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「城主のたわごと」はじめ、あれこれ更新がありますが、今月以内に間に合うか微妙なので、ご挨拶だけ先に入れておきたいと思います。
でも月を跨った場合は、また、翌月(6月)にも、これと同じのを入れますんで(^^ゞ、安心して御覧ください♪
↑の通り、6月のご挨拶にも出しました。後で6月分を消して、こちら5月分を残しましたー! |
山岡荘八の『徳川家康』は、今7巻に入ってます。
このぶんだと前回予想した通り、一年チョイぐらいで読めちゃうかもです(^^ゞ
全巻読み終わったら、又、「作品の広場」にコーナー設けて書こうか、と思ってますが、予定を早めるかもしれません。(情報量が増えて、頭に収まりきらなくなりそうで(^_^;))
とりあえず当面は、ここ「ご挨拶」に、かいつまんで書きます。
全26巻の内、7巻てのは、どのぐらいの時代かと言いますと……、
3巻の最後に、桶狭間合戦で今川義元が戦死。
5巻の初めの方で、金ケ崎敗退、そのすぐ後で姉川合戦、半ばあたりで三方ヶ原合戦。
6巻は、前半の内に小谷落城(浅井滅亡)。
7巻、まだ読んでる途中ですが、4分の1程までに、長篠合戦が終わりました。
前回書いた、竹ノ内波太郎と随風(南光坊・天海)は、先に行くと登場しなくなります。
どこからかはハッキリ記憶してないけど、3巻からは完全にそうだったと思います。(随風が6巻で、一場面だけ登場しますが)
大河ドラマでも、話がゆくに従って出て来なくなりますが、実際に俳優が出て来て演じたせいで、「この先も定番の登場人物」と印象できてしまいました。
おかげで、全体的に変なつくりのドラマになってしまった気がします。
当時、原作を読んでない周囲の大人が、「あれだけの大長編だから、一年でやるのは相当に端折らないと無理なんだろう」と言ってました。
が、そうではなく、スタッフが読みこなせない内に、「ドラマ化まずありき」で制作に走った結果じゃなかろうか……という気がします。
原作は、家康が生まれる前から話が始まるため、家康自身の話がなかなか始まらず、登場し出しても、当分は、「大人の目に映る子供」としての姿でしか描かれない時期が続きます。
それが二巻の途中ぐらいから、だんだん家康自身があれこれ考えたり言ったりする場面が出始めます。
こうなって来ると、天下国家の噂話をする波太郎とか随風は、不必要になってくるのです。
主人公が出て来るまでの場繋ぎ的な役割に過ぎないんだから、ドラマでは無理に出さなきゃ良かったんじゃないかな、と思いました。
物語の構成上、もっと必要な登場人物は、於大(家康の生母)の再縁相手の久松俊勝です。
於大の再婚先での日常を描くために、於大の兄・水野信近を、一度死んだ事にして、竹内久六と名乗らせ、竹内波太郎の推薦で久松家に士官する、という設定を創出してます。
竹ノ内波太郎は、むしろこのために必要だったのかも……。
於大の再婚生活が軌道に乗って来ると、兄の信近も、これを推薦した竹ノ内波太郎も、いかにも「御用済み」とばかりに出て来なくなります(^_^;)。。
さらには、家康の話が軌道に乗ると、於大すら出て来なくなります。
出て来る名はひたすら「久松」だけです。この義父(実母の夫)とその子(実弟)たちは家康の重臣となり、頻繁に名が出てきます。
他に、原作を読んで気づいたのは、作中の大勢の登場人物が、大河ドラマになると、一定の人物(頻繁に出て来るレギュラー)達に集約されてたんだな、という事……。
これは妥当な配慮であったとは思います。
多くの役柄ごとに俳優をそろえるのは大変ですし、揃えられても、視聴者に人物を覚えて貰うのも至難ですからね……。
ただ、そのせいで、原作の意図と違う結果に導いてしまってる、とも思いました。
