上記の通り(^_^A) 今回は冒頭イキナリ「超多忙\(>o<)/」で始まります(笑) パパッと過ぎ去る冬。スグ来る春! レポの本格スタートは、松戸駅・東口の根本城、前にレポした「神明社」のさらに先に進みます。 まずは「池田弁財天」の遊女と大蛇伝説。そして根本城の北端「金山神社」。 4月は、今年も「常盤平さくら祭り」(^^)。今年も美味しい屋台生活(笑)。 この途中まで、ちょっと写真がボヤケてますが、ここからクリアです! そして最後は馬橋ウオーク。 今も残る「馬橋」(地名発祥の橋)、色々と街中を巡りつつ、最後に「萬満寺」と「王子神社」に向かいます。 今回は、松戸の高城氏の痕跡地と怪談の事を、ちょっと考察してみました! 今月も、どうぞ宜しくご賞味下さいませ(^^)。 次回は……選挙までにいっぺん出て来ようかなっ *ふふっ* 09月22日 城主 |
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9月ですね! 今年の夏は日照時間がどうの、冷夏がどうの、と言われてましたが、ウチはず〜っと冷房つけてました。 何か、湿気が凄かった気がします。息苦しかった(*_*A)。 去年だったか一昨年だったか、同じような夏があって、その時よりはマシでしたが……。 どういう体調か、8月の終わりから9月にかけて、首を寝違えたような、やたらと背中が凝りまして、肩甲骨あたりが痛んで、なかなか凝りが抜けなかったです。 軽く風邪もひいたようで、油断せず風邪薬を続けて飲んで回復しましたが……。 去年と一昨年、三年前もそうだったかな……秋に大層重い風邪をひきこむ年が続いたので、今年は用心して、治った後も、肺経のツボ押しなど、なるべくやるようにしています。 ええと、風邪はともかく、凝りに関しては、秋に首の寝違えっぽい症状を催す事は若い頃から多かったです! そっかーあれかぁ、と今更ながら思い出しつつ、今後の対策に熟考を加えたいと思います(`・ω・) そういや、今年100円ショップで買った凝りほぐし鉄棒を風呂場に持ち込み、入浴がてらグイグイ背中をほぐした後、ずいぶん改善したんですよねー。アンメルツ横横が妙に効いて、血流促進効果があるような気がします。(この頃の市販薬ってバカに出来ませんよね) これも去年からそうでしたが、今年もコバエ被害は殆どありませんでした(^^ゞ。 去年からやってるのは、玄関によく吊るす虫よけがありますよね。ウチはフマキラー「虫よけバリア」をやってますが……これを、パソコン使う机で吊るしてます。 これで随分よけられるのですが、時折、エアコンから飛び入って来るのがいるんですね(*_*)! 直接入って来るような奴には、コバエ専用のワンプッシュスプレーで充分でした。 ここ2〜3年は、わりとコバエに悩まずに済んでます。 自分の対策も有効なんでしょうが、だいぶ前にマンションの理事会で苦情が出されてるのを聞きましたので、恐らく地域全体の問題だったのでしょう。 だから、この頃は広域で害虫駆除がされてるのかもしれません。 その後、パソコン対策は、クラッシュ気味のデータも何とか拾えまして(^_^A)、今はもうちょっと効率のよいバックアップに取り組んでます。 8月も下旬に、日帰りですが、久々に高速に乗ってお出かけしっました(^O^) すんごい久々でした! 行ったのは、埼玉の川口のお寺と、栃木県の佐野の周辺です。皆川とか唐沢山とか。 そのうち「たわごと」でレポしたいと思います。 さて、今月も、楽しい家康談義から(笑)。 山岡荘八の『徳川家康』は、今11巻まで来ました。 8巻・9巻を超えると、また元の読書スピードに戻りました(A*。*)=3<ホッ 7巻までは月に2冊は行けてました。