更新は上記の通り。 今年の秋はわりと早々、順調な忙しさ(変な言い方(^_^;))に入ってます。 近年あまり効率良くスケジュールが入って来ないので、今回も後ろにズレ込む気配が濃厚です。もう何か慣れちゃったけど(笑)。 イキナリですが、今年の冬〜春にやってたCS時代劇専門で、またNHK人形劇「三国志」の再放送が始まってるようです。10月初旬から月〜金の毎日。 先月のお知らせの時、また言おうかなと思ってたんですが、言い忘れました(^_^;)。 月〜金の毎日、昼12:00から45分。(リピートは翌日深夜00:00、つまり12時間後) ただ、言っても、こういう番組予定って、少なくても1ヵ月前にならないとわからないのが難点で、BSもCSもネットで番組表じたいは見れるんですが、初期参入については「あ、それ見たい」と思ってからだと間に合わないのが常ですよね〜。。 よね〜と言いながら、それでも言うんですが(笑)、もう一つ、時代劇専門chスペシャル企画で、NHK大河ドラマを各1話づつ再放送するのだそうです。11月は、 大河初作品「花の生涯」11/03(土) 21:00(リピート放送は、11/11(日) 13:00、11/16日(金) 15:00、11/23(金) 27:00) 2作品目「赤穂浪士」11/03(土) 22:00(リピート11/11(日) 14:00、11/16(金) 16:00、11/23(金) 28:00) どちらも各45分づつ。 しかし大河ドラマを月に2作づつやるとなると……2年は持つと思ったり(^_^;)。長い企画だわ〜(笑)。 以上、時代劇専門CHはhttp://www.jidaigeki.com/index.htmlを(^^ゞ。 小泉八雲の後伝「父「八雲」を憶う」は、いま焼津の話に来てます。 この八雲の思い出を綴った話の中でも、焼津での避暑を書いた部分は、それだけで7章ある内の1章をわざわざ章を起こして他と区別されてますし、7章の中でもボリュームのある章になってます。 それは、八雲が個人的に海や水泳、焼津の土地や人を気に入ってただけでなく、家族を毎年連れて行く場所だったからです。 この章に入る前に、子息一雄氏への教育に関する章があるんですが、教育者だった八雲が、我が子に、どういう環境でどんな教育方法を望ましく思っていたかが書かれ、八雲研究者にとってだけでなく、この頃とみに注目される教育問題の観点からも、それなり興味深い材料を含んでるかもしれません。 ただ内容を見ると、別にそう大袈裟な事については何一つ書いてません(^^ゞ。 全般が「思い出」であって、妻セツの小文にもある通り、八雲は何しろ海と水泳が大好きで、そこは遊びたがって仕方ない子供と一緒です(笑)。 例えば、焼津で宿を貸し、八雲の家族ごと面倒を見ていた漁師(魚屋さん)が、「今日は波が荒くなるから、坊ちゃんを泳がせるのはやめた方が」と言われるのに、「自分は大丈夫」と行っちゃったりするのです(笑)。 この漁師さんは、八雲の著書「日本雑記」の「乙吉のだるま」に出て来る「乙吉さん」という人で、他の著述にも、名が出たり出なかったりしながら、この人の事が書いてあるようです。 八雲がよく日本人を誉める中でも、特にこうした人物に特別な尊敬の念を持っていた事がわかります。 西洋社会が機械文明に頼って失った、人間が本来もつ経験則を霊感にまで高めて、事細かく物語るのは、当時の日本人には「漁師だったら当然」な事でも、西洋では「驚異的」である事が窺い知れます。 八雲は乙吉と思わしき人に何度か助けられます。これらはエッセイ的な話に織り交ぜてよく書かれているのですが、一雄がそれを受けて、さらに乙吉の驚異的な能力について詳細に記しているわけです。 乙吉は常日頃は腰の低い陽気な漁師で、八雲一家に仕える下男にさえ思えるのですが、教育熱心な八雲が、息子に水泳を覚えさせようと連れていった時、大きな波の出た日があります。 乙吉は日頃の柔和な様子とは違う機敏さで、とつぜん波の中に入って来て、八雲には目もくれず、一雄一人をすさまじい運動能力で、かっさらって浜辺に引き上げるのです。 その後、かなり壊滅的な大波が押し寄せ、陸にまで打ち付ける様子から、かなり危なかった事がわかります。 