3巻の初めで、「あっ」と思ってしまったのは、少年の竹千代が川で、牢人に水泳を教えこまれるシーンです。
この牢人、ドラマでは僧体の随風(のちの天海)でした(^_^;)。。
しかし小説では、「奥山伝心」と名乗ってました。
奥山なるは九州出身とあり、一方の随風は陸奥の蘆名氏の流れという事でした(私の調べた本でも同じです)から、違う人物です。
もしかすると、この後、天海が家康に初対面する時、「あなたは泳ぎを教えてくれた……」と家康が驚くシーンでも用意されてたり?とも思ったんで、wikiで調べてみましたが、奥山なるは新陰流の剣術使いのようですから、随風の異名という線は無理そうです(^_^;)。。
小説でもドラマでも、これが家康自身が物思い、考えを語る主人公として、読者の前に立ち現れる最初なので、ドラマに(映像化)するなら、わりと大事なシーンだと思います。
だから、ここに随風らしきが関与してる・してないは、印象的にも小さくないのですが、実はこの奥山伝心との一度限りの遣り取りは、この後につづくテーマにすら大きく影響するのです。この件は後に書きます。
とにかく、竹ノ内波太郎と随風(天海)の二人は、あくまでも家康の知らない人物として描かれてます。
それがドラマで、少年の家康に武芸を教える人物としてしまったため、視聴者に、「原作を読まないと、どういう人物関係かよくわからない話」と、最初につまづきを与えてしまってます。
この「つまづき」を、「原作は大長編だから端折らないと云々」という理解に無理やり変えて、首を傾げながらもドラマを見るしかなかった、という事になります。。
もう一ヶ所、小説では別の人物なのに、ドラマで石川数正に一本化されてしまった人物がいます。
4巻の終わり近く。鈴木久三郎という小納戸役です。
これも調べると、wikiに数行ですが載っています。実話なんでしょう。
小説の話としては、信長の娘が家康の長男・信康に嫁いでくる時、信長が引き出物として、大きな鯉を何匹もくれるんですが、これを鈴木が料理して自分も食べ、周囲の家臣らにも食べさせてしまいます。
この行為に家康は怒り、切腹を命じるのですが、鈴木が本当に切腹しようとした時、本気じゃなかった家康が命令を取り消す……という事件です。
ドラマで見た限り、切腹までさせる気はないのに、後に引けなくなっている……という点は、役者の演技で十分に伝わりました。
が、腹を切る直前、石川数正が、なぜ鯉を食べてしまったのかを述べて、若い家康を諫め、それを聞いた家康がやっと納得して矛を収める……という具合に見えました。
その「食べた理由」とは、「信長がくれた引き出物とは言え、鯉は生き物だから、いつかは病気や寿命で死ぬのに、信長を恐れる余り、家康が鯉の飼育係に余計なプレッシャーを与えるのを戒めるため」……という理屈です。
この場面に限らず、何かというと、いちいち「三河武士」が偉く、「青二才」の家康を教え諭す作りで、息の詰まるような教訓のレールをなぞり歩きながら、天下人に相応しい人物として成長していく……という、どうにも嫌味なドラマでした。
wikiで見ると、鈴木久三郎は、だいたいこの通りの人物のようです。ドラマは伝える史料に忠実に従い、描いたのでしょう。
その上、さらにドラマでは、これを確か石川数正が代行してたと思います。役者は江原真二郎です。理性的な家臣という印象がありました。
だから尚更、教訓色の強いシーンになってました。
しかし原作では、大きく違います。
そもそも、わざわざ鯉を食って諫言に及ぶ、という家来の態度を、家康は最初から「超イヤミ」とウンザリし、「差し出がましい」と腹立たしく思うのです(^_^;)。。<当然だわ。。
だから切腹と言い出すわけで、短気でも若気の至りでもないんです。