早い時には1週間で一冊行っちゃうぐらい(笑) (1巻だけは、早く読み進めると思ってなかったので、一ヶ月かかってしまいましたが) それが8〜9巻で、ド〜ンと止まってしまったんです(*_*)。。 8巻では30日、9巻になると、50日もかかってしまいました!! 特に9巻、柴田勝家とその周辺が、もうどうしようもなく進まない(^_^;)。。 読まない日が続いて、しばらくぶりに手に取っても、進むのが遅く、又しばらく読まない……という循環に陥ってました。。。(/*。*)/=3 しかし、その9巻で、北ノ庄の柴田勝家やお市の方が滅び、10巻からは小牧長久手です。俄然、家康が主体の話に戻ってきたせいでしょうか? すこぶる快調な進みです(^_^A) 9巻までの停滞ぶりが何だったのか、と思うぐらいで、その理由を、「今まで全く出てこなかった柴田勝家が突然出て来るから、感情移入できない?」と思ってたんですが、その後10巻に入ると、池田恒興も同じように急に出て来たのに、それなり以前の速度で進めたんですよね……。 それ言うと、7巻までの奥平信昌や明智光秀も、出番になると急に登場というのは同じだったのに、それなり読めたからなぁ……。 そうそう、『徳川家康』は、3巻ぐらいからだったか……家康には直接関係ない戦国武将の話もいっぱい出て来るんです(^_^;)。。 長いとそれだけで半冊とか1/3冊とか行かれちゃうんです。。 家康とその周辺の話については、やはり流石によく練れていて面白いんですが、徳川以外の話が始まると、正直、『三国志演義』を読まされてる気分です(^_^;)。。 各武将の描写タッチは……横山光輝みたいな感じかなぁ(笑)。 あ、三国志について言っておきますけど、私は、『三国志演義』も、横山光輝の描いた三国志の漫画も大好きです。 だから、「演義がダメで正史が正当」みたいな、幼稚園児が大人に威張って言うような主義主張は大嫌いです。 ましてや、『蒼天航路』を「神」だとか言いたがるのは、大抵ネトウヨ並みの頭のデキの人に多いと断言できます(爆)。(つまり安倍や麻生と同程度の知能)←身も蓋もないww ……と断った上で、そうは言っても、読んでいるのは家康の小説なんだから、次々と名だたる武将が主役級のノリで、しかもアッサリ味で出て来る(←という意味で横山三国志)のは、忙しい現代人にとっては、ちょっとした時間のロス感が無くないです(爆) ですが、この小説が書かれたのは、戦後間もない時期です。 テレビもない、娯楽も乏しい頃です。もちろんインターネットもありません(^_^;)。 当時としては、これでこそ立派な読者サービス業として成り立っていたのでしょう。 それと、「これを全26巻読んでると、当時の中央史を順を追って頭に入れられるというメリットもあったんだろうな」と思います。 ブツクサ言いながら、私も、「どの順番でどういう地理関係で有名な合戦が行われ、時代が進んでいったのか、頭にシッカリ浸透するのに有効(^^)」という点で、有難く思います。 ただし、だいぶ古い小説ですから、間違いらしき(あるいは当時は有力説だったかもしれないが、今は却下されぎみの)説も少なくなかろうと思います(^_^;)。 「イコール歴史」という思い込みに捕らわれず、今はネットなどでも有効な歴史解説は読めるのですから、程ほどの受け止め方をした方が無難かとは思います(笑)。 それほどキチンと検証したわけじゃないですが、特に女性関係なんかそうかなぁ……と。 ……話が脱線してますよね(^_^;)。 細かい点は後に回すとして、何しろ家康に関係ないが、武田、織田、羽柴やその家臣たちの話は、やたらとよく出て来る、という事です。 そして、その多くが、その場限りのドラマで終わります。