|
|
|
|
お久しぶりです|ω・`)<オソルオソル
前回、ご挨拶に出て来た最後って……11/04なんですねっ(*o*)!
……3ヶ月ブリとは……。。(正直そんなに経ったと思えてない(^_^;))
しかし、年末までに出て来れなかった事と、せめて正月明けは出て来ようと思ってた事は、ハッキリ覚えています。
そう思いながら、その1月も「あっ、もう終わっちゃうじゃん( ̄∇ ̄;)」と気づいたのが、つい一昨日です。。
というわけで……まずは、2018年もお世話になりました。m(__)m
明けまして、2019年、おめでとうございます\(^O^)/<パッ
本年も何卒、宜しゅうお願い致します( ^。^)/~
……と、いっぺんで済ませまして(^_^A)。
さて近況、どこまで遡れば良いのでしょ……11/04か…… φ(。。)m
何を置いても、まずご報告したいのは、オフ会の事! *これはスグ思い出す*
11月にやりました。すっごく楽しかったです(≧▽≦)! 早く又やりたいです!
というか、それしか覚えてないっつーぐらい心に残ってます!(爆)
メンバーは、畠山義綱さま(「能登畠山氏・七尾の歴史」)、小野寺維道さま(「新・小野寺盛衰記」)、そして、こたつ城主・こたつ亭主の4人でした。
場所は、関宿城跡とその周辺で、まず「道の駅・さかい(境)」で落ち合って昼食を取り、おもむろに移動して、「関宿城博物館」「関宿城跡(遺構)」「宗英寺(古河公方・足利晴氏の墓)」、そして最後に「道の駅・ごか(五霞)」で、くっちゃべり大会!(笑)
ただ、何しろこの体たらくですから、レポを行うのも(「城主のたわごと」も)、1年以上の遅れになりつつありまして(笑)、オフ会レポも推して知るべし(-_-;)。。。
だからその分、この「ご挨拶」で近況を言わなきゃならんのに、このご挨拶が又、このように間隔が空いてて、スイマセン(^_^;)。。
オフ会を行うに至った経過からご説明したい、と思います。というのも……、
@ 最初にオフ会の話が出たのは、一昨(2017)年の暮れ頃でしたが、その前段階、オフ会の話に及ぶ経過に、一度はどこかでちゃんと申し述べておきたいと思っていた事があるからです。
A 今回のオフ会が、「こたつ城」本来の色合いが強い物だった、と思うからです。
↑まず@の方から行きます。
「申し述べたい」事とは、林六郎光明さま(「六郎光明の屋形」「加賀一向一揆」)の訃報です。
これまで長く、「何かの機会に云わねば」と思いつつ、このほどのオフ会を終えてからにしよう、と思って、今まで繰り越して参りました。
話はさらに、その半年ほど前に遡ります。2017年6月の事です。
「こたつ城」の「議事録」に、林光明さまとのメールのやりとり(2014年の物です)を議事録化して掲載しました。
その議事録にも書いた事なんですが、やりとりしてる間の感触として、「この話は、今後も続きが出来そうだな(^^ゞ」と思ったので、すぐに議事録に載せるのは控えていました。
しかし、その後、ずいぶん時間が経ってしまい(お互い忙しかったんだと思います(^_^;))、「掲載許可だけ貰っておいて、出さないのは失礼だから、中途半端かもしれないけど、もう出しておこう(^_^;)」と思い、それで出したのが、2017年の6月だったのです。
「遅れてしまいましたが、出しました」と林さまにメールしましたが、返事は来ませんでした。
「まぁずいぶん前に許可貰ったのに、今更くどかったかもな(^_^;)」と、返事については正直それほど気にしませんでしたが、これより前に出したメールも返事が来なかったのと、病歴の話などしあった事もあって、林様の事は少し気になってました。
林さまはよく畠山義綱さまの掲示板にも来ておられ、私もそこで話す事もあったので、近況なり確認できたらと、畠山さまの掲示板を覗きに行ったのです。
(林さまもサイトと掲示板をお持ちですが、長く更新が止まってたので)
そこで目にしたのが、林光明さまの訃報でした。
物凄い偶然でした。見に行ったそのタイミングで書き込んで下さった方がいらしてたのです。(ずっと前の書き込みだったら、見過ごしてしまったと思います)
