速に乗った覚えがあります。

なので少しだけ例年より高速での風景が長かったのですが、石和に入る手前ぐらいだったでしょうか、「大文字焼き」のような山を見ました。

これ、昔は石和ではユースホステルに泊まってましたが、その時もスグ近くに見ましたね(^^ゞ。

もちろん本当の火を入れてるわけじゃないでしょう(笑)。

「懐かしいね〜、昔見たよね石和で(^^)」
などと言いながら帰ったので、この写真もオマケでつけときます♪

今年も参加の皆様、お疲れ様でございました♪
またお会い出来たらいいですねっ!