後の伏線に繋がるネタになってない事も少なくないです。 逆に、有用な登場人物が伏線なく急に登場する事も、これまた少なくないです。 家康に関わる出番のはるか前からよく出て来たのは、秀吉と前田利家です。 ただし今思うと、信長時代から彼らを書く必要があったか疑わしいです(笑)。 どちらかと言うと、信長を書くために必要だった感じもします。 それと秀吉については、特に前から家康と知り合いでなくても、今の展開にはなってた気がします。 今……というのは、家康に秀吉の妹・朝日姫が嫁ぐの段です。 両雄の間には、腹の探り合いの神経戦がエンエンと続きます。 そこでは、秀吉と家康はなまじ知り合いなので、互いに相手の腹の内が読めて云々……という手法にはなってますので、まぁ信長時代の秀吉も伏線の内だった、と言えるのかもしれません。 そいで、元通り面白くなってきた10巻、11巻について進みますと……。 小牧長久手の合戦では、池田恒興も悪くないんですが、歴史好きの視点から注目なのは、織田信雄だと思います。 よほどマイナーな創作物や地域史でもない限り、取り扱われないなぁ(^_^;)と思う人です。 さらに「家康の生涯」というテーマ以外では、ことのほか作家が注目する可能性の低い人とも思います(汗&笑)。 しかしここで、「水野信元が信長に殺された段」や「天正壬午の乱」という、家康を主役にするなら出て来そうだと期待してたら、サラッと「肩透かされたエピ」に続いて、ここで信雄との絡みまでスルーされたら…… もう『徳川家康』は、「徳川家康という名の『国盗り物語』」とか「同『関ヶ原』」などと陰口叩かれても、言い返せなくなってしまいますヽ(`Д´)ノ! それは同時に、山岡荘八が「司馬遼太郎の前に書いたから売れただけの無能作家」という評価にもなってしまうのです(^_^;)。。。 ただツラツラ読み進むだけだと、それほど大層な注目点たりえないかもしれませんが、今言ったような論点で読んでると、織田信雄ほどこの小説で特異な存在は居ません。 山岡荘八も、小牧長久手を書くにあたって、織田信雄をどう捉えるか、色々と策を練った(勢い、柴田勝家が手抜きになった)んじゃないか、とすら思いました(笑)。 というのも、大抵、織田信雄は「ただのバカ息子」で片づけられる所なんですが、この小説でそれやると、それを助けた家康も「バカに乗せられた田舎モン」に落ちるんです(^_^;)。。 そこで、家康が信雄と同盟して秀吉に対抗した頃の事を、今ウィキなど読むと……。 「秀吉が柴田勝家を倒した時点で、秀吉の天下継承が成った」のではなく、「柴田勝家と組んだ信孝が滅んだ(織田家のお家騒動が終わった)後は、信雄が正式に信長の継承者となった」……という見解もあるんですね(^^ゞ。 その場合、信雄の天下はいつまでと見なすかと言えば……、やっぱ小牧長久手の敗戦でしょうかね(^^ゞ。 そのあと秀吉との関係は臣下であり、それは勿論、秀吉が関白という、信雄は勿論、父・信長の生前より上位になったから当然ですが、事実上は小牧長久手で秀吉と和睦した(つまり事実上の降伏)時と見るべきでしょうかねー? 小牧長久手の合戦で、信雄が和睦を申し入れた1584年11月に対し、秀吉の関白就任は、1585年が関白宣下、1586年が太政大臣、豊臣性の開始と、僅かながら時期がズレますけど……。 小説全体の中でも、かなり渋い素材ですが、そういうわけで信雄にこだわって見ていきますと……。 まず、信雄と信孝のどっちが二男か三男か問題。 小説では、信雄が弟(三男)としてます。信雄と信孝は同日生まれだが、順序は信孝が先(兄)でした。 しかし長男の信忠と弟の信雄を同母という解釈にしており、信忠が嫡男(信長の跡継ぎ)である以上、その生母が生んだ男子という点を重く見て、「次男」としたが、織田家中では、信雄より信孝を兄と見る向きが強かった、という解釈になってました。 