畠山義綱さまもその場で、詳しい事をメールで教えて欲しい、とレスされてたので、内容が内容だけに、掲示板(大勢が見る場)でのやりとりにはならない気がして、畠山さまに直接メールで問い合わせてみました。
その時のお返事では、それ以上の事はわからないままだとのお答えでしたが、半年ほど経った頃、畠山義綱さまが、「喪中の年賀挨拶辞退の連絡が来ました」と、わざわざお知らせを下さいました。
私も畠山さまも、大層残念でした。。
しかし畠山さまは、失意の中でも前向きに、かつ迅速に行動されました。
ご遺族の方に、林さまのコンテンツ複写掲載を申し出られ、快諾を頂いて、ご自分のサイトに引き取って下さったのです。
そのため、今でも畠山さまのサイトに行けば、林さまのコンテンツを閲覧できるのです。
(ちなみに、今も林さまのサイトはネット上に確認できますが、主催者のいないサイトです。いつサーバー側の事情で撤去されるかわかりませんし、その時に引っ越しも出来ません)
稲妻が閃くような判断で、林さまのコンテンツを引き取って下さった畠山さまの対処には、感動を覚え、今でも感謝しています。
そのようなやりとりの中、オフ会の話になったのです。
お礼を直接言いたかったのは勿論ですけど、林様亡き今、気持ちを共有できる人(どういう気持ちかは、↓Aで述べます)がいなくなった、という思いもありました。
林さまを通じての知り合い、といった距離を、林様のご生前は、それでいいと思ってましたが、今は甘えた考えだった、という反省も浮かびました。
Aの「こたつ城」の色合い強いオフ会……の方に進みます。
「こたつ城」を発足当時に近い古い頃からご存知の方は、「こたつ城」でオフ会と言えば、「石和川中島合戦絵巻」だと思っておられる方が多かったと思います。
が、自分的には、あれに行かなくなってからの方が、「こたつ城、独自のオフ会」という感じを強く持ってます。
レポートも「城主のたわごと」に載せますからね……。
石和をキッカケに、他のイベントのオフ会などに出掛けていく機会もあり、中には、熱心に歴史の話をして下さる方もおられました。
そういう意味においては、これらの出会いは、今も私の良き財産です。
が、イベント畑って、どうしても歴史と無縁の人も大勢来て、どちらかと言うと後者に仕切られてる事が多いです(^_^;)。
私はそういう場から、だんだん離れて行くんだよなぁ〜、と我ながら認識します(笑)。
地元の集会なんかでも、ちょっとでも後者の仕切りが強まると、「もう辞めちゃお(^_^;)」という思いに勝てなくなります。
ところで、今回、小野寺維道さまをお呼びしたのは、「こたつ城」でレポするようなオフ会に、これまでもご一緒して来たからです。
小野寺さまは、「石和川中島合戦絵巻」に最後にお誘いしたものの、その年の参加も見学も断念する事になってしまい、お引き合わせできる人もいただろうに、機会が無くなって悪かったな〜という思いが残ってました。
それで、何かと機会あるごとにオフ会してきたんですが、まぁウマも合ってたんですよ(笑)。
住所も遠くないですし(^^ゞ。
その「ウマ」に関係するので、話は長引きますが……。
今年の正月、2日と3日に、NHKで「平成ネット史(仮)」という番組を放送してました。
その時代区分によりますと(笑)、我々はどうもネットにおける一番最初の世代らしいです(^_^;)。
区分的には、「テキストサイト」と呼ばれる世代のようです(笑)。
この「テキストサイト」の全盛期は、同番組でも言ってた通り、短くして過ぎました。
(というか、その後に続いたどのジャンルも、命短くして次の時代に移行しました)
しかし、2ちゃんが出ようが、ブログが出ようが、mixiやツイッターやFacebookやLINEやインスタなど、各種のSNSが出ようが、「テキストサイト」の主催者には、ほんの一部ながら、しつこくしぶとく、細々ながらも生き残る強者がいます(笑)。
林六郎光明さまも、小野寺維道さまも、畠山義綱さまも、そして私も、それぞれそうした一人でありました(^^ゞ。
私は、林さまの書かれた「リアル戦国時代」には、ずいぶん開眼させられましたし、そのような読み物の著者と、直接メールや掲示板などで話せる事に、新しい時代の到来を実感できた事を、しみじみ思い出します。