そうした瞬時、泳ぎの達者な大人と、そうでない子供の差を推し量り、しかも波を見てからでは間に合わない速さですから、「来る」と判ったのは、波が来るよりずっと前だったのでしょう。 「経験者のカン」と言ってしまえばそれまでですが、こうした時だけ鬼神のように見える彼が、波打ち際ちかくまで来ると、おどけた様子で一雄の足から脱げた靴をサッと巧みに拾い上げる様子などは、西洋人が日本の武道に目を見張ったり、剛と柔を瞬時に入れ替える日本人の神秘に感動する様子が、都会の子供、一雄氏を通しても強く感じさせ、八雲が「我が子の命の恩人」として感激し、乙吉を神のごとく感謝し敬った事実が裏付けられていました。 八雲はこうした焼津の地で、一雄に対して「もしここの子供達と揉めるような事があったら、悪いのはお前の方だ」と心得を先に言って、この地での避暑を勧めていたようです。 元々八雲は、お人よしと言っていいほど、日本人を善良で賢明な民族と見てましたが、日頃のそうした意識を上回った尊敬の念がそこにはあったようです。 で、思い起こせば……遠ざかること、2003年の夏〜秋ごろだったでしょうか、この本を読み始め、途中から八雲の著作「東の国から」と「心」が入荷したので、途中で中断して、そこからは八雲の著作をエンエン読み続けました。 それが、やっと前に中断した所まで追い付きました(^_^A)。 やっぱこの本は、八雲の著作を読んでから読むものだな〜という気がします。 前も途中からそう思ったのですが……(笑)。 というのも、途中から八雲読者へのサービス精神を付加したのか、八雲の著作に出て来る事柄を前提にした話がだんだん出て来る(ような気がする)んです。 今のところ、焼津に避暑に出掛けた時なんかが、ちょっとそうですね(^^ゞ。 家族を連れてですから、本格的なレポではないのですが、やはり祭りや神社への参拝など、八雲ならではの行動が出て来ます。 また一雄氏の文章じたいが、父の著作を読んだ後ゆえ無意識に移ってる所もあると思いますが、かなり八雲の書いた物に似てきます。親子なんですね〜(笑)。 海いがいの話で多いのは、八雲が大変に動物を可愛がった描写です。 犬や猫はもちろん、鳥や昆虫など小動物に対しても、僅かな殺生や虐待も忌み嫌った様子が窺い知れます。 またそうした個々の小動物に対し、とても丁寧な敬語(たどたどしい日本語)で話し掛ける様子がカワイイです(笑)。 捨てられた動物を拾うにも、いちいち自分に飼われたいか、自分の家に住みたいかを問い掛けてから連れ帰る様などは、この人自身が、物語の主役で通りそうな雰囲気を思わせます。 この本が書かれた時期は、1930年前後ごろと思います。 このごろ何となく、現代以降の日本は、全体的に60年周期かな〜と思う事があるんですが、1930年以降になると、1990年以降の日本に似て感じる事があります。 そういう意味では、この著作も「劣悪な文化・風潮が吹き荒れる寸前に書かれた」って感じかな〜(^^ゞ。 さてさて、そろそろ非情な日常に戻ります(^_^;)。 冒頭の通り、この先は例年と同じく、徐々に多忙期に突入するかと思います。年々、予定が不定期になり、年明け以降にも及ぶかと思います。 更新状況に遅れが出る事もあるかと思いますが、宜しくお願い致します。 では、次回は来週、毎度「マハーバーラタ」(@「作品の広場」)にて(^^)/。 10月28日 城主 |
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上記の通りです〜。 今年(2007年)5〜9月、駆け足で、前にお届けした「根木内城跡」や「野馬土手」の夏の風景などを。 続けて8月に行った房総2回シリーズの第一弾は、アクアライン・木更津の證誠寺・真里谷城跡を♪ ヨロシクご賞味の程お願いします(^^)。 10月13日 城主 |
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上記の通り、「マハーバーラタ」49〜52話、アップしました。 大戦も終盤、今回はカルノとサルヨの戦死を描きました。次回でいよいよ戦争も終わりです。 どうぞ「作品の広場」からお入り下さいませ。 次回の更新は中旬ごろ。また「城主のたわごと」にて♪ 10月03日 城主 |
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