何しろ秀吉にとっては、柴田に与同して負けたとは言え、信孝は主筋なので、そのこもる城に開城を促す役に信雄を任じる(つまり利用する)のです。 そこでおもむろに、「兄が弟を諭せ」という論法になり、織田家中の序列意識を覆したと……。 信雄にとっても信孝は、織田家後継をめぐるライバルであるから、自分の身に変えても庇うほどの危険を背負う義務感もなく、言われるままに開城を促します。 信孝は、家臣がみんな城から逃亡して、どうにも孤立無援だったから、肉親の信雄が、執行者の体裁を借りて働きかけてくるのは、秀吉の恩情に思え、しばらく謹慎するなり、秀吉に対して低姿勢にしていれば、そのうち小城の一つなりと融通してくれる……と、これは信孝のみならず、信雄も思って、両方素直に開城の沙汰を行います。 ところが秀吉は、信雄に信孝の切腹を命じさせるのです。 信雄はここでも、信孝を死なす方が自分に利があると思ってか、切腹させるんで、兄弟の命を助けてくれなかった恨みというよりは、秀吉の矛先が、やがて自分に向くだろう近い将来に脅えて家康に接近……と、こんな風でした(^^ゞ。 ウィキで織田信雄について調べると、信雄が秀吉に反発し、家康に走った理由は、「三法師の後見として安土城へ入城したのを、秀吉に退去させられたから」としています。 よくよくこの時期の信雄の、バカ息子ぶり、バカ殿ぶりと言うと、三重臣を秀吉内通の疑いから殺害した事、そうやって秀吉との開戦に及んだくせに、戦における不利を知るや、自分を助けて秀吉との戦いに臨んでくれた家康に断りなく、秀吉と単独で和睦した点をよく言われます。 (これ以前にも色々ありますが:笑)。 『徳川家康』は家康が主人公ですし、家康を美化しきれない点については、「今川が悪い」「織田が悪い」「武田と通じた築山殿が悪い」という具合に書いてることは言うまでもありません(笑)。 だから織田信雄も、噂通りのバカ息子・バカ殿で、家康に迷惑をかけるだけかけて、秀吉に篭絡されると、家康に登らせた梯子を簡単に外して、自分だけ逃げるんだろう、と思ってました。 ところが、意外とそうは描いてませんでした。 むしろ信雄を裏で焚きつけてるのは家康で、信雄への秀吉の出方を見て、秀吉対策を推し量るため、信雄を利用しているのです。。 さらに、信雄と秀吉に戦をさせるためには、本心は信雄の三重臣を切らせる必要がある本音を、「家康は忠義の家来を切るのを引き留めようとした、という評判にしたい」と上塗りして家来に言い出す計算高さ。 それを聞いた本多作左衛門が、「とんだ狸じゃ」と呆れる始末(≧▽≦) かように、原作における家康は、大河ドラマに描かれた家康ほど、「正義の人!」という感じじゃありません(^_^;)。 確かにドラマで何かというと使われた「天下泰平が何より優先」という言葉と概念は、やはり何かと出ては来ます。 しかし、それが時に、「という大義名分を言うのが都合がよいから」的なノリが、家康自身から漂うのです(^_^;)。 そういう意味では、今年の「直虎」の家康の方が近いかもしれません(笑)。 それと、やはり外見の違いも小さくなくて、大河の滝田栄は清々しすぎて、原作の味を大きく損なってます。 原作の家康は、子供の頃から肥満児で、「ムッツリ黙ってる」という書き方が多く、いわゆる「家康」像に近いです。 言い出したら聞かない独善的な所も、いわゆる「狸オヤジ」ぶりも、周囲の苦労をヨソに、我が意を押し通すワガママ殿ぶりも、大河では感じられなかった(台本にあったのかもしれないけど、そう受け取れなかった)んですが、原作では容赦なくえぐり出してます。 