特にSNSが主流になると、テキストサイトの時代には、それなり長文を書いておられた方でも、短文メッセのやりとりに転向される人が増えました(もっとも、ガラケーやスマホでメールとなると、どうしてもそうなりますよね、わかります(^_^;))。
次々とSNSに流れていかれた方もおられました(溜息)。
が、そんな中でも、林さまは変わらぬスタイルを保持され、更新内容と言い、メールのやりとりにせよ、私には大層心強い物がありました。
歴史の話がメインではありましたが、それ以外でも、公私に渡って色々な話をしました。相談にも乗って頂きました。多岐にわたる話題が出来るのも、長文のやりとりが可能だからでしょう。
林さまという方は、私にとって、そういう方でした。
この話題は、オフ会でも大いに出ました。
「昔(テキストサイト時代)は良かったよね〜」「SNS嫌だよね〜」と(笑)。
そのように同調できる相手を、少数になったとはいえ、未だにネット上に持てること自体、思えば贅沢な世代なのかもしれません。
今は、ネットで知り合った人にうっかり会うと、殺されてしまう時代ですから(^^;)。
でも、別にネットで出会わなくても、そのような可能性って、常に人付き合いの奥に潜んでますよね。
殺人事件の9割以上だかは、身内や知り合いの犯行だって言うじゃないですか。
けれども、人の集まる場に執着するタイプって、詐欺・横領・強姦・殺人の可能性を帯びた人が必ずいるんです(^_^;)。。
こたつ城主は、あちこちに潜伏して、実態調査にいそしんでますが(笑)、実直な感想として、先ほど申した「後者(歴史好きでない仕切りたがり)」に、この傾向を大なり小なり感じるんですよね〜(>_<)。。
歴史に限らず、専門性の低い人(専門家ぶっていても、実は中身が薄い人)って、そういう発想に走りやすいんですかね(頭の中が暇すぎて?)。
おっと、話が逸れてしまいました(笑)。
何しろ、今回のオフ会が、いかに「こたつ城」の色合いが濃いか、だいたい述べられたのではないか、と思います。
オフ会の話は以上です(^^ゞ。
これのレポは……いつになるでしょうね(笑)。一年は先に伸びそうな気がします(汗)。。
さて、三ヶ月の間、他に何があったか……。
ゴーンが逮捕され、北方領土の返還がショボイ結果に終わる気配となり(汗)、日韓関係は悪化の一途。眞子さまと小室氏の婚約問題も悪化とか、色々ありましたね。
相撲会はじめ、すごく多くのスポーツ界のパワハラ地獄も底なし状態ですね。
どれもこれも、あれこれ思う四半年でした。
どれについても色々言いたいのですが、正直、もう時間がありません(^_^;)。。
「西郷どん」だけ言いましょうか。
前も言った通り、1回、2回の頃は、「どっかで見た感」が強く、見る気が失せたんですが、糸が最初の結婚で西郷と別れる辺りと、篤姫が嫁ぐ前あたり、ちょっと浮上して感じました。
しかしその後は、やっぱり……(^_^;)。。
敗因は……根の深い問題になりそうです。。
西郷隆盛の話は、大河ドラマでは「跳ぶが如く」(1990年)でやりました。
このドラマを高く評価する向きをネットなどでは散見しますが、私はそう思いません(^_^;)。
むしろ、今回の「西郷どん」は、「跳ぶが如く」の敗因を反省した結果、編み出された骨組み(脚本)だったのではないか、と思いました。
そしてその結果、「跳ぶが如く」では上手く切り抜けられていた点が、逆に今度は自己矛盾に突き当たってしまい、最後はダラダラと史実をただ追いするだけの不出来に陥ってしまったのではないか……。かように思います(^_^;)。。
西郷と大久保は、「跳ぶが如く」においては、「言い合いになるのを避けて」か、「話をする事だけが男の友情ではないから」か知りませんが、とにかく何度も会って、何度も話し合う機会があるのに、話をせずに、終末に向かってしまうんです。
正直、見ていて、イライラしました(^_^;)。。
ああいうドラマを「良い」とかいう人って、自分の日常、自分の友人関係が、あの程度なので、あんなもので評価しちゃうって事ですよね?
あなたはそれでいいわよ。あなたは所詮、その程度の人間よね、どうせ。
でも、西郷は日本の歴史上の人物でしょ? あなたと同じ程度に描けば満足だなんて、あなたのエゴなんじゃない?