切腹を取り消すに至って、家康の心境は、こういう面当てがましい家臣のやりかたに対し、諦めに近い雰囲気が漂ってます。
こういうプライドばかり高い家来達に、何かというと追い立てられ、ギュウギュウ威圧されて、本人にその気は無くても、天下を取る方に行かされるんです(^_^;)。。。
まさに「重き荷を背負うて、遠き道を行くが如し」←そのまんまです(笑)
その前後ですか、三河一向一揆というのが起きます。
ここで、物凄くハッキリと、こんな風に書かれるのです。(概略にまとめてます↓)
「家康が人質に取られ、かわりに今川に支配されていた頃は、圧政を強いられ、暴力にも文句ひとつ言えずとも耐えたものを、家康が戻って善政を与え、土地も富んでくると、途端に優しい主君に甘え、とことん反抗し出す」
一巻の最後にある後書きに、「(戦後間もない時代の)日本の現状を重ね合わせて書いていると言われ、それを遭えて否定しない」といったような事が、著者本人の筆で記されていました。
つまり、もしかしたら……。
戦中の厳しい統制下は、歯を食いしばって忍耐した日本人なのに、戦後、国民に言論や行動の自由が許され、経済的にも豊かになりかけて来ると、途端にデモなど起こして反抗的な態度に出た……という事への皮肉かもしれません。
山岡荘八は右寄り思想だったそうですし(これまたwiki情報ですが)……。
しかし、こうした当時の日本の背景は、物語の骨子を曲げてしまう事態にはなってません。
さらに、 実際の家康がどうだったかも、この際、置いときましょう( ^o^)//
あくまでも小説の家康像ですが……↓
幼児の頃の家康(竹千代)は元気で肝が太く、そこが家来にウケが良く、父・広忠の不人気とは対照的に描かれます。
そのように天真爛漫な子供が、大人になり、難しい現実に直面し、不人気であった父と同じ苦悩を背負いながら、やがて、よく知られる「狸オヤジ」の家康になってゆくのです。
この道程を描くには、どこでどういう経験や心象があったので、どう決意した、どう変化した、どういう風貌になった……と、順を追って打ち出していかねばなりません。
家臣にガァガァうるさく小言され、今川から妻を貰えば、「今川なんか糞くらえ」、信長と同盟し婚姻すれば、「殿はいつ織田の家来になったんだ」と嫌味をいわれる。
それは、やはり家康が人質だった子供の頃、家康自身は駿府の今川館近くで、まぁ贅沢な暮らしが出来てたわけですが、家臣たちは苦労の上にも苦労を重ねた。そこから積み重なっている軋轢なんじゃないかと思います。
独立したハズなのに、相変わらず織田から無理難題を課されると、嫌とは言えない家康。
家来たちの、どこか批判がましい視線には、いつまでたっても今川や織田に逆らえない主君の足元を見るような所があるんでしょう。
ところで、その織田信長は、日々に羽振りも良く、贅沢になってゆく。
そこで家康は、あたかも信長を批判するかのごとく、どんどんケチ臭くなってゆくのです。
そして、それは同時に、豊かになって贅沢の一つ二ついいじゃないか、と思い始めた家来たちに対する、「嫌味返し」という戦法にも読めるのです(笑)
一汁五菜。しかも五菜の内の一皿は焼き味噌、一皿は香の物だけです。単に皿を多くしてるだけですね(笑)。。
それが今……7巻ですが、ついに一汁三菜に踏み切りました。
家康がつつましい食事をしているので、家来もみんな我慢せねばならない状態ですっ(笑)。
さらに家康は、 民百姓と苦労を分かち合うんだとか言って農作業をして見せたり、あれこれ嫌味の連発が甚だしいです。
守護大名が質素な身なりで、一汁三菜なのに、家来は華美な生活できませんね(笑)。
そいで、まさに今の(7巻時点の)家康が形作られる、おおいなる前提として、先ほども述べた、3巻でただ一度だけ登場する「奥山伝心」が教え諭した言葉が、ここにきて効いて来るのです!