これまで家康役を演じた多くの俳優の中では、若い頃は今年の阿部サダヲ、中年以降は『真田太平記』の中村梅之助がかなり近いです。 ……考えてみれば、正義の家康像なんて、書かれた所で誰が読みたがるでしょう?(笑) そういうわけで、秀吉との和睦(半ば降伏)路線は、信雄が先に言い出したのではなく、家康が言い出すんです(^。^)。 その割に、紀州雑賀や根来の一揆を陽動したり、人質に秀康をアッサリ出すかわりに、自身の上洛はしなかったり、朝日との結婚も同意しない……という調子。 今では信雄は、秀吉の頼みで、両者の調停を一生懸命やらされてます(笑)。 (もっとも本能寺の変の後、信雄や信孝は、本当にこのような調停役として活躍してた、という形跡もあるようですけど) 信雄の事はこの辺までにするとして……。 秀吉との戦に勝ちながら、人質を送る事になった徳川家中は不満が鬱積し、秀吉との折衝役に立つ石川数正に、秀吉と内通しているという悪評が立ちます。 三河武士たちの面倒な性質がここに現れ、家康までそれに同調して、数正はもう殆ど鬱病状態です。。 この小説が、戦後の平和を志向する日本の実情を写し鏡に書かれてる、とか言われるあたりなんでしょうね。 日本が日中・日米の大戦に向かって、軍国路線を深めていった伏線に、日清日露や一次大戦で戦勝側にあったのに云々、という国民の不満があった話なんか思い出します。 あと、外交交渉における手腕の有能無能の問題なども、大戦の反省としてもそうでしょうが、敗戦後の問題としてもよく上がった時期だったのでしょう。 それにしても……三河武士というのが、かなり厄介です(^_^;)。。 この事は、すでに1〜2巻で、家康の父・松平広忠と家臣たちの間柄を読んだ時も、かなり強く感じた点でした。 実は、これも大河ドラマを見た時、「ドラマでは遠慮してるけど、原作だとこの広忠というのは、どうしようもない暗愚の父って感じなのかも?」と思っていましたが……。 原作読んだら、これもやはり三河武士たちの極端な「強がり」気質が原因にあると感じました(^_^;)。。 まだ子供の家康が、元気いっぱいにヤンチャなのは「末頼もしい」とされ、まだ幼い子を人質に送ったり、家来の戦死に心を痛める広忠の優しさには、「辛気臭い」「気が滅入る」と、家来たちからはさんざんな酷評なのです。。。 そんな三河武士の前に現れたのが、秀吉の天下です。 「人たらし」という言葉を使わず、秀吉の手練手管が描かれますが、こういうのが三河武士には一番受け入れられないんでしょうね。。。 話の作り方も上手い所で、清須会議の後、秀吉のやたらと立てる「風説」に惑わされ、各家の家中が内部に疑心暗鬼に陥る、という伏線があります。 信雄・信孝兄弟が、その付け家老らと上手くいかなかったのも、これがため、という事なんでしょう。 しかし小牧長久手の後は、秀吉より家康のほうがよっぽど狸で(笑)……、おっとここはさっきと同じことの繰り返しになりますので、この辺までにしときましょう(^_^A)。 それより、先ほど後回しにした女性たちについてですが……。 まず京極局(京極高次の姉)は、浅井長政の小谷落城の直後から、秀吉の側室になってしまう下りがあります。 が……大抵は、光秀討伐の後〜大坂築城の辺りに側室入りした描き方をされますよね(^_^;)。。 京極局の前夫の武田元明という人は、wiki調べですが、亡くなったのが、本能寺の変のあった1582年で、光秀に与同したため秀吉に滅ぼされたとの事ですから、後者が正しいでしょう。 それと、お市の方も、小谷落城の直後から、もう柴田勝家と再婚してるように書かれてましたが、これも大抵は、清須会議の後、織田信孝と柴田勝家が結びついて、秀吉と対抗するため、お市の方に再婚話が来る、というのが一般的じゃないでしょうか。 