……と、私は長い事思ってきました。
で、「西郷どん」は、そこんとこ、もうちょっと深く掘り下げて描こうと、少なくても努力はしてました。
西郷と大久保は、そのすれ違う点を互いに指摘しあい、罵りあったり、胸倉つかんだり、「これがお前のやりかたか」と呆れたり……と、製作側は頑張って両者の「個性の違い」みたいのを描こうとはしてました。
しかし、そのため成り行きが、「ついさっき、話したハズなのに、何でこうなる(^_^;)」という運びになるんです。 *ナイアガラ汗*
どこもかしこも、この無理と矛盾で満ちあふれていました。
が、枚数の都合で、一番わかりやすい場面を一件だけ抽出しますと、「寺田屋事件」が、特にそうなってました(^_^;)。
大久保ではダメでも、西郷ならみんなを説得できる。
このドラマは、何かとそこに力点が置かれてました。西郷が主人公なんだから、花を持たせたのでしょう。
だから西郷が止めに入り、諫める。みんな感動して説得される。
……なのに、寺田屋では凄惨な切りあいが起こる。 ε==(/*o*)/<なぜ〜?!
薩摩の皆さん、記憶喪失でっか(^_^;)。。
西郷にたった今、説得されたでしょ。どうしました? 忘れました?
そこで多くの日本人が気付いてしまったのは、「結局、史実においても、話しなんかしてなかったんだな(^_^;)」と呆れるような、明治維新の英雄たちの実態なんです(滝汗)。。
実は、西郷隆盛の役、鈴木亮平と知った時、「ええ〜? この人かぁ(^_^;)」と正直思いました。
一年見るには見苦しく感じたんです(爆)。
でも、今思えば、ある意味において適役だったんですね。納得です。
こういう男性とベタベタしたがる女性、確かに世の中にちょくちょく見掛けますが、何とも言えない嫌な空気を周りに吐き散らしてます。
それは、ややもすると、パワハラ満載の職場なんかに濃厚な空気です。(かつては「女衒」「女郎屋」なんて陰口叩かれたものです)
大久保がダメな説得役も、西郷の人柄ならみんなに支持される。
こういう事は、本当にあったんだろう、と私も長い事思っていました。
そこを描けないのは、ドラマとして失格なんであって、歴史上の人物には、我々現代人に計り知れない、人徳がどうこう、スケールがどうのこうの……と。
しかし結論は、足元が瓦解するほどの衝撃ながら、恐らく、そんなもん無いです(^_^;)。
大久保への多くの反発とは、何の事はない、嫉妬なんだろうと思います。 *終わり〜*
二度とこの人物とこのテーマのドラマは、やらないで貰いたいです。
どれだけ受信料を投入しても、これじゃ薩摩をよく思う人は出て来ないです。
多くに好かれる英雄だった。女性関係も複数に渡った。叛乱を起こして滅んだ。未来に語り継がれる神話となった。男の友情も、虚実交えてあるが、命の取り合いになってしまう……。
こういう所は、平将門(「風と雲と虹と」)と殆ど変わらないハズなのに、なぜ妙な結果になるのかについては、「史実がそうだから(^_^;)」が一番大きな要因だと思います。
しかし、そこを、どうしても製作側の責任にしたいのであれば……。
一つだけ指摘できる面があります。
ちょうど、厚生労働省の統計不正問題がダブリますので、これ行きましょうか。
まぁ、出るべくして出たな〜って感じです(^_^;)。
何年も結果の出ない「アベノミクス」「好景気」が、嘘のデータに原因があるぐらいの事、誰でも薄々は感じてましたよ(苦笑)。
この政府は何でも改竄しますし、オリンピックがどうこうテロがどうこう言い訳しては、個人データへの侵入すら合法化してしまう、世界でも稀にみるヤバイ思考を持ってますので。
ただ、アベノミクス失敗の証拠がハッキリ出て来た点は重要です。
あまりの独裁ぶりに嫌気が差して、現場が目立たぬよう叛乱起こすんでしょうね。
大河ドラマと同じです。
上からのお仕着せに、心の底から従う気がないから、現場はどこかに「見る人が見れば、変だと感じる」要素を盛り込んどくんです。
思えば、この期に及んでオリンピックを大河ドラマにするとか、あまりにゴマすりが見え透いて、不真面目さが見え見えですもの。
(日本人ってホント、この手の嫌味が上手な民族なのよね:爆)
つまり政府の押しつけがましさが、失敗の要因に関わっている、とは言えそうです。
これより、「城主のたわごと」の続き書くのに戻ります。
今回もなるべくスグ出します(^O^)/~
02月01日
城主 |
|
|
|
|
|