「楽がしたかったら、主従の主でなく従になることだ。従はラクだが主はツライものだ」
↑こんなような言葉だったと記憶します。
今川の人質となる前、竹千代は道中を攫われて、織田の人質とさせられ、悪ガキ時代の信長に気に入られます。
この時の竹千代の態度が、「信長とあくまで対等」という線を譲らず、その度胸の良さを信長が痛快に感じる……みたいなノリでした。
「父は無くても、領地は無くても、竹千代は大将じゃ」と言い放つんですね。
生意気盛りの子供の頃に言った根性を、その後もエンエンと試されるわけです(^_^;)。。
というような経過を経て、今、信長は安土築城がなり、いよいよ築山殿と信康に死罪を命じた所まで来ました(^_^A)。
ところで、この速度と年表周りを計算すると、次のご挨拶の頃には、そろそろ信長が死んでるかもしれないので、今の内から述べておくのは、山岡荘八の描く信長像について……。
山岡荘八ファンに女性が多く、その理由として、少女漫画のモチーフが多いからだという話は、ずいぶん多くアチコチで聞く話です。
私も楽しく読み進んではいますが、どういう点が少女漫画マニアにウケてるのか、よく知っているので、その点については、残念ながら物凄く性に合わなかったです(^_^;)。。
多くの女性が憧れる点、それがまさに、「山岡版の信長像」ひいては、「信長を囲むコミュニティ(特に濃姫)」なんです。
この点は、司馬遼太郎や井上靖を先に読んだから……という点がすこぶる大きく、そこから比較されてしまう、山岡版の信長は……、
「ペラペラとよぉ喋る!」
↑この一言に尽きるのです(笑)。
ふぅ、『徳川家康』の話だけで、すごく引っ張っちゃいましたね(^_^A)
他に近況としては……確定申告に多忙で、近況ってのがもうドンドン昔になってっちゃって、どこから話せば……(^_^;)。
この「ご挨拶」を出すのに、去年(2016年)のファイルを出そうとしたら、去年は5月って出してなかったので、さらに一年前(2015年)のファイルからコピーとって作ってます。
それで「去年の今頃」ではなく、「一昨年の今頃」に言ってた事なんか眺めてるワケですけど、一昨年は、マッサンは終わったんですが、ウィスキーの飲み比べの話をしてました(笑)。
一昨年は、角瓶の事を話してましたが……、その後の値上がりで、今は買ってません(^_^;)。。
ホワイトホースやブラックニッカ、あとトリスなんかは続けて飲んでますが、カティサークもちょっと高くなって、あまり買わなくなりました。。
かわりに今、ジョニ赤がよく出回っていて、これが美味しいし、わりと買いやすい値段です(゚.゚)!
他に、バランタインを一度飲んで、おいしかったんで又買います(`・ω・)=3
時事ネタは……これ又すごく間が飛んじゃって(≧▽≦)!
前、確かトランプ就任の話をしましたが、その時すでに、「ずいぶん間が空いた(^_^;)」というような事を言ったんですよね(笑)。
今はアレですね。森友&加計、共謀罪、生前退位&女性宮家問題あたりですか!
そうそう、まずは、眞子さま、ご婚約おめでとうございます\(^O^)/<わ〜い♪
共謀罪は……これ共謀罪に限らないんですが、国民の権利を侵害する可能性の強い法律を作る時、その制約や範囲を安易にボカしたがるのが、安倍政府の特徴だな〜と、しみじみ思います。
何か犯罪が起きて、その捜査を行なう場合には、最終的に白と判定される一般人に対しても、実は捜査対象の網をかけているんだから、おんなじ事なんだ〜、とかヌカしてますけどねー。
それは、「既に犯罪が起きてしまっている場合」なんですよ!大事なのはソコじゃない!