この辺りは、どういう文献を元にしてるのか知りませんが、どうも、山岡荘八の描き方が史実より遠いような気が致します。 ただ、朝日姫や江(浅井姉妹の三女)の前夫とされる「佐治氏」については、やはり家康や秀忠に直接関係あるからか……。かなり慎重に(神経質に)史実性にこだわった経歴を作ってます。 まず朝日姫ですが、家康に嫁ぐ前に、三回嫁いでます。 最初が副田甚兵衛。秀吉の長浜時代。 二度目は、これを秀吉が離別させ、器量や才覚のある副田与左衛門吉成と結婚させた.、との事でした。 が、朝日が前夫を忘れず、吉成に睦まなかったので、三度めには、朝日にひたすら向く事を基準に、佐治日向守秀正と添わせたら、今度は上手くいった……という具合です。 ウィキで見ると、朝日の前夫には、確かに「副田」と「佐治」の両方の名があり、そのどっちが前夫かわからない(伝える書物によって違う)、とありますが、小説はその両方を取り入れたのでしょう。 また、ウィキには「佐治」というのは、淀殿の妹で、将軍秀忠の正室になった江(江与・小督)の前夫の姓だから、混同されたのではないか、と書かれてますが、これについても山岡荘八はもっともらしい逸話を作ってます。 こうです。 まず、朝日の夫の佐治秀正と、江の夫として名のある男性は、同じ佐治一族である。 が、江の初婚は、羽柴秀勝が相手で、佐治与九郎一成は、その前に江の結婚相手として秀吉が名をあげたものの、途中で取りやめにした……と。 これには、山岡荘八らしい、回りくどいへ理屈がクドクドつくんですが(苦笑)、要約すると、佐治一成が家康の味方をしたのに怒って、見せしめ破談……という感じですかね。 ウィキにも、江と佐治一成は婚約までしかしてないのでは、という説が書かれてます。 そろそろ話は変わります。今年の「直虎」。 例年だと大河ドラマストーリーって、本屋通りかかって売ってたら買おうかどうしようか、あ、そう言ってるうちに無くなった、中古で買うかな、どうしよ……と言ってる内に、興味自体がなくなった……みたいな事が多いんですが……。 今年の「直虎」に関しては、前編は例年通り、店頭で買えましたが、後編は……「そろそろ出る頃(^^ゞ」と、ツタヤに行ったら……。 「売り切れです。予約なさいますか」 と言われてしまいました。。。 「え、予約(^_^;)?」 何というか……昔、本屋でそういう事をした覚えがあるが、今そういう時代じゃないでしょ、と思いつつ、なんだか面倒なので、その予約とやらを頼み、後日、連絡貰って受け取りました。 後編にあるストーリーを、7月には大きく過ぎているのに、後編の次回発売予定を見ると「9月」とあります。 「???」と思って、ネット検索すると……、 「9月20日に発売予定と、教えて貰いました」という声がありました。。 「こういう情報って、大抵、デマなんだよね(^_^;)」と思いつつ、ついこないだツタヤの近くまで行ったので、「又、予約しといた方がと思いまして(^^ゞ」というと……、 「既に出版予定日に出される数は、すべて予約済になってまして、今ご予約頂いても、お手元に届くという確証はございませんが、それでもご予約なさいますか」 という、恐るべき実態を知らされました(((( ;゚Д゚)))<えええええええ 「前編は今でも店頭に並んでますが、後編は売り切れのままです。後編をお持ちでいらっしゃるなら、それは、幸運という感じです」 みたいな事を言われてしまいました(・・;)。。。 それ、ホントですかーーーーーーーーっ\(>o<)/! *正直、大袈裟に感じる(爆)* それよか、09/20発売なら、そこに書いてあることを読むのは、まだ2日ぐらい先ですよね……( ̄ー ̄)ニヤリ これは、『徳川家康』に書いてあった事です。 今年、同じように『徳川家康』を読んでた人がいれば、私と同じように気づいたのではないかと思います。 三方ヶ原合戦の直後、信玄の甲州勢にコテンパンに踏み潰された徳川家ですが、三方ヶ原合戦の行われたスグ近くが、井伊です。ほんとに近いです。 そしてその三方ヶ原で踏み潰されながらも、徳川は尚も抵抗を続け、野田城に及んだ武田軍を遠巻きに抗戦状態を解いてません。 そのさなか、信玄は、野田城を囲みながら、籠城する野田城内から毎夜、雅な笛の音が響いてくるのを聞きに、夜陰に乗じて木陰に戦場の身を休ませます。 そこに一発の銃弾が発せられる。 走り寄る家来たち。倒れる信玄。 小説では、信玄はこの時、銃弾に倒れたのではなく、病に昏倒するんですが、この時、野田城内で信玄を誘うように笛を吹いていた者の名、それが…… 「伊勢山田の御師の出で、芳休と申す者」 とあります。ネット上に検索すると、「村松芳休」というそうです。 ……「直虎」に出て来る、「瀬戸方久」じゃないでしょうか(^_^;)。。 史実では単に井伊家に庇護を受けた豪商の名ですが、ドラマでは「鉄砲」を作ってますし、井伊家の直系に「笛の名手」が父と娘におりますし、ドラマの方久は、このところ商人の身なりを改め、僧侶になってましたし……(つい最近の放送では、又元通りの格好に戻ってましたが) さてさて、そろそろ「たわごと」の続きに戻りたいと思いますので、このたびはこの辺で失礼したいと思います。 このところ、体調不良のため、その改善にずいぶん時間を取られています。 正直、即死に近いと言えるぐらい、病状はヒドイです。数値が猛烈に異常(汗)。。 だから、改善せねばならぬのです! 暇なんだから、あれやれこれやれと、人を早死にさせる事ばかり考える人間は、私に言わせれば、毒であり鬼です! 「女は働いて今すぐ過労で死ね政策」の安倍政権は、一刻も早く滅んで欲しい。 安倍政権「女性が輝く社会」にイラッとする人が8割超え「負担ばかり増えている」 (「安らぎの郷」なるドラマで、手荒な介護士に問題を感じ、「介護は身内がすべき」だの孫が言い出す論法の、あまりの異常さに血が凍りました。。目前で虐待を見たら、別の介護士を頼むのが通常の神経です。自民から何らか援助を受けてるのでは?) てゆうか、病人に労働を要求するとか、貧乏人に支出を強いるとか、今どきの老人って本当にワガママの度が過ぎますよ!いや、これは政府に限らず、どこにでも増えた自分勝手な暴走老人が!!!! まぁ政府に限って言うと(限った話じゃないんだけどさ!)、ああ〜今度またぞろ解散総選挙だそうで? どういう了見でしょうね!労働者の事、少しは考えてますか?!!! (年金やら介護制度ってのも、労働層がいて成り立ってるんですけどね!) 右肩上がりの時代に遊んで過ごしただけの癖に、年金で若いモンのあらいざらい持ってってる癖に、自分らはすべて根性で何でも果たしたかのような言い分(笑えるわ!) 今のイイ若いモンはどうのこうの、さっさと特攻して死ねだの、もっと介護しろだの、うるさい事この上ない!!(自己中もここまで来るなら報復も少しは気にすべきではwwww) 江戸時代なら、姥捨て山に放置された事思えば、退職後何十年も働かずに済んでるなんて、それだけでイイご身分じゃないですかっ!!! 竹槍で血の枯れ切るまで、ブスブスに突かれまくらなきゃ判らないんでしょうか!(やりてぇ:爆) ……あ、脱線しました(笑)。 じゃ、そろそろ「城主のたわごと」に戻りますね。 なるべく早く出しますねっヽ(`Д´)ノ<フガッ 09月18日 城主 |
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