今般の法律は、「悪い事をした」じゃなく、「悪い事をしそう」←これで適用しちゃうからヤバイんじゃん!
それから〜〜、あ、天皇陛下の公務否定に対するショックとご不満ね!
これさ〜〜、前に昭和天皇の靖国問題のメモが出た時もそうだったんだけど、今ドキの右翼って、ニュース記事が、最初に短文の速報で出た時点では……、
「また●●だー」(黒丸にはメディアの名が入る)、「どうやって確かめたのか!」
と、マスコミを疑い、「事実無根」と言い立て、「天皇の考えでない」としますが、時間が過ぎて、宮内庁や近しい立場の人の証言とか、動かぬ証拠的な情報が出て来た途端、手のひら返して、
「あ〜あ、自分から仰っちゃった〜」
「暴君」
「まさに政治介入」
「ワガママ」
と、天皇陛下への攻撃が凄まじくなるよねー(-_-;)。。<ムカつく
右翼なら、陛下の意思に反してることが、どうも動かぬ事実らしいとわかったら、同じ手のひら返すんでも、むしろ政府(安倍)を責めるべきじゃない?
で、ワガママ云々はどうでもいいの!
今回のツボは「一代限りの法律ではダメ」←これが重要!
今上天皇が、今の内閣を倒したがっておられるとか、現憲法を継続させようとなさっている、という噂は、もはや真相に近づいたーという感じは私もしてます(笑)。
しかし、それを世代の特徴にして片づけるのは誤り!
右翼の台頭は、日本ではやっと明治か、せいぜい幕末までしか遡れない!
対して、日本の皇室および朝廷政治は、律令の頃から、実は左寄り!(爆)
そういうわけで、今の天皇陛下こそ、実は日本の伝統を死守していらっしゃるのです(^_^A)
で、そこも実は緊急の課題ではなくて、今もっとも緊急なのは、さっきも言った通り……
「一代限りの法律ではダメ」←ここです、ここ!
「え、なんで?とりあえず皇太子さまにバトンタッチすれば、すぐにも休養なされるでしょ?」
「しばらくはそれでいけるから、皇室典範に手を付けるのは、少し後でもよくない?」
↑こんなのダメです!女系とか男系の問題じゃなくて、いや、男系にこだわるなら尚更今スグじゃないとダメ!もう今日明日じゅう!
皇太子さまに代が移った後、雅子さまの状態が悪化した場合や、やがて悠仁さまが在位される将来を考えても、すぐ秋篠宮さまに譲位できる用意をしておかなきゃダメです!
叔父から甥への継承はアリだが、基本的には父宮の在位歴がある方が望ましく、ここ何代も父子相伝だった事を考えても、悠仁さまへのプレッシャー強すぎるので、こうした事もお考えに入れられた上での「一代ではダメ」なんだと思いますよ?
あと、全く声にすら出た形跡がないけど、出来れば「復位」(重祚)についても、新しい時代に即したものを考えておかないと……。
父から子へ、兄から弟に譲位しても、子や弟が病気になったらまた父や兄が復す……みたいな感じに、何しろ柔軟に。
それから天皇が幼い内に、父宮さまが亡くなられた場合、ご生母の何らかの後見を認めるかとか。
わかった?明日じゅうね! *無茶(笑)*
あとは〜〜〜、あ……時代劇は、そろそろ去年の「真田丸」と今年の「直虎」を、自己紹介ページに付け加えようと思います。
(05/31にアップしました〜!)
あと、かなり遅ればせながらですが、三年ぐらい前の議事録なんですけど、これより編集に入ります。近々出す予定です。
(06/03にアップしました〜!)
じゃ〜また「たわごと」作成に戻りま〜す(^O^)/~<ホイ
05月28日(※2017/06/03、後述追加